VP研修
第153話 なお、ガラス美味しいとする
私と志音、菜華達と井森さん達はA実習室に居た。バーチャルプライベートの為の登録が終わったとかで、鬼瓦先生に呼び出されたのだ。
夏休みももう半分以上が過ぎてしまったというのに、全然満喫できていない。それどころか、何かにつけて登校を余儀なくされている。夏っぽいイベントを一つくらいこなしたい、そんな学生らしい焦燥感に駆られながら、私は自分のトリガーとにらめっこをしていた。
「今日は試しに
夏休み明けでもよくない? と思ったが、休み明けは体験室が混み合ってなかなか時間が取れないという問題があるそうだ。言われてみればそうだったと思い直し、私達はそれぞれ割り振られた部屋へと向かう。
エクセル内の体験室は特に人気があるので、今のうちに堪能しておけというのは、たまたまその場に居合わせた雨々先輩の言葉である。彼女はほぼ毎日、学校に通ってVP体験室に入り浸っているらしい。桁違いに強い理由の一端が分かったような気がする。
部屋に着くとダイビングチェアを起動させて、完全に立ち上がるのを待つ。基本的な操作方法については、あらかじめ渡されたマニュアルの通りである。
「もういいかな」
あとはトリガーを装着していつも通りダイブするだけだ。デフォルトにお菓子の家があるとは、なかなか気が利いている。私はファンシーな世界を想像しながらトリガーを噛んだ。
視界が切り替わって森の中にダイブする。視線の先には木造の小さな三角屋根の家があった。甘ったるいいい匂いがする。思ったよりもお菓子っぽくないけど、これはきっと木の模様が描かれたフィルムが付いた板チョコだろう。ドアもチョコっぽい。屋根の部分はなんだろう、多分クッキーとか。
VP空間には自分一人しか居ない。つまりここで私がなにをしようと、誰も知る由も無いし、口出しできないということ。要するに、この家をいきなり解体してばくばくと食べ始めても、誰も咎めない、ということだ。
「別にお腹減ってるワケじゃないけど……折角だしね」
私は壁の木材、を模しているお菓子に触れてみる。チョコレートだと思っていたが、もしかしたら別のお菓子なのかも。木にすごく近い触り心地だけど。よく見ると釘で打たれている。かなり本格的な作りのようだ。
「んーーー!」
木を引っ張ってもびくともしない。というか、打ち付けられているので、剥がすのは無理だ。仕方がない、こうなったら直接舐めて見るしかないだろう。
まきびしで砕いてもいいが、せっかくのお家だ、あまり手荒な真似はしたくない。お菓子がむき出しになっていそうな場所を探し、私は窓ガラスに目をつけた。これは、飴ではないだろうか。透明を表現できる菓子が他に思いつかない。私は顔を近付けると、窓ガラスに舌を這わせた。
「……?」
無味無臭。強いて言うならちょっと泥臭い。なんだこれ。外の埃とかが付いてるただのガラスみたい。
ちょっと待って。いや、そんなことはないって分かってるけど、これがただのガラスだったら、私めっちゃヤバイ奴じゃない?
ここに誰もいなくて良かった。志音がこれを知ったら、きっと奴は絶命するまで笑い転げるだろう。
ムカつくような、一人でいた事にちょっとホッとするような。なんとも言えない気持ちで窓から顔を離すと、誰かとガラス越しに目が合った。
「……は?」
女の人がいる。どういう理屈かは分からないけど、胸元から上だけを窓から覗かせて、とにかくそこに立っている。カタカタと震えているように見えるが、何かに怯えているようだ。なんだろう、私はガラスを舐めてただけだけど。
視線を落とすと、舐めたところだけがやけに綺麗になってる。はいお前ここ舐めましたよ〜と言われているようで気分が悪い。今すぐ汚れろ。
「あ、あの!」
「ひゃああ!!」
閉まった窓越しにでも聞こえるように声を上げると、私の声量の3倍くらいありそうな悲鳴が聞こえる。
いてもたってもいられず、私はドアへと走る。ノブを回して引いてみると、扉が開いた。
勝手に室内に突入すると、そこには頭を抱えてへたり込んでいる女性がいた。中はこぢんまりとした普通の家だ。一人、多くても二人で暮らすのがやっとだろう。
まぁいいんだけどね、巨大なお菓子の家作られても手に負えないし。それよりもこの人は誰だ。っていうか待って。ちょっといい?
「なんで下履いてないんですか?」
色々と言いたい事はある。あるけど、駄目じゃん。股間丸出しはまずいじゃん。長いシャツで隠れてはいるけど、っていうか上もシャツ一枚って頭おかしくない?
そこで私は気付いた。この人もVPの「世界に一人ぼっち」という開放感に唆されてしまった被害者なんじゃないか、と。
「これは……えと……」
すごい言いにくそうにしている。なんかごめんなさい。こんなこと言わせるなんて、私どうかしてた。
俯く女性はとても綺麗だった。腰くらいまでありそうな長い髪の毛先が床に広がっている。脱色したのかと思うほどに薄い色の髪だが、彼女の白い肌を見ると、生まれつきだろうことが窺える。
目を伏せているおかげで、まつげがすごい主張をしてくる。うん、分かったって、長くて量も多いよ、羨ましいよ。
怯え終わったのだろうか、彼女は顔を上げると言った。
「あなたは誰? どうしてここに?」
いや、それを聞きたいのは私の方なんだけど。手を貸して立たせると、思いの外背が高い。菜華と同じくらいだろうか。見上げることになるとは思っていなかった顔。優しげな目元をしている。
この人、上手く言えないけど、性的すぎる。妙な格好も手伝ってるだろうけど、それにしてもなんかエロい。神秘的な雰囲気がそう感じさせるのだろうか。
「あ。クッキー焼いてたの、食べる?」
女性はぱたぱたとキッチンに走ると、ミトンを手にしてオーブンに近付いた。
「クッキー……あ、そうだ! ここってお菓子の家なんですよね!?」
「え?」
「え?」
薬物中毒者を見るような目は止めて。
私は彼女の、あからさまにヤバい人を見る目に耐えられずに視線を逸らした。
「さっき……ガラス舐めてたよね?」
「あ、さっきの質問に答えてなかったですね、私は札井夢幻といいます」
「ガラス舐めてたよね?」
「うるさい! お菓子の家なんだからガラスくらい舐めるでしょ!」
「あ……う、うん、そうだね……」
その「分かった分かった、サンタさんはいるよね」ってリアクション辛いから。
私はようやく、ここがお菓子の家ではないのでは? という疑問と向き合い始めた。
「……違うの?」
「ここは、私と……ううん、私の家」
「え……?」
つまり、私はただの民家を舐め……? いや、考えないようにしよう。そうすれば彼女の怯えっぷりにも納得がいくが、如何せん私の心が保たない。ただの窓ガラスに舌を這わせた等という現実とは、やはりまだ向き合いたくない。
「その制服、SBSSの生徒だよね?」
「えっ!?」
バーチャル空間で様々なバグや生き物に出会ったが、初対面で私が所属している学校を言い当てられたことなど、一度も無かった。当然だ、彼らはそもそもそれを知らないのだから。となると、目の前の女性は……一体……。
「なんとなく事情が分かったかも。多分、VPのデフォルトの設定である、お菓子の家にダイブする予定だったんだね」
「は、はい……あなたは……?」
分からない。あまりにも理解が早過ぎる。まるでSBSSの生徒のようだ。私はおそるおそる、彼女が何者なのか尋ねた。
「私の名前は
「去年まで……?」
事情が全く飲み込めない。今わかることは、私は違うVP空間にダイブしてしまい、ただの民家の窓を舐めたということだけだった。
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