第152話 なお、いつか交わるかもしれない平行線とする


VバーチャルPプライベートのトリガー情報に不備があったらしく、私達は鬼瓦先生に呼び出された。しかし、何度確認しても、プロフィールや生体情報との相違は見られない。

 吐き出されたエラーが再現する事もなく、とりあえずは問題なく進められるようだ。同じようなことがあるといけないからと、私達は登録作業が完了するまで教室で待たされることになった。

 悪いな、という謝罪と共に手渡されたのは、いちごみるく。この大柄で強面の男性が自販機でこれを買ったと思うと、少々不気味な気もするが、きっと私達の好みを考慮してのことだろう。可愛らしいパッケージのそれを笑顔で受け取ると、教室へと向かった。


「鬼瓦先生、結構可愛い趣味してるよね」

「私達に合わせたのだと思うけど」

「そっかー。私、コーヒーが良かったなー」


 相方の彼女は残念そうに廊下に声を響かせ、ストローに口をつけた。彼に聞こえるかもしれないという配慮は無いようだ。元より、そのような一般的な感覚は既に期待していないけど。

 教室に着くと、彼女が自分の席に座ったので、私は隣の札井さんの椅子を拝借する。


 二人は仲がいいね。

 高校に入ってから何度も投げかけられた言葉。二人というのはどうやら私と月光のことを指しているらしい。その度に、吹き出すのを堪えて微笑む。隣で月光がまぁねーと適当な返事をする。


 仲がいい? いや、事実そうなのかもしれない。だって、私はこんなにも月光に触れたいと思っている。

 屈託なく笑うあの顔が、私の手によって歪められたら、という妄想は存外楽しい。しかしそれだけだ。月光は絶対に誰かのものになったりしない、潤んだ上目使いで他人を見つめることなど、有り得ない。

 それに、私も生憎、自慰には興味がないのだ。有りもしない妄想は楽しくもあるが、深追いすると下らなさにクラクラしてくる。だからただ漠然と、たまに彼女をそんな目で見ては遊んでいるだけ。


「また私のこと、変な目で見てたでしょ」

「見てたわ。健全な女だもの」

「へぇ。気持ち悪いね」


 月光は淡々とそう言うと、ストローをくわえて顎を動かしている。彼女がそれを噛まずに飲み物を飲み切ったところを見た事がない。空になった容器に刺さるストローには、必ずと言っていいほど歯形がついていた。


でも噛み癖あるの?」

「さぁ。答える必要ある?」

「ないわね」


 私達のこんなやりとりを見れば、おそらく誰もが月光に対して冷たいという感想を抱くだろう。しかし、それは違う。冷たいどころか、月光は優しい。

 何故って、私は彼女が嫌うことばかりを口にしているのだから。無視されてもおかしくないというのに、こうして返答してくれる。これが優しくないなら何と言うのだ。

 月光には決定的に他の人と違うところがある。彼女は性欲を持たない。中学の頃、ないものねだりをする子供のように、適当な女と肌を重ねた様子の月光が不憫でたまらなかった。


 私達は共通の知り合いを通して知り合った。我ながら非常に平凡な出会い方をしたと思う。週に二度三度、その友人を介して、私達は親しげに接した。

 しばらくして気付いた。彼女はまともではない、と。今更、同性愛云々で騒げるほどお目出度くない。もっと重大な何かが、他の人と違う気がしたのだ。


——昨日、駅に居たでしょ

——そうかも

——一緒に居たの、彼女?

——そっちこそ


 過去に何度も交わしたやり取りが頭を過る。何度かではない、何度も、だ。

 私達がこの話題を持った瞬間、共通の友人を介する必要性は消え失せた。ずっとこんな日を待っていた気すらした。性的指向について、大っぴらにしていなかったとはいえ、隠していたつもりはない。かと言って、一発で言い当てられたのは初めてだった。共犯者を見つけたような気持ちがそうさせたのか、月光と話す機会は次第に増えていった。

 大抵の場合、互いにその都度連れている女が違う。前回と女がいれ違いになっていることに気付いた時は、さすがに笑ったっけ。


 ある時、私は尋ねた。どうして取っ替え引っ替えなのか、と。月光のことを言えないくらい私も狂っている、それが同じだったらいいなと思って、安易に彼女の深淵に手を突っ込んだのだ。


——あー……


 返って来たのは、私の貧相な想像力では及ばないような言葉だった。そこで初めて、月光には性欲がないらしいということを告げられた。だけどそれを認めたくなくて、相手を取っ替え引っ替え、時には平行して、情欲を抱ける相手を探しているのだという。

 浅はかでしょう。勝手に仲間意識を覚えて、勝手にがっかりしてるの。自分も所詮は中学生だった、そうやって割り切らないとやってられない浅はかさだ。


——好きって、言ってくれるのも、私のこと好きだって思ってくれるのも嬉しいんだよ。私だってそういうとこ可愛いな、とは思う。でもね。なんだろうね。あはは


 その笑いは自嘲という言葉すら生温かった。

 まるで正反対ね。そんな言葉を飲み込んだ。そして飲み込んですぐに気付いた。言っちゃえばいいんだって。だから私は伝えた。

 月光は気の毒そうに私を見て、すぐに羨ましいと言った。あの視線にも偽りはないけど、言葉だって本物だったのだろう。


 私は月光とは逆に、恋愛対象となる人を探していた。初めから歪んでいたのか、顔も覚えていないあの先輩に歪められたのかは分からない。

 中二の秋、素行のイメージのまま押し付けられた美化委員会で、学区のボランティア清掃を言い付けられた。そもそも美化委員と生徒会は強制参加という時点で、ボランティアというものの在り方を投げ掛けたくなったが、結果としてこの日は私の人生の転機となった。


——井森さんでしょ。知ってるよ、可愛いなって思ってたから。私はね、……っていうんだ。良かったら今日、一緒に作業しない?


 そう言って彼女は私の手を取った。作業ね、今思うと本当に笑える。

 知らない先輩の部屋に上がるなんて考えられなかった。同性だから油断していたのかも知れない。

 興味はあった。いや、この言い方はおかしいかもしれない。興味だけはあった。経験など、当然無い。あの日、どんな誘い文句で部屋に上がったのかも、最中の細かいやりとりも覚えてない。記憶にあるのは、親にバレないようにと、わざとらしくボリュームを上げられた場違いなロックミュージックと、気持ちよかったということだけ。それだけ。

 私はそれからも先輩の家にしばらく通った。彼女に会って部屋で二人きりになれば、向こう一時間は楽しいだけの時間が過ごせる。先輩があのアルバムを再生してボリュームを上げるのが合図だった。アーティスト名も曲名も知らないアルバムを通しであれほど聴いたことのある人間も珍しいだろう。ある日、気になって訊いたことがある。何故いつも同じ曲をかけるのか、と。

 それは私の為らしい。色んな曲が先輩とので汚されないように、という配慮だとか。当時は、分かったような分からないような気持ちで居たが、今思えば、あれは半分は嘘だったと思う。様々な曲を耳にする度に、情事のことを思い出したくなかったのは、きっと先輩の方だ。

 先輩は寮に入るとのことで、卒業を期に、関係は絶ち切られた。泣ければ良かった。だけど私が涙を流すことはなかった。もう終わりにしようと言われた時も、分かったとだけ言った。向こうから誘っておいて、ムシのいい話だとは思ったけど、物理的に距離が離れてしまうのなら拒みようがないと理解していた。随分と物わかりのいい女だったと思う。

 ここで初めて、自分はおかしいのかもしれないと気付いた。誰かを好きになったことがなかった私は、当然先輩が初恋だと思っていたから。きっと彼女がいなくなったことを受け入れきれていないだけ、本心を誤摩化すようにそう思おうとした。


 確信したのは、恋愛相談と称して私に近付いてきた同級生を部屋に招いた夜だった。親にバレるといけないからと、終わってから手早く身支度を整える彼女の背中を見送り、勝手に出て行けと言わんばかりに薄いシーツに包まり続けた夜。私は確信した。気持ち良ければ誰でもいいんだ、と。

 出て行ったばかりの同級生を先輩と重ねることもせず、僅かな感傷に浸ることもなく、快楽のみを貪った。おそらく、これはまともな神経じゃ成し得ない。薄々勘付いていたけど、私は根っからのビッチだ。したいという欲求と恋愛感情の違いがまるで分からない。悲しさは、きっと感じていなかった。”美人に生まれて良かった”と思いながら眠りに就いたことは覚えている。


 秘密を打ち明け合った月光と私は、それまで以上に親しくなったと思う。下の名前で呼び合うようになったのもこの頃だ。月光、と、声に出すことが好きだった。本人は嫌がっていたけど。

 しかし、私は重大なタブーを犯した。あの時ほど、私は私に失望したことはない。ある日、月光は淡々と訊いてきた。性欲が高まるとどうなるのか、と。彼女だって試したことがある筈なのだ。つまり、自分では感じていなくても、それが高まった相手を目の当たりにしたことはあるだろう。わざわざ聞きたがる理由が分からなかった。それをそのまま伝えると、私がそうなるところが想像つかないと言う。

 私も浅はかだったけど、きっとそれは彼女も同じだ。少なくともそんな話、相手の自室で、二人きりの時にするべきじゃない。

 気付いた時には月光を押し倒し、床に手を付いて、彼女の顔を真上から見下ろしていた。視線の先の彼女は、ただ笑って「へぇ、そういうことするんだ」と言った。

 その眼差しにはたっぷりと軽蔑が含まれていて、冷や水を頭から浴びたように我に返った。動けなくなった私を押しのけ、彼女は服を払う。部屋を出る直前、「いいなぁ」と呟いたのが、印象的だった。


 それからも私達は交流を続けている。見ての通り、以前のようにとはいかないけど。私が感じていたように、月光も私と一緒に居るのは楽だと思ってくれているのだろうか。彼女のことだから、戯れに私を弄んでいるだけかもしれない。でも、別にそれでいい。私も私で好きにさせてもらう。

 何せ、お互いに隠し事は何もないのだ。そう、視姦する目線や、嫌悪の言葉すら。


 月光は何やら鞄をごそごそと漁りながら唸っている。可愛いとは思うけど、やはり好きだとは思えない。これほど気が合って、好みの顔をしている彼女にすら、こんな感想しか持てないのだ。

 中三のあの日。私が彼女を押し倒した日。軽蔑してくれて、本当に良かった。あの視線が無かったら、きっと私は止まれなかったもの。

 白状する、私は怖い。彼女に触れても尚、愛というものを感じられなければ、おそらく誰かを愛することなど、一生出来ないだろう。自分の気持ちの行方が怖い。確かめないままでいられるなら、もうそれでもいい気すらしている。


「あぁ、あったあった」

「だからイヤホンじゃなくて首掛けのスピーカーにしなさいって言ってるのに」

「分かってないなー。音質が全然違うんだって」


 よく分からないところに拘っているのも、可愛いと思う。だけど、この感情が恋などとは違うことを、私は知っている。


「そう。ならせめて、そんな風に絡まらないように、もっと丁寧に扱ったら?」

「井森さんの女の扱いより丁寧だと思うけどなー」


 面倒事を全部無視してしまえば、私達はわりと幸せに暮らせるのだろう。私は相手の全く共感できない独占欲を満たして、月光は性行為を作業として割り切って。だけど、そうしないのは、きっとまだ探し求めているからだろう。結局、私達は諦めが悪い、似た者同士。傍から見て、”仲がいい”と言いたくなるのも頷ける。


 月光は絡まったイヤホンを解く手を止め、こちらをじっと見ている。私はどんな顔をしていただろうか。きっと、毎度毎度、わざとやったんじゃないだろうかと疑いたくなる程に絡まっているそれに、呆れた表情を向けていた。


「あーあ……顔だけで言ったら、ホントにすごいタイプ」

「私もよ」


 月光のこの言葉が嘘じゃないことは分かっている。彼女が連れて歩く女の子の系統が、それを物語っているから。


「ほんと。ままならないね」

「そうね」


 血を見ても、目を逸らしても負け。私達はあの日から、ずっと馬鹿みたいなチキンレースを続けている。


「ねぇ、私のこと好きになっていいよ」

「させてくれたらね」

「することしか考えてないくせに」

「そっちこそ。本気にさせたら、指一本触れさせずに捨てるつもりのくせに」


 私達は言葉の切っ先で、互いの喉を撫で合う。

 いつまでこんな狂った駆け引きを続けるのか、先のことを考えると頭を抱えたくなる。

 だけど、いつまでも続けばいいのに、とも思う。


「ん」

「いいわよ」

「いいから」

「もう……」


 ようやく解けたらしいイヤホンの片方を渡される。耳覚えのある曲が流れて、私は久々に先輩の顔を思い出した。

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