第148話 なお、やっととする

 志音が私の部屋を片すと、私達は改めてテーブルを挟んで向かい合った。なんで初めて来たってのに、掃除なんかさせられてんだよ、とか文句を言っていたけど、それはあんたがいきなり来るからです。

 今日こいつが来るなんて聞いてない。っていうか聞いてたら来るなって言ってた。それが分かってたから私に言わなかったんだろうけど。逆に言うと、そこまでして私に会いたい理由があったということだ。


「お前、メールの返事くらい寄越せよ」

「……してるもん。既読って」

「あれはアプリのシステムが付けるもんであって返事じゃねーだろ」


 そう、私には志音が部屋に来た理由について、若干の心当たりがあった。昨日から、こいつのメッセージを無視している。「実家か?」というくらいにこいつの家に入り浸っていたというのに、我ながら勝手だとは思う。


「はぁー……とにかく、病気とかじゃないみたいで良かった」


 志音は複雑そうな表情を浮かべてそう言った。私も何か返さないとと思うんだけど、対話を絶っていた後遺症か、「うん」の一言が言えなかった。

 気まずい沈黙が流れる中、聞き慣れた音が、いや、振動を感じる。これは、お母さんのスキップだ。徐々に大きくなる音に、志音も気付いてドアを見た。


「やっほー! お茶持って来たよ! 飲んでね!」

「あ、ありがとうございます……」


 本来は私の役割だと分かってはいるが、空気を察したのか、志音が立ち上がってお盆を受け取った。コップには麦茶が入っている。これについて、私は少々母にもの申さなければいけないようだ。


「またこぼれてるじゃん! だからスキップは止めなって言ってるのに!」

「今日は調子が悪かっただけ!」

「いつも調子悪いじゃん!」

「練習が足りないだけなの! ムーちゃんがもっと頻繁にかの、友達を連れてきてくれれば」

「ねぇいま彼女って言いかけたでしょ! やめて!? っていうか、なんでコップ1つにストロー2本さしてるの!?」


 こんなハート型の浮かれたストローがうちにあったの知らなかった。お母さんとお父さんが使ってるのかな。なんかあんまり考えたくないな。

 私は母を部屋の外に出すと、ストローを外して直に麦茶を飲んだ。志音は濡れたお盆を拭いている。


「お前、ムーちゃんって呼ばれてるんだな」

「う、うっさい! あんたが急に部屋に来るからでしょ! 急じゃなかったら対策してたもん!」

「対策って……どうやってだよ……急に人の呼び名を変えるって難しいんじゃないか?」

「そんなの、お母さんを押し入れとかに閉じ込めとけばいいでしょ」

「もっと人道的に対策しろよ」


 人道的に対策したってお母さんはすり抜けるから駄目だよ。がっつりやらないと全く堪えないんだから。そう言いたかったけど、よく考えたらそんな話をしても、もう意味がない。ムーちゃんって呼ばれてるの、知られたくなかったなぁ……。


「……あのさ、あたし、その、お前と話をしたいと思って来たんだ」

「話さないといけないことなんてある?」

「本気で言ってんのかよ。明らかにあたしのこと避けてんだろ」

「うん」

「だからそのことについて」

「あー、それはイヤ」


 すごい。志音ったら固まってる。理解できないものを見る目をしてる。なんで? 私そんなにおかしいこと言った?

 志音は残ってた麦茶をぐっと飲み干して、私に理由を聞いた。その前に私の麦茶を勝手に完飲したことについて理由を聞かせて欲しいんだけど。


「だって、まず私の中で答えが出てないっていうか。あんたに関する問題ってだけで、あんたにどうにかできる問題じゃないから。言ってる意味分かる?」

「お……おう……」

「現時点であんたにして欲しいことなんて何もないの」

「でも」

「今まで通りやっていきたいっていうのは分かるけど。なんか、そういう気になれないから。ごめん」


 志音はショックを受けているようだ。少し冷た過ぎたかもしれない。でも、これが私の正直な気持ちだし。どうしよう、さすがにフォローした方がいいかもしれない等と考えていると、志音は「夢幻が……謝った……」と言いながら震え始めた。


「どこにショック受けてんの!?」

「だって、夢幻が謝るって、相当だぞ……マジで大事おおごとなんだなって、自覚した……」

「経緯が気に食わないんだけど?」

「その……単刀直入に聞いて良いか?」

「うん」

「お前がいま何をどう考えてるか教えてくれ」


 やけに食い下がるな。真剣な顔をした志音とは対照的に、私は他人事のようにこの状況を見ていた。をいつものように流せなかったのは何故だろう。私の心境の変化だろうか、それとも、ある種一線を超えた行動だったからだろうか。

 分からない、分からないけど、私はこいつのあの行動を、適当に受け止められなかった。その理由を今でも考えたり、考えるのがイヤになってさっと逃げたりしているのだ。


「あたしがかぐや姫にキスしてからだろ、絶対」

「はいはい。なんだっていいでしょ」

「こんなこと言いたくないけど、お前妬いてね?」

「……うん。そうなのかもって思ってる。する前は、むしろそれくらいやってこいくらい思ってたのに」

「へ?」


 肯定されるとは思っていなかったのか、志音はびっくりした顔を赤くしている。器用だな、そんな顔できるんだ。


「ホント、自分でも意外だったけどね。いつ、そんなにかぐや姫のこと好きになったんだろ」

「そっちじゃねーーよ! ここは流れ的にあたしだろ!?」

「え……志音……?」


 焦った様子でみぶり手振りバタバタしている。すごい、手の動きでちょっと風が来る。扇風機かな?


「いや分かるだろ!?」

「あのさ」

「なんだよ!」

「”お前は私が他の女とイチャつく現場を見てムカついたんだ”って主張をするって、どんな気持ち?」

「最低だよ! させんな!」


 そして志音の主張について考えてみる。あんまり考えたくないけど、そうすると全く矛盾がなくなる。


「えぇ……私、妬いてたの……?」

「じゃねーの?」

「嬉しそうな顔しないでよ」

「してねーし」


 そう言って志音は再び麦茶が入っていたコップに口をつけた。もう入ってないよ、ソレ。あんたが全部飲んだんでしょ。

 手持ち無沙汰になるのが嫌なのか、何も入っていないコップに口を付けたと思われるのが嫌なのか、志音は大切そうに両手でそれを持ったまま俯いている。別にいいけど、そのまま持って帰らないでね。


「あたしも、お前があんな風になるって思ってなくて、その……」

「まぁ私ですら予想外だったし。にしても、サッとやったよね」

「とっとと終わらせた方がいいと思ったんだよ。一回躊躇うと泥沼だろ」


 彼女の主張はよく分かる。ああいうのは一度でも照れる空気を出すと、そこからが地獄だ。一発芸と同じ原理である。

 しかし、こうなるともう避けられないだろう。私は観念して私達の今後について話し合う覚悟を決め、口を開こうとした。


「これ良かったら食べてねー」

「タイミング! ノック!」

「あ! ごめんね!」


 突然部屋に乱入してきた母は私に怒られると、慌ててコンッコココンコンと開いたドアにノックをした。


「それタイミングじゃなくてリズムだから!」

「ムーちゃんってば細かいのね」

「すげぇな、お前の母さんってお前の母さんなんだな」

「アンタは家に帰ったらお母さんに『ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?♥』って聞かれろ」

「ガチで泣くと思う」


 母は妙にカラフルなお盆を持っていた。ねぇ、ここにお盆置いてったから見当たらなかったのは分かるけど、それフリスビーだよね。


「コトスコで買って来た、ちょうど二人にぴったりなケーキがあるの」


 切り分けられ、お皿に乗ったケーキがテーブルに置かれる。うん、分かる分かる。海外のケーキって、カラフルだもんね。日本人のセンスでは思いつかないようなデザインのものとかあるよね。でもさ。


「このタイミングで虹色のケーキ出すのやめて」

「あたしらにぴったりって……」

「だぁってママ、ムーちゃんが彼女連れてくるなんて思ってなかったんだもん! 嬉しくって!」

「う、嬉しいんすか?」

「友達すらほとんどいなかったからね、この子。この子を好いてくれるなら性別なんてどうでもいいわ」

「寝起きみたいなテンションでいきなりマジレスしないで」


 志音は何かが引っ掛かるようで、私の方をちらちらと見ている。分かる、これは恐らく「おい、誤解解かなくていいのかよ」という視線である。

 こういうのは早めに修正しないと、どんどん取り返しのつかないことになる。妙な噂に振り回されてきた私達は、それを痛いほど理解していた。


「で? 二人はいつから?」

「……いつからだっていいでしょ。っていうかコトスコのケーキってすごい大きいよね? 余ってるんだろうし、お母さんもここで食べたら?」

「いいの!? やったー! じゃあ持ってくるね!」


 母ははしゃいでキッチンへと飛んでいった。隣から突き刺さる視線が痛い。視線で怪我する。やめて。


「お前……今の……」

「……いいでしょ」

「二人で色々話したいとこだけど……ま、いっか。お前の母さん面白いし」

「うん。あんな面白い人いないよ」

「そうだな、お前くらいだな」

「くたばれ」


 私のテーブルの半分以上ありそうな、あのサイズのケーキを食べ切るにはかなりの時間を要するだろう。というか三人がかりでもかなり厳しい気がする。食べ切らないことには、母は部屋を去らないと思う。二人きりになって、気まずさに打ち勝つ自信のない私には有り難かった。

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