インターバル

第147話 なお、軽やかとする


 扇風機の風量を最強する。左から右に風がびゅんびゅんと駆け抜けていく。涼しい。最高。髪に妙な癖がつきそうな勢いだが、そんなことは構わなかった。どうせ今日は外に出る予定無いし。


 VバーチャルPプライベートの許可証を発行するためにはトリガーの情報が必要になるらしく、しばらくはトリガーが使えない、つまりダイブができなくなることが告げられた。なるほど、それで夏休み中に終わらせる為にこの日程だったのか、と全てが終わってから、あの鬼のようなスケジュールの意味を知る。


 私は部屋でダラダラしながら昨日のことを思い出していた。試験合格が言い渡され、みんなから少し遅れて私のVP許可証が発行されることが決定したのだ。許可証を持つ生徒は、SBSSの中でもほんの一握り。実力や成績以外に、素行も重要視される。

 私の日頃の行いはいいとは言えないかもしれないけど、鬼瓦先生がめちゃくちゃ庇ってくれたらしく、なんとか発行にこぎ着けたらしい。あと、クソ村での功績も大きかったとか。高1で通常の任務に参加、更に事件を解決して帰ってきたのだ。客観的に見れば、結構すごいことのような気もする。


「本当にここまで来れるなんて、思ってなかったな……」


 入学して初めて持った目標が許可証の取得だった。それがようやく達成されたのだ。今さらながら、合格の実感が湧いていた。

 近いうちに6人で打ち上げをすることになっているが、日程はまだ未定である。合格者が揃って話をすれば、また現実のものとしてこの出来事を受け入れられるかもしれない。


 自室でぼんやりしていると、段々と足音が近付いてきた。この足音はお母さんだ。間違いない。私ほどになれば家族の足音を聞き分けることができるのだ。まぁ、お父さんは出張でいないし、お母さんはいつもスキップしてるから、分からないワケないんだけど。


「ムーちゃん! ママ聞いちゃった!」

「ちょっ! ノックしてって言ってるじゃん!」


 勢い良く開け放たれたドアに驚きながら、辛うじて抗議する。もちろん、これが無駄なのは分かっている。もう何年も言ってるのに直らないから、半ば諦めてると言った方が適切かもしれない。


 お母さんは部屋に入ってくると、テーブルを挟んで私と向かい合うようにクッションに腰を降ろした。そして私の顔を見ながら、木製のテーブルをコンコンと叩く。


「せめてドアにして」

「どっちも木なんだから同じような音でしょう?」

「ノックの音質は気にしてないよ」


 っていうかノックの音質って何かな。お母さんと話してると、こうやって意味不明な単語がたくさん生まれる。はっきり言って、疲れるからぼんやりしたいときにはあんまり話したくない。好きなんだけど、なんていうの、すごい、会話が困難っていうか。


「私が気にしてるのはタイミングなの。ドアをノックしてから部屋に入ってって毎回言ってるでしょ?」

「そうそう、聞いちゃったって話なんだけどね!」

「せ め て 返 事 し て」


 お母さんから「はい」という言葉を引き出すと、改めて何を”聞いちゃった”のかを話してもらう。濃いめにいれたカルピスをストローでかき混ぜながら耳を傾けた。


「そうそう! ムーちゃん、恋人できたんだって!?」

「びおっ」


 せっかく濃いめにいれたカルピスが……鼻から出た……。私はティッシュで鼻を拭きつつ、母の発言を否定した。あれ、扇風機の風量最強のはずなのに、なんか暑いな。気のせいかな。


「誰がそんなこと言ったの?」

「この間、ミオちゃんのお母さんにたまたま会ってね、ちょっとお茶したの」


 ミオちゃんというのは、中学の同級生である。彼女の祖母の家が比較的近所だったので、たまに一緒に登下校したりしていた。あの日々の事を思い出すと、まだ数ヶ月前のことなのに、ものすごく昔のことのように思える。


「そうなんだ。ミオちゃん元気だって?」

「うん! 高校行ってもバレー続けてるんだって!」

「へー。今頃レギュラー取るって張り切ってそうだね」

「まさにそんな感じみたいよー。あ、ミオちゃんといえば。ムーちゃんの隣のクラスにミキちゃんいたでしょう? あの子ったら」


 母の話に適当に相づちを打ちながら、私は感じていた。前フリに話題が引っ張られて、結局何を”聞いちゃった”のかという話が消滅した、と。

 母と話すときのあるあるだ。本当によくある。脱線してそのままどっか行くの。戻ってくるかなーと思って後ろ姿を眺めてたら、地球一周して背後から轢かれる事もあるから注意が必要である。

 普段なら指摘して話を戻させるが、今回ばかりは好都合だ。このまま私が誰かと付き合っている等という話ごと忘却して欲しい。私は普段よりも母の話に聞き入り、前の話題を忘れさせるように努めた。

 ミオちゃんの部活の話から、ミキちゃんが高校に入ってから背が伸びたこと、三田村君が海外にホームステイしたって話。めくるめく母の話題に耳を傾けながら、「そういえば最近全然話をしていなかったな」と気付く。寂しかったのかな。ごめんね、お母さん。


「……って感じでね? そうそう! 海外にホームステイで思い出した!」

「なになに?」

「ムーちゃん、バーチャルにダイブ? してるんでしょ!?」

「ま、まぁね?」

「そこで背の高いパートナーといい仲になってるって聞いたの!」

「べぇっ」


 言ってるそばから後ろから轢かれたよ。どうしてこの話をホームステイで思い出したのかを聞いてみると、ダイブの話を聞いた時に「海外旅行に行くようなものかしら」という解釈をしていたそうで、見事にそれとくっついたらしい。ミキちゃんの身長の話も志音のことを思い出すのに一役買ったそうだ。壮大な伏線回収やめて。


「で? どうなのよ」

「どうって……そいつのこと、どんな奴か知ってて言ってる?」

「知らないわよ〜! ただ、背が高いイケメン君ってことしか。ミオちゃんの学校でも話題みたいよ? その子。まぁ女子高だものね、イケメンがいたら注目しちゃうわよねぇ」


 そいつら根っからのガチレズか何かじゃないだろうか。まぁ、背丈のせいで志音が普通の女よりも目立つってのは分かるし、「イケメン! って、スカート履いてる!?」という具合に話題になるのも分かる。言われてみれば、志音の家からうちの高校まで通うと、ミオちゃんの高校のかなり近くを通ることになる。


「そいつの身長、いくつだと思う?」

「えー? 背が高いって言うくらいだから、185センチくらいかな!?」

「170くらいだよ。本人はギリギリないって言ってるけど」

「じゃあママと同じくらいなんだ!?」

「ママは160センチもないでしょ! いい加減にして!」


 ボケてるのか本気で言ってるのは分かりにくい。だから疲れるのだ。私の出した少々遠回しなヒントでピンと来てくれたみたいで、母はぽんと手を打った。


「背、高くない……あ、もしかして……女の子……?」

「当たり。そいつ女なの」

「ムーちゃんってそっちだったんだ」

「なんで!? 理解の方向がおかしくない!?」


 普通は「女の子なんだ! じゃあお友達なんだね!」でしょ!?

 っていうか、なんでパートナーだって知ってるんだ。そんな話、母にしたことないはずだけど。聞いてみると、ミオちゃんのクラスメートに熱心なファンがいるらしく、そいつが色々調べてるとか。ねぇ、志音のストーカーのせいで私まで間接的にストーカーされるとか色々と尋常じゃないんだけど。


「ママも話してみたいなー、志音ちゃん」

「話したことあるでしょ? 私があいつの家泊まった日に」


 ここまで言って後悔した。「あ、あの子が……最近友達の家に泊まってくるってことが多かったけど……あっ……」と言って母は口元を押さえたのだ。

 やめて。起こらなかった何かを察さないで。


 必死で誤解だと告げるも、母はよそよそしい雰囲気で「わ、わかったわかった、ムーちゃんは男の子が好きだよね」と、言うのみである。絶対思ってないだろ。


 そそくさと部屋を出る母の後ろ姿を眺めて、カルピスをすする。美味しいはずなのに全然味が分かんない。折角試験をクリアして、許可証を発行してもらえる手筈となったというのに、新たな悩みの種が出来た気がして、一気に気が重くなった。


 それからどれくらいの時が経っただろうか。チャイムの音がして、スキップの音が響く。あの人、スキップしないで部屋の中移動できないのかな。

 聞き慣れた足音が玄関へと向かう。そしてそれが止むと、今度はとんでもないダッシュの音が聞こえてきた。階段を3段飛ばしくらいにして近付いてくる感じ。お母さんがスキップ以外の移動方法を取ることなんて今までなかった。もしや、誰かが母を突き飛ばして家に入ってきた……?


 どちらにせよ穏やかな状況ではないだろう。私は心配になり、玄関へ向かおうと部屋のドアノブに手を掛けた。


「ねぇ! 志音ちゃん来てるよ!?」

「べうっ!」


 勢い良く開け放たれたドアの戸先が額にクリーンヒットする。飛ぶ。私の体も意識も。テーブルの隣に倒れると、痛みを処理しきる前にお母さんが再度告げる。


「志音ちゃん!」

「分かってるって! いったぁー……で、なんだって?」

「さぁ? とにかく、とりあえず上がってもらうから! お部屋片付けてね!」


 母はそう言って、今度はスキップで階段を下りていった。あの、部屋を片付けるって、予め分かってるときにしかできなくない? 今から? 今からするの? それまでリビングで待たせとくの? うわ……お母さんが絶対いらんこと言う……。

 っていうか全然散らかってないし。いま私が吹っ飛んだせいで飲み物がひっくり返ったり、扇風機が倒れたりしたけど。痛みが引かないと何もできないし、多分それまでに志音が部屋に入ってくるし。もういい、ここはあいつに片付けさせよう。


「お邪魔しまーす……って、お前、なんで倒れてんだ?」

「アンタのせいだよ!」

「あたし!?」


 片付けてと怒気を孕んだ声で告げると、志音はおずおずと私の部屋を掃除し始めた。「お前の家、楽しそうだな」という呟きが聞こえた気がしたけど、聞こえないふりをした。

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