第149話 なお、わりと真面目に好きとする
適当にくつろぐ、ということが私にはとんと理解できない。何をどうすれば適当と呼べるのか。今しがた掛けられた言葉に疑問を投げかけながら、ギターを手に取る。
がちゃりと、吊り下げ式のギタースタンドがそれを手放す音が部屋に響いた。元々この部屋は8畳程あり、子供部屋として考えれば上等な広さと言えるだろう。だけど、端に寄せられたガラクタ、じゃなくて、PCパーツが部屋を圧迫している。
コンクリート打ち放しの壁。カッコいいと思ったけど、夏は暑くて冬は寒いだけ。いつか、そう言って彼女は笑った。結局インテリアなんてどうでもよくなって、殺風景なままの部屋。この無骨な空間と散らばっている物を見て、ここが女子高生の部屋だと言い当てられる人間はそういないだろう。しかし、私はこの部屋の造形や状態、それらが彼女の人間性を写しているようで好きだ。ここにいると彼女の心に触れている気がする。
部屋に入ってから彼女が飲み物を持って来るまでの間、私はいつもギターを弾く。今日もベッドに浅く座って、六弦を太ももに乗せる。手癖で適当に弦を爪弾くと、すぐに違和感に気付いた。チューニングが明らかに狂っている。頭に疑問符を浮かべていると、戻って来た彼女に声を掛けられた。
「あー……ごめん、やっぱバレたか」
「何が?」
「その……昨日、それに鞄引っ掛けちゃって。チューニング狂っちゃったかと思っていじったら、その、余計変になって……」
「そう。直せるから、別にいい。ちょうど弦を交換しようと思っていたところだから」
鞄から弦とニッパーを取り出して、作業を始める。今日は知恵に呼び出されて来た。実は、いつも通りの私達ではない。
私は努めて”いつも通り”を意識して振る舞ったつもりだったけど、よく考えたらこの状態で私が冷静に弦の交換なんてしていること自体、かなり異常だ。
普段の私なら、ギターのチューニングを狂わせた罰などと言って知恵を押し倒している。こう考えると、私って結構理不尽だな。勝手にギター置いて帰ってるの、私なのに。
「なんか、今日のお前、妙にまともで怖いな」
「別に。知恵」
「なんだよ」
「今の、誘ってた?」
「そんなんじゃねーよ」
そう言って鼻で笑うと、知恵は私の隣に座った。彼女はいつも距離感が最高だと思う。ギターを弾いている時も、メンテナンスをしている時も、何も持たずにただなんとなく座っている時も、彼女は私が「ここにいて欲しい」と思うところに、寸分狂わず存在している。そしてその度に、私には知恵しかいないと感じる。
だけど、どうやら彼女は違うらしい。だから今日、私は呼び出された。心当たりなんて、ない訳がない。昨日はそれが原因で喧嘩したんだから。帰れと言われた私が、本当に帰ったのだから。
私が悪い。分かっている。張替え終わった弦の調子を確かめるように軽く鳴らす。単音、コード、違和感はない。いつも通りの音色だ。私達とは大違いだと思った。
「なぁ。お前。その、耳……」
「いつか、バレると思っていた」
「なんだよ、それ」
耳。そう、耳。私達は今、私の耳について話し合っている。普段はダミーを付けて誤摩化しているが、私の右耳はピアスだらけ。気になるのは分かるけど、この耳についてはあまり触れて欲しくはない。浅はかだったと思っているし、正直愚かしい行為をしたとも思っている。だけど、過去を簡単には否定できない事情が、私にはあった。
知恵の家にはよく泊まるが、これまでは問題なくやれていた。恥ずかしいのか、共に入浴しようと誘われることもなかったし、脱衣所にやってくることも稀だ。髪さえ乾かしてしまえば普段は隠れて見えない。
だというのに、こともあろうに、昨日私は遂に失態を犯した。ギターの練習に熱中し過ぎて、髪が邪魔だと耳にかけてしまったのだ。
我ながら、相当な間抜けだと思う。というか引く。これまで結構意識して隠してきたというのに、結局自ら派手に大公開したのだから。
とにかく、そんなこんなでピアスの穴が知恵に見つかった。軟骨数ヶ所と耳たぶ数カ所。耳たぶは下に向かうにつれて大きくなるよう、穴を拡張している。
ダミーを付けているとはいえ、広げられた大きなピアスホールは、完璧に誤摩化せはしない。そういう商品も出てはいるけど、私は使っていなかった。髪が長いし、どうせ見つからないと高を括っていたのだ。本当に馬鹿だった。
「今日は答えてもらうぞ。そのピアス、なんだよ」
「……趣味」
「嘘つくなよ。お前、そんなの興味ないだろ」
「さぁ。大体、知恵は何故そんなにこの件に噛み付くの? こんなものはただのファッション」
「ははは。ただのファッションか。んじゃ、見つかった時にあんな顔すんなよ」
私はため息を付くと、ギターをスタンドに戻した。流石に弾く気分になれない。あんな顔、か。自分がどんな顔をしたのか、容易に想像が付く。
「浮気がバレたような顔しやがって」
それ、いま言おうと思った。
「わかってるよ。浮気なんて、してないんだろ?」
「もちろん」
「でも……もういい。お前が話したくないならそれで」
ここで私が話さなければ、私の穴だらけの耳について、知恵は二度と尋ねてこないだろう。どちらかが死ぬまで一緒に居たとしても、もう二度と。そんな妙な確信をした直後、私は無意識のうちに「言うから」と口走っていた。
というか、元々私自身の為に隠そうとしていた訳ではない。知恵が傷付くと思ったから。その本人がどうしても知りたいと言うなら、私を慮った結果、その本音を飲み込み続けると言うなら、惜しげなく晒そう。
「中三の時、知り合いにやってもらった」
「……なんでだよ」
私は簡潔に述べた。知人にピアスが似合うんじゃないかと言われたこと。少し憧れる気持ちはあるが、するつもりは無いと断ったこと。
「じゃあなんで開いてんだよ」
「難しいことで有名な曲を弾けるようになった時に、開けたらいいんじゃないかと言われた。きっと何年もかかるからと言って。それは名案だと同意して、ふざけ半分で曲を決めた」
知恵は否定も肯定もしなかった。ただ黙って私の隣に座っていた。
今は、ちょっと遠い。もう少し近くに座って欲しい。頭の片隅でそんなことを考えた。
「新たな明確な目標が出来たおかげか、それまで以上に練習が楽しくなった。半年後にはその曲が弾けるようになってしまった」
「すげぇな」
「私にピアスが似合うと言ったその子は、どこかからピアッサーを調達してきて、本当に私の体に穴を開けた」
痛みなどなかった。ただ、耳元で響くがしゃんという音が、ギタースタンドにギターを掛ける時の音に似てると思っただけ。一瞬で全てが終わった。だけど、この瞬間、何かが始まってもいたのだ。
そのピアスは私が壁を乗り越えた証のようなもので、多少強引だったけど、悪い気はしなかった。それからは、難しいと言われる曲を完璧に弾けるようになったらその度にピアスを増やしたり拡張したりしていった。
説明を聞くと、知恵は難しそうな顔をして、だけど私を責めなかった。
「菜華……今は、その……」
「していない。というか、あのオーディションの日から、私達は会っていないし。会ったとしても、もうしない」
「おま、まさか、その相手って」
「そうKIRA。というか、綺羅さん」
だから言いたくなかった。ただならぬ仲だと思われる。誤解ではないけど、もう昔のことだし、知恵にはあまりあの人のことをそういう目で見て欲しくなかった。
上手く言えないけど。今の彼女が元カノのことを気にしてるって、結構めんどくさい気がする。綺羅さんが元カノかどうかは微妙なところだけど、知恵にとってはそんなようなものだろう。
「……まぁ、終わっちまったことはしょうがねーけど」
「けど?」
「KIRAの野郎、ぶっちゃけムカつく」
言葉が見つからなかった。謝ってしまえば、練習に打ち込んだあの日々を否定することになる気がして、何も言えなかった。そんな私の心中を察してくれたようで、知恵はすぐに私の目を見て、ごめんと言った。
「分かってるよ。あたしが勝手なんだから」
「そんなこと」
「ピアス、してこいよ。わざわざダミーまで付けて隠さなくていいだろ。学校の連中はビビるだろうけど、普段はどうせ見えないんだし」
知恵は、どうしてこんなに優しいのだろう。他人と話しているところを見ていても、話の着地点というか、落としところを見つけるのが上手い気がする。知恵にも色々と思うところはある筈なのに、それでもこうして譲歩してくれる。
「なんつーか。お前ってすごい奴なんだよな、本当は」
「そんなことない。本当は、というのが少し引っ掛かるけど」
「学校じゃ変人の筆頭みたいになってるだろ」
「あぁ」
確かに学校では私は夢幻と並んで変人扱いを受けている気がする。だけど、私は夢幻ほど奇妙な思考回路はしていないし、面白くもない。
だからその扱いは少し不服なのだけど、そんなことをいちいちふれて回るのも面倒なので放置している。そんなことをするくらいならギターを触っていた方が余程有意義だ。
知恵は、あんまり気にしてないつもりだったんだけどな、と小さく呟いた。つい口を突いて出てしまったような言葉。もしかしたら声にするつもりはなかったのかもしれないと思いつつも、私はその言葉の真意を問いただした。
「え。あ、あたし口に出してたか? あー……いや、あたし、なんにもねーから。悪いなと思って」
「どういう意味?」
「なんで怒ってんだよ」
慣れない言葉を使って、知恵はどんなに素晴らしいかを伝えようとした。だけど出来なかった。私が言えたのは、知恵は優しいという一言だけ。すると彼女は、不満げな顔をして「じゃあ優しかったら誰でもいいのかよ」と言った。
当然の怒りだ。けど、その誤解を解きうる私の気持ちを言語化できない。だから、「知恵みたいに優しくできる人は他にいない」とだけ言った。これ以上何かを言う必要は無い気がして、私はベッドに座り直して彼女との距離を縮めた。
「ちょい待ち」
「何故? 今はそういう雰囲気だった」
「そうだけど……えっと、手、出せ」
知恵はパーカーから手を出すと、そのまま私の左手に重ねた。異物感に眉を顰めると、知恵は蝉とかじゃねーから安心しろと笑った。サイズ的に近いけど、どうやら蝉ではないようだ。最初から蝉だとは思ってなかったけど。
彼女の手が離れ、漸く手の中に握らされたものを見ると、私は心臓が止まりそうになった。
「ムカついたからあたしもやってやろうと思ったけど……誰がやったにせよ、意味があってそうなったお前の身体に、土足で踏み込むような真似はしたくない」
知恵が私の手に握らせたのはピアッサーだった。手のひらに収まるそれはパッケージに入ったまま。見たところ、買ってきたばかりの新品である。恐らくは昨日私が帰った後に買いに行ったのだろう。私はあんな帰り方をしたというのに、知恵は、私を思って、こんなに……。
「だから、お前があたしに……嫌なら、いいけど」
そんなこと有り得ない。知恵が私にならこうされてもいいと思っていること、それによって齎される痛みはもちろん、常に人目に晒されるヘアスタイルの彼女が、それを望む意味。私にしか見えない、名前入りの首輪を付けて笑ったり、怒ったり、そうやって生きていく。考えれば考えるほど興奮する。駄目、もう我慢できない。
私は立ち上がると、ギターを手に取って、たったいま思いついた旋律を奏でた。テーブルの上にある知恵お手製のレコーダーのスイッチを押す。座る時間も惜しいので、ストラップを肩から掛け、立ったままギターをかき鳴らした。
ピアス? 開ける。ギターを弾いてから。知恵に触れることも、もちろんする。でもやっぱりギターを弾いてから。
頭のどこかに揺蕩う朧げなフレーズを、忘れる前に全て吐き出さなければ。今の私はもうそのことしか考えられない。いや、考えてはいけない。
「おいまたかよ! お前って、ホンットに勝手だよな!」
好きなくせに。背を向けて楽器の音に混ぜ込んだはずの小さな反論は、しっかりと彼女の耳に届いていたらしく、後頭部にガラクタが飛んできた。
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