第145話 なお、奇妙な村八分とする


 菜華は言った。私だけが戻っても、志音が不合格になれば、自動的に私もそうなると。つまり、私一人だけが無事に戻ってきても、何も意味がないと。いや、そんな。まさか。

 私は救いを求めるように粋先生を見つめたが、返ってきたのは「え? 最初に言ったじゃん?」という言葉だけだった。絶望。いまだかつてこれほど絶望した事があっただろうか。遠足でバスが走り出した途端尿意を催すくらいの……いや、それだけでは生温い。さらに「あと15分くらいなら我慢できる……!」と決意した直後に、「1時間後にトイレ休憩行くからねー」と告げられる程の、圧倒的絶望感である。


「あっ……雨々先輩の15分という記録に驚いて、説明が全く頭に入らなかったの……きっとそのときに……」


 井森さんは思い出したようにそう言った。そうだ、あの時だ。それしか考えられない。私と井森さん、知恵の三人は、数時間前のことを思い出しながら頷いた。

 しかし、家森さんだけは画面を見つめて、一切こちらを見ようとしない。


「あー……うん。そうだね」


 まるで目を合わせれば面倒な何かが始まるとでも言いたげな態度である。そこで私は察した。こいつ、ペアで合格しないといけないこと知ってたな、と。


 もちろん、彼女を責める権利は私にはない。勘違いして我先にと帰還した訳だし。ただ、そんなルールを知ってたら、こんなことしなかった。尻尾を切って逃げるのはトカゲくらいだ、自分がトカゲじゃないのなら他の方法を考えるまでである。

 しかし、時既に遅し。粋先生に再ダイブが却下され、知恵はおろか家森さんにすら引かれ、先輩にはゴミを見るような目で見られる。えちょっと待って、なんで? 先輩の視線の理由だけ分からないんですけど?


『……みんなが帰ったから、やっと聞けるな』

『なんじゃ』

『あたしがここを通らなくても帰還できるって、知ってるか?』

『もちろんじゃ。前に何度か見た事がある。首に手を当ててカチン、じゃろ?』


 そうだろうとは思っていたけど、やはり彼女は通常の帰還操作のことを知っていた。それでもわざわざゲートを開いたのは、本人の言う通り、私達をとっとと消す為なのだろう。志音が裏切って普通に帰ってしまうリスクも理解しながら、そうまでしたということだ。……やっぱりちょっと重いよね、この子。


『主は、これからわらわがどうすると思う』

『なんだかんだ言って、ゲートからあたしを出してくれる。そうだろ?』


 姫の隣にあぐらをかいて座る志音だが、体格差が尋常ではない。身長140cmくらいの小柄な少女と、ざっくり170cmくらいあるゴリ子である。

 G子はとんちのような問題に優しく答えながら、隣にちょこんと座る少女の顔を、背を丸めて覗き込んだ。


『なぜ、そう思うのじゃ』

『あたしは帰還できるけど、しなかったぞ。お前もそれは分かってるだろ。お互いにやっちゃいけない事は分かってると思ってる。違うか?』


 かぐや姫は志音の言葉を聞きながら、涙ぐんでいる。時折頷いて息を詰まらせ、肩を震わせる。見兼ねた志音はその細い肩を抱くと、もう一度顔を覗き込んで「な?」とだけ囁いた。

 音声があって良かった。無かったら、心の中で「なぁ〜一発ヤらせてくれよ〜頼むよ〜いいだろぉ? 先っちょだけ! ……な?」というアテレコをしているところだった。


『笑のように、綺麗な者こそが至高だと思っていた。確かにあやつはこれまで見てきた誰よりも美麗であった。しかし、主らは、それぞれが個性的で、人の価値はそれだけではないと教えてくれた』

『……そうか』

『特に、志音。見た目はアレじゃが、優しいヤツじゃ』

『アレってなんだよ』


 あぁ、教えてやりたい。こいつ、前に見た目がって理由だけで、性犯罪者に仕立てあげられそうになったことがあるって。そうなんだよね、ホント、志音って、見た目がアレなんだよ。

 そして、二人は他愛もない話を始めた。といっても、かぐや姫ばかりが喋っている。元々アイツは多くを語りたがるタイプでもないし、特に遠慮している訳ではなさそうだ。

 少し気が抜けた私は、そこでやっと周囲を見渡す余裕ができたのだ。振り返ると、使用された痕跡のあるダイビングチェアの上が無人だった。

 近くでモニターを眺めていた先輩に聞くと、その椅子を使用した彼は、開始1時間ほどで、道を踏み外して怪我したらしい。大事を取って帰還させ、リアルでの影響の出方を調査中とか。


 怪我をしてリタイアすることになった隣のクラスの名も知らぬ男子と、巻き添えをくらった相方に同情してしまう。というか、少し罪悪感が湧く。

 彼らは正攻法で頑張ろうとした結果、こういうことになってしまって……法律の抜け道を探すが如く、とんでもない攻略法を見つけた私達の内、少なくとも2組が試験に合格しているのである。

 しかし、だからと言って彼らに遠慮して、受からなくてもいいやとはならない。絶対にゲートをくぐって帰ってきて、志音。罪悪感はそれなりに懐で温めたら時期を見てポイってするから。


『やはり志音は優しいの』

『はぁ? なんだよ、急に。おだてても一緒に居られる時間は伸びねーぞ』

『そういうつもりではないわ。主は優しい。が。その優しさを向けられるべき人間は他にいるようじゃの』


 胸にしまっていた大切な思いを告げるように、かぐや姫はそう言って、志音の手を握った。志音もまた、答える言葉が見つからずに、無言で握り返したようだ。


『あの中に、主の想い人がいるのじゃろう。その身を賭してでも、この試験に合格させたい輩が』

『……そうかもな。ごめんな、嘘ついて』

『あぁ、よい。分かったときは、怒りよりも驚きが勝った程じゃ。さほどショックではなかった。この免許試験には、毎年成績上位の生徒達が全力で挑んでくるのじゃ。利害の一致により力を合わせる者や、夢中になり過ぎて仲間割れする者はおったが、これほど自己犠牲が過ぎる者はなかなかおらぬ』

『まぁ、あたしにはあんまり魅力的じゃないからな。VR許可証。一番の理由はそれだよ。そんな大それたモンじゃない』


 志音は自分のネガキャンで忙しいらしく、隣の女が不敵な笑みを浮かべていることに、全く気付いていなかった。私は分かる、かぐや姫が何を言おうとしているのか。井森さんも気付いたのだろう、彼女の鈴を転がすような笑い声が聞こえた。


『誰なのじゃ?』

『……あのな、そういうんじゃねーから』

『よいではないか。わらわの純真を弄んでおいて、そんな態度を取るのか?』

『うっ……はぁ……嫌な言い方すんなよ……謝っただろ』


 志音は弱った顔をしていたが、ここで手を緩める彼女ではない。ここぞとばかりに教えろと志音を攻め立てている。

 あーあ、やだな。これまた私が気まずい思いするパターンじゃん。本当にやだな。そんな風に思っていたのも束の間、かぐや姫の発言でこちらの空気が一変した。


『夢幻は無しとして、主は元気なのが好きそうじゃから、知恵辺りかの』

『なぁ頼む。冗談でもこういう場面で知恵の名前出さないでくれ。マジで』

『なんじゃ、こりゃ重症じゃの。名前を聞くだけでも、というやつか』

『違ぇー! あいつはあいつで相手いんだよ! ヤバいヤツ! とにかく、知恵だけは絶対ないからな!』


 志音は慌ててかぐや姫の発言を無かったことにしようとしているようだ。隣からは「なあ、多分お前ヤバイ奴扱いされてるぞ」「まぁ自覚はある」という間の抜けたやり取りが聞こえる。え……自覚あったんだ……。

 志音の反応については分かる、同じ目に合ったら私も似たようなリアクションになると思う。あ、やめてやめて、致死量超える、みたいな感じになるよね。うん、それはいいの。そこじゃないんだよね。あのさ。


 ”夢幻は無しとして” って何?


 おかしくない? なんで無しとした?

 こんな村八分の食らい方ってある? あまりにも斬新だったせいか、今すごい新鮮な気持ちでこのやりとり見てる。いや、よく考えたら、自分がハブられるところ見たことある方がおかしいよね。


『っつか、なんで夢幻を無しとしたんだよ』

『? いや、ないじゃろ。無用な問答は避けたかったのじゃ、時間は限られておるしの』


 無用扱いやめてくださいー。

 もうやだ。やっぱり再ダイブして私という人間の良さをアピールしてきたい。

 というか、こんな扱いされてもムカつくけど、志音に名前を挙げれても困る。どっちに転んでも最悪ってどうなの?


 困った顔をしながら、志音は頭を掻いている。困ってるのは恋バナで”無き者”にされてる私だよ。


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