第138話 なお、湿布が欲しくなるとする

「私もステージに立ちたい」


 挨拶も何もかもをすっ飛ばした要求が、イヤホンから聞こえる。私達は錆び付いた機械のように、ギギギと音を立てながら菜華へと視線を向けた。


「なんじゃ貴様は」

「菜華」

「ふむ。して、何故じゃ」

「ここからではあなたの顔がよく見えないし」

「ふん、厚かましい奴め」

「顔を見せたくないの? なぜ? ……あ、悪いことを言った。誰でも人目に晒せる顔をしているとは限らない。配慮を欠いていた」

「その発言が既に無配慮なんじゃが?」


 ヤバい。

 ヤバい。

 菜華は趣旨わかってる?

 どれだけブチギレさせられるか選手権じゃないんだけど?

 知恵を見ると、苦々しい顔をしながらも、フォローとも言えないフォローを口にした。


「あいつなりにマジで謝ってんだよ、あれ……多分、この間、火傷や病気で顔が変わっちまった人達のドキュメンタリーを観たから、それを思い出したんだと思う……」


 なんてタイミングでなんてものを観てるんじゃ。悪気がないのは分かったけど、あの流れであれを言われたら普通怒ると思う。


「バカにしておるのか? わらわの顔を真横で拝もうなど百年早いわ、と言っておるのじゃ」

「そう……でも、私は百年も生きられない」

「い、一生無理という意味じゃ! 大体、話ならここからでも良かろう!」

「それじゃ駄目」

「む……何故じゃ……?」


 よし、かぐや姫が食いついた。ここで「可愛い貴方の顔をもっと近くで見たい」とか、適当に歯の浮く台詞を言えば、無礼を十分挽回できるはず。

 アンタらしくやったら絶対にうまく行かないとか思ってごめん。物陰に隠れていた私達だったが、声を上げずひっそりと色めき立った。そして、期待の眼差しを菜華に向ける。


「首が疲れる」


 おい誰かあいつをつまみ出せ。

 かぐや姫の前からじゃなくてこの空間から。

 押さえつけて強制送還しろ。


 千載一遇のチャンスを棒に振った挙げ句、その棒でかぐや姫をバキボコにぶん殴ったのだ。知恵は申し訳なさそうな顔をして額を押さえている。多分、私が何かをやらかした時には、志音も似たようなリアクションをするんだろうなぁ。


「菜華、聞こえるか。もうちょっと気の利いたこと言ってくれ。頼む」


 振り絞るような声が正面と左耳から、ほぼ同時に聞こえる。菜華にも指示が届いたのか、彼女はかぐや姫を見つめていた。


「貴方は首、痛くない?」

「違う菜華、そうじゃない」


 知恵は慌てて間違いを指摘してるけど、もうあそこまで言ったら訂正できないよね。はっきり言って私達では手に負えない、無理。相方なんだから責任持ってアンタがどうにかして。

 あと、家森さんと井森さんは、いつまで私の体にべたべた触ってるんだろう。


「なぁ知恵」

「んだよ」

「あたしから指示出しちゃ駄目か?」

「別にいいけど……なんて言うつもりだよ」

「まぁ見てろって。おーい、菜華。聞こえるか? あたしだ、志音だ」


 志音はあくどい笑みを浮かべて菜華に語りかけた。まるでこの世のバナナを独り占めしたゴリラのような顔である。


「かぐや姫のこと、知恵だと思って接してくれよ」

「はぁ!? おい、お前!」

「まぁヤバくなったらお前が止めればいいだろ」


 この女、まさに極悪非道である。

 場を引っかき回しておいて、一番面倒な部分を放棄するとは。

 しかし、そうするのが早いことは、実は私も気付いていた。というか、家森さん達も気付いてたと思う。提案しなかったのは、かぐや姫の身を案じてのことである。いや、少なくとも私はそうだった。


 少し考えるような素振りを見せたあと、菜華はかぐや姫の制止を無視して、壇上に上がった。あまりの強引さに、見てるこっちがヒヤヒヤする。


「こ、こら! 貴様!」

「もっと近くに居たい。あなたの意思は聞いていない」

「なっ……!」


 うわ、想像通りだ。

 私達は知恵を気の毒に思い、視線を送る。いつもこんな風に振り回されてるんだなぁと思うと、不憫で仕方がなかったのだ。


「ち、近いぞ!」

「和服は脱がせたことがないので、上手くできるか分からないけど……」

「何故脱がそうとするのじゃ!?」

「おい菜華、やめろ」


 ごめん、こんなに酷いと思ってなかった、予想以上、もう完全に予想以上だよ。というか予想外だよ。

 知恵が菜華にストップを掛けて、かぐや姫の貞操を守ることは出来た。しかし、挽回はさらに厳しくなってしまったと言わざるを得ないだろう。


「ねぇ……いつもあんななの?」

「……聞くな」

「なんつーか、すげぇな……」

「悲しいことにあたし、あいつに力で敵わないんだよな……」

「それもう暴行では?」


 この間、家森さんと井森さんは閉口していた。私が菜華の罪状を問うと、しばらくしてから、家森さんが「やば……」とだけ呟いた。

 あいつは下げて、別の人間を向かわせた方がいい。というか、だから私を向かわせろと言ったのだ。絶対にあれよりかは上手くやれる。


「その、冗談のつもりだった」

「帯に手をかけておいてか!?」

「……ギター、聴く?」

「話を逸らそうとしても無駄じゃ!」


 菜華なりに頑張ってフォローしている。最初からギターを出しておけば、まだマシだったろうに。というか、私達と居る時はジャカジャカ弾いてたくせに、なんでこういう時に使わないの? バカなの?


「無駄、じゃが……ギターというものを聴いてやるくらいなら、よいぞ」


 恐らく、彼女はギターの生演奏なんて聴いたこともないだろう。あの口ぶりからして、もしかすると存在すら知らないのかもしれない。ここからでは表情は窺えないが、声色は若干の期待を孕んでいた。


「分かった」


 気分が乗った時の菜華が奏でる早弾きとは全く赴きの違う、のんびりとした演奏だった。私これ知ってる、コードって言うんだよ。何コードかは知らないけど。


「かぐや姫」


 菜華は手を動かしたまま話しかける。弾きながら喋れることに感激したのか、それだけで「おぉ!」という声がイヤホンから響いた。


「クイズ」

「くいず?」


 かぐや姫が乗ってきそうと判断すると、菜華は手を止め、ギターを見せた。


「ここと、ここ。順番に押さえて、1つずつ音を出す。1秒以内にできると思う?」

「む……それくらいなら、どうじゃろうか……うぅん」

「もしできたらどうする?」

「……できても扉は開かんぞ」

「ハグでいい」

「抱擁か、分かった」


 え、こわ。私は知っている、二つの音を1秒以内に出すくらい、彼女にとっては雑作の無いことだと。なんとなく1秒って一瞬に感じるけど、案外長いんだよ、かぐや姫。


「うわぁ、なんかバンドマン特有の誑かし方って感じだね」

「知恵はなんて答えたんだ?」

「なぁ、いま気付いたんだけど……これじゃ、あたしらが二人のときにどんな話をしてるか筒抜けって感じにならないか?」

「え。気付くの遅くない?」


 つまり知恵達は二人きりになったら性的に触れ合ったり、ギターを使ってイチャついたりしてるんでしょ。よく分かったよ、そして概ねイメージ通りだったよ。


「う……」

「う?」

「……うがー!!」

「ばっ! 静かにしろよ!」


 羞恥心で発狂しだした知恵の体と口を押さえて、私達はアサシンのように彼女の動きを封じる。取り押さえ終わった頃には、かぐや姫が菜華の首に手を回していた。


「まぁ、あいつにとっちゃ余裕だったろうな。あんなの」

「だろうねー、あはは」

「数々の無礼を働いてしまったけど、もしかしたらこのまま上手くいくかもしれないわね」


 菜華は、続けて音を一つ増やして、先程と同じことができると思うか、姫に問うた。続けて、成功の報酬として、頬へのキスを要求している。腕を組んで少し悩んだあと、かぐや姫は「わかった」とだけ述べた。


「予め言っとくけど、これは試験攻略の為なんだから、妬かないでね」

「……っていうか、あたしが妬く訳ねーだろ」

「えぇ……今さらそこ否定するの……?」


 まさかと思うけど、コイツ、この期に及んで菜華と何も無いなんて言うつもりじゃないだろうな。知恵の往生際の悪さに身震いしていると、微かにギターの音が聞こえた。難なくクリアしたようだ。


「こなすとはのう。まぁよい、約束は約束じゃ」


 そして、ちゅっという音がやけに大きく聞こえる。おそらくは、左側にされたのだろう。そちらの耳にはイヤホンがある。たまたまだとは思うけど、見せつけるように響くその音に、知恵の眉はぴくりと反応していた。


「だから、ね?」

「平気だって。そもそも相手は子供だろ?」


 だったらその眉間に集めたシワを解散させろ。

 心の中で悪態を吐きつつ、私は舞台の上に視線を戻した。


「じゃあ、5つは?」

「それはさすがに無理じゃろう」

「やっぱり?」

「あぁ。無理じゃ」

「できたら、どうする?」

「できるものならやってみるがよい、その暁には子安貝を免除してやろうぞ」


 私は耳を疑った。まさか、3つの課題の内、1つを無効化するとは。すごい、どうせ何の成果も残せないと思われていた菜華が、とんでもない成果を上げてくれた。

 一呼吸空けて響くギターの音。宣言通り5つの音をちゃっと弾き、かぐや姫を感動させる。

 よいじゃろう。そう言うと、かぐや姫は背後に手を伸ばし、ステージの壁に手のひらをかざした。ぼやぁと、徐々に明るくなる壁は、常夜灯くらいの明るさまで光ると、それ以上強く輝くことはなかった。


「この調子で残り二つも免除してもらえると有り難いんだけどな」

「それは私達次第でしょ」


 ぼんやりとした光を眺めたまま、私は不敵に微笑んだ。


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