インターバル
第130話 なお、セキュリティとする
うるさい蝉、人でごった返す行楽地、早めに遊びにくる台風、夏真っ盛り。
相も変わらず、私は志音の部屋でテレビを観ていた。身に付けているショートパンツとTシャツは私専用。くまむらで500円だったらしく、私の部屋着にと志音が買ってきてくれた。試しに着てみたけど、おかげさまでサイズはピッタリだ。
これでお泊まりの度に、志音のお下がりを着なくてもいい。
「Mサイズなんて買うの、初めてだったぞ」
「何? 嫌味? 私はSサイズすら経験あるけどね」
「へぇ、すげぇな」
「素直に感心すんな! やっぱ嫌味か!」
そして、私は志音にお金を渡した。どっちも500円だと言ってたので、お札一枚、くしゃくしゃにして無理矢理服にねじこんだ。
「やめろ! ストリッパーのおひねりじゃないんだぞ!」
「なんでそんなこと知ってるの? こわ」
「忘れてくれ」
志音はポケットにねじ込まれた千円札を私の頭に乗せると、いらねぇよと言った。そういうワケにはいかない。ただでさえ、浴びるようにこの家のジュースを消費しているのだ。あとゲームもバカスカやってるから、電力も。その上、服まで買ってもらうなんて、越えちゃいけない一線を越えている感じしかしない。
「いいんだよ、別に。あたしが勝手に買ってきただけだし」
「ダメだって! っていうか、それは志音のご両親のお金じゃん。志音が勝手に人に使ったりしちゃダメだよ、分かってる?」
「お前が着替えを用意して遊びに来りゃいいだけなんだけど、分かってるか?」
私達はしばらく睨み合うと、どちらからともなく、視線を逸らした。そして、テレビを見つめる。特に面白いものはやってない。
お互いに口にしなくなったけど、私はこの服の分の借りをどうやって返そうか、考えていた。
「分かった」
「あ?」
「1000円分楽しませてあげよう」
「……はぁ?」
志音はよくやる”バカかてめぇは”という表情をして、私を見た。
しかし残念、私はどちらかというと馬鹿ではなく天の才である。あまり見くびると痛い目を見ることになるのは明白。早速、私が考えた1000円分のお楽しみイベントを教えてあげるとする。
「あんたの家の向かいの豪邸に、ピンポンダッシュならぬ、セコムダッシュを仕掛ける」
「それはごめんなさいじゃ済まされないヤツ」
「志音の服を着て、ね」
「服買ってやって犯罪の濡れ衣着せられるって恐ろし過ぎるな」
かなりスリリングで楽しいと思うんだけど、志音はお気に召さないらしい。仕方がないので、他のアプローチを考えることにする。
私が難しい顔をしている隣で、何故か志音まで真剣な顔をして唸っている。
何? うんこでもしたいの?
「よし、わかった」
「何よ」
「あたし、お前の手料理が食いたい」
「えー? もう……未確認飛行物体的な名前のアレと、ヌードル的なアレ、あとはタヌキとキツネ的なアレがあるけど、どれがいい?」
「全部お湯注ぐだけじゃねーか」
仕方がないというリアクションをしておいて料理する気が無いってどんだけだよ、志音は呆れながらそう言った。誰も料理が得意なんて言ってないし。っていうか、礼として人に振る舞えるようなものを作れるって相当じゃない?
めちゃくちゃ言うなコイツ、とドン引きした視線を志音に飛ばしつつも、私はどうしたら服のお礼ができるかを考えた。
「いや、そんな目で見られる覚えねーよ。お前初っ端に自分が何を提案したか言ってみろよ」
「セコムダッシュ」
「そもそもこっちはそんな単語初めて聞いたんだよ」
セコムダッシュを知らないとか、遅れてる。可哀想に。じゃあ派生のアルソックダッシュも知らないのかな。
そうして気が付いた、1000円分の恩返し。これならきっと志音も気に入るはず。
「じゃあ、私が今日一日、志音にセコムする」
「"じゃあ"!? なんのじゃあだよ! 意味分かんねぇよ!」
「動揺しないで、私が守ってあげるからね」
「強いて言うならお前に
どうやら志音は遠慮しているらしい。謝礼とはいえ、1000円で札井セキュリティを一日体験出来るとは、幸運なことなのに。
「まぁいいや、守ってくれんのか」
「そう。徹底的にね」
「じゃあ今日は泊まってくのか?」
「あー……」
夕飯前に帰るつもりだったけど、それではセキュリティとして不完全だ。夜こそ脅威が迫りやすいのだから。どうせうちのお母さんは私が居ないことにまだ気付いてないだろうし、連絡さえ入れれば問題無いか。
「分かった、明日まで極上のセキュリティを提供してあげる」
「よく分かんねぇけど……ま、いっか」
そう言うと志音は立ち上がって、机の上にあった青い袋に手をかけた。気になってはいた、アレは貸しディスク屋の入れ物だ。
普段の私なら「あーあ、こんなところにアダルティなビデオを置きっぱなしにして、私が来る時はちゃんとしまってよね」と思うだけだが、今は違う。今の私は、言ってしまえば、金で雇われたスペシャリストなのだ。
「それ……!」
「あぁ、たまには映画でも見ようかと思って。夏だし、ホラーにしてみた。ホラー大丈夫だよな? お前の方が怖いもんな」
「私がホラーを大丈夫とする根拠が納得できないんだけど、とりあえず中身をチェックするから貸して」
「えぇ……」
私は受け取った袋の中身を入念にチェックする。パッケージには1900年代の名作ホラー映画のタイトル、他には日付が記載されたレシートが入っていた。
「何もないだろ?」
「とりあえずはね。入念にチェックしたいから、これは持って帰るね」
「返却期限過ぎるからやめような」
取り上げられたディスクは、そのままテレビの下のデッキへと飲み込まれていった。テーブルまで戻ってきた志音がリモコンを操作すると、中身が再生される。
かなり昔からストリーミング配信が主流になっていたけど、最近は古い家電が見直されている影響で、ディスクの貸出まで息を吹き返しているらしい。自分の部屋にこんなアンティークな家電まで完備されてる辺り、こいつは本当に恵まれてると思う。ムカつくから帰る前にディスクの取り出し口に煎餅入れようかな。
映像をしばらく眺めていると、既視感を覚えるシーンがいくつかあった。あぁコレ観たことある気がする。確かに暇潰しには最適かも。百年以上前の映像作品は趣きがあって嫌いじゃない。その辺に転がっていたクッションを抱いたまま、私は画面を食い入るように見つめた。
集中し始めた頃、何かを叩く乾いた音が部屋に響いた。
「わぁ!?」
「あぁごめん、蚊がいて」
「なんで大きい音立てるの!? いまホラー観てるじゃん!?」
「だからごめんって」
「っていうか蚊!? ふふ……札井セキュリティが発動中と知っての狼藉か……」
「多分知らないと思うぞ」
志音には一時停止をかけるように指示し、私は狩りへと駆り出した。周囲を万遍なく睨み付けながら、敵の挙動を探る。
「蚊くらい、いいってのに」
「妥協はできない。私には返すべき恩があるから」
「そこだけ聞くと滅茶苦茶かっこいいな」
ベッドの近くに転がっていた殺虫剤を見つけ、いつでも噴射できるように構える。後頭部に志音の呆れた視線が突き刺さっている気がするけど、今は気にしないことにした。そして、視界の端を何かが横切る。私の反射神経を舐めちゃいけない。
「そこだ!」
「あたしの枕に殺虫剤かけるのやめろ!!」
目標は、私をあざ笑うように耳の近くを飛んで行く。これみよがしに、羽音を立てて。
「ちっ……! 逃げられたか……!」
「はぁー……あたし、替えの枕持ってくるな」
そう言って志音は立ち上がった。私は聞き捨てならない発言に困惑する。
「替えの枕なんてあるの!?」
「ゲストルームの枕使うだけだぞ」
「ゲストルーム……!?」
それはね、ダメ。いけない。絶対に刺客が潜んでる。っていうか、そんな部屋あるの? わたしが泊まりに来た時、その部屋に使わせてくれれば良くない?
「ゲストルームは駄目だぞ、お前は泊まれない」
「なんで?」
「ライターとか置いてあるからな」
「私は赤子か」
強いて言うならおなごなんですけど。まぁ、志音が私をそこに泊めたくないのは分かる。ご両親の客人用だろうし、あと出来るだけ一緒に過ごしたいんだろうし。なんか恥ずかしくなってきた、膝カックンでもしようかな。
部屋から出て、廊下を歩く志音にピッタリとくっつく。腰を落とそうとした時、私が動くよりも先に志音が振り返った。
「ついてくんな。って、近っ」
「膝カックンしようとしただけだよ」
「やめろよ」
志音は右腕を背中側に伸ばすと、そのまま進んだ。こんな風にされたら密着できない、膝カックンできない……。私は諦めて距離を取ると、床に手をついて、志音の膝の裏へ、回し蹴りをした。
「いってぇな!」
「よっしゃ!」
志音は前方へ転倒。肘からフローリングへと崩れた。
うわ痛そう。肘の骨欠けそう。
「格ゲーの下段キックみたいのやめろ!」
「でも……片腕で私の膝カックンを防げると思い上がった志音が悪いよ……」
「その言い回しと困った表情腹立つ……っていうか、札井セキュリティとやらはどうなったんだよ!?」
「何それ、分かんない……」
土壇場でしらを切ると、「おうおういい度胸してんな、てめぇ!」という、ヤクザ映画のような啖呵が廊下に響いた。
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