第116話 なお、恋に理由なぞ無いとする

 まぁ……分からんでもないな。


 あたしは一人、泉に映った自分の姿を見て、納得していた。大きな手足、鋭いツメとキバ、あと何故かタテガミ。そう、あたしはライオンになっていた。

 タテガミってオスだけだろ。そんなところで性別の壁越えんなよ。水面を睨みつけながら、ため息をつく。

 ぐるるという声が聞こえてハッとしたが、すぐに自分の声だと気付いた。そうか。ライオン、なんだもんな。


 試しに喋ってみたけど、完全にただのライオンの鳴き声だった。

 そこでさらに、重大なことに気付く。元々ここに住んでいる生き物達とあたし達、どうやって区別をつけろというのだ。

 ダイブのタイミングの違いか、それともここはそういう空間なのか、とにかくあたしらは全員離れた場所に飛ばされたようだった。そして、この通り、変身してしまえば、喋ることすら叶わず、完全に動物になってしまう。


 ヤバいんじゃないのか?

 いや、何の為に夜野達がリアルで待機してるんだ。おそらくは中の様子が確認できたら調整してくれるはずだ。当面はここに元々住んでいる動物達に怪しまれず、溶け込む事が最優先事項だろう。


 試しに少し歩いてみるが、手を使って歩く、違和感がすごい。しばらくは動き回って、体を慣らす必要がありそうだ。

 泉の周りをぐるぐると回っていると、頭の中でチャイムのような音が鳴った。立ち止まって耳をすませてみると、粋先生の声が頭に響く。


「やっほっほ、聞こえる? そっちの様子はよく見えないから君らに任せるけどさ、とりあえず、翻訳機付けといたからさ。生徒達の間では上手く機能すると思うよ。ラーフルくらい知能が高ければ、こっちの生物とも意思疎通できるようになるかもしれないけど、それはあんまり期待しない方がいいかなー」


 思ってた以上に対応が早いな。そう言ったつもりだったが、やっぱりあたしの口からは「がお」という鳴き声が出ただけだった。しかし、粋先生には伝わったようだ。


「まぁね。合流しようがないじゃん! って気付いちゃって。それじゃ、不安定な空間にこれ以上リアルから干渉したくないから、そろそろお暇するよ、任せたよー」


 そうして、声の気配は遠ざかっていった。

 翻訳機とやらの試運転も出来たし、動きにも慣れたし。そろそろみんなを捜しに行くとするか。

 どの方向に進もうか迷っていると、とんでもないスピードで青い何かがすっ飛んできた。身構える暇すらなく、あたしは全身の毛を逆立てるくらいの事しかできない。


「なぁ! やべぇよ! お前も一緒に来い!」

「は、はぁ?」


 いきなり分かる言葉で話しかけられて驚いた。先生は現地の連中と意思疎通するのは難しいだろうと言っていた……つまりこいつはあたしらの中の誰か、ということになるのか。

 いや、青い狼っぽいキャラなんて、あたしらの中にはいないし、第一あの仮面はなんだ。こんな動物見た事ない。まるで、ラーフルのような……そうか。


「お前……ここのヤツか」

「何言ってんだよ! いいからオレについてきてくれ! 逃げるぞ!」

「お、おう」


 よく分からないが、何かしらの脅威が迫っているらしい。あたしは青い狼の後を必死で追いかけた。一応、あたしにスピードを合わせてくれているようだが、四足歩行一日目なんだ、いきなり全速力ダッシュはキツい。

 ヤツは余裕そうに振り返って、あたしに声をかけた。


「ここらじゃ見ない顔だな!」

「ちょっと事情があってな。あたしは志音ってんだ」

「そうか! オレはエンジンだ! よろしくな! って、お前メスか!?」

「ほっとけ!」


 エンジンの言いたいことも分かる。ライオンという生き物を知らなくたって、あたしの外見はオスっぽい。意思疎通出来てるって言っても、実際に口から発せられているのは言葉じゃなくて、それぞれの鳴き声だし。今のあたしにメスの要素なんて……。


「ホントだ! ついてない!」

「死ねや!」

「ぎゃあ!」


 いつの間にか後ろに周り込んで、他人様の股間を凝視していた不届き者に蹴りを入れる。

 いくらあたしがアレだって言ったって、さすがにむき出しの股間を観察されるのは嫌だ。っていうか、有り得ねーだろ、今さら死にたくなってきた。


「……もういい。とりあえず、どこに向かってるのかだけ教えろ」

「あぁ! オレたちの村だよ!」

「村があるのか!?」

「そうだ! お前、本当によそ者なんだな。今までどこに居たんだ?」

「あ、あー……と」


 人間だという事実はまだ伏せておいた方がいい。つまり、あたしはライオンとしてのこれまでの経歴を偽る必要がある、ということだ。


「ふらふらしてたよ、定住するなんて発想、無かったな」

「そうだったのか、大変だったな。ちょうどいい、志音もオレ達と暮らそうぜ!」


 見た目はかなり悪者っぽいが、いい奴そうだ。あたしは礼を言ってから、あることを尋ねた。ラーフルのことを聞きたいのはやまやまだが、今はそれよりも重要な事柄がある。


「で、あたしらは何から逃げてるんだ?」

「それが……分からないんだ……」

「は、はぁ……?」


 見た事もない生物が居た。これが噂に聞く”ニンゲン”か、と思ったらしいが、どうやら違ったようだ。というのがコイツの結論だ。


「オレ、ニンゲンは会ったことない。でも、声は聞いたことがあるんだ。言葉が似てると思ったのは、ほんの一瞬だった」

「そうなのか……」

「あいつも見た事のないヤツだったなぁ……もしかして、お前の仲間か?」

「え!?」


 どうすべきか。今後、あいつらと合流して行動を共にするんだから、下手に知り合いなんていないと否定するのもマズい気がする。しかし、ここまでエンジンが警戒しているものを仲間扱いするワケにも……。


「そうかもな」

「かもって?」

「あたしの仲間は確かにいる。はぐれちまったんだ。でも、仲間じゃないヤツにもたくさん会ってきた」

「本当か!? オレ、ここには長いけど……知らないヤツになんて、ほとんど会わないぞ」

「まぁ、運だろ。いいことなのか、悪いことなのかは分からんけどな」


 こう言っとけば、どっちに転んでも大丈夫だろ。あたしは窮地を凌いだ安心感からか、あることに気が付いた。

 自分の走るスピードに、やっと頭が追いついていたのだ。車に乗ってるような速度なのに、自分で動いてんだ。なかなか処理が追いつかなくて苦労したが、着実に体が馴染んできている。それを確信した。


「あれが志音の仲間だったとしたら……連れてかなくちゃダメか?」

「そもそも、エンジンはどうしてそいつをニンゲンじゃないと判断したんだ?」

「四足歩行だったんだ。ニンゲンは前足を使わずに歩くんだろう?」


 なるほど。

 この話し振りだと、エンジンが住んでる村に行けば、もっとニンゲンについて深く知っている動物が居そうだ。それがラーフルだったりすると、すごく手っ取り早いんだけど。どうせ、そんな簡単には行かねぇんだろうな。


「それに、ニンゲンはすごく頭のいい生き物なんだ。口から複雑な音をたくさん出してコミュニケーションを取る。でも、あいつにはそれが無かった」

「無かったって?」


 つまりは単調な鳴き声だけだったのか。

 四足歩行、言葉とは思えない鳴き声。どうやら本当にあたしの連れじゃあないらしい。半ばがっかりしながら、質問を戻す。


「で、何が怖いんだ? そいつ」

「げひげひー! って言いながら追いかけてくるんだ!」


 上達したと思っていたダッシュだったが、エンジンの言葉を聞いた瞬間、足がもつれて転倒。あたしは草原の上を派手に転がった。


「志音!? 大丈夫!?」


 大丈夫だぁ? 大丈夫なワケねぇだろ。

 アイツ何考えてやがるんだ。げひげひと何度も言う、つまり、恐らくは何度試しても変身が上手くいかない状態であること。そして四足歩行。

 大方、変身が済む前にエンジンに出くわしたから、咄嗟にワケの分からない生物のフリをしたんだろう。

 こんなアホかつ大胆かつ、恥を捨て切った行動を取れるの、一人しかいねぇ。

 夢幻だ。ぜってー夢幻だ。


「……あたし、なんであいつのこと好きなんだろ」

「なんか言ったか?」


 転んだ体勢のまま呟くと、駆け寄ってきたエンジンが聞き返してくれた。

 なんでもねぇ、気にしないでくれ。ただの切実な自問自答だ。

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