第115話 なお、捨てる恥すら、あんまり持ち合わせていなかったとする
ナノドリンクを一気して、コップをテーブルに叩きつける。ヒビが入った気がするけど、気にしない。というか、そんなことを気に掛けている余裕は無い。
しかし、そんなことをしても、モニターに表示される粋先生のだらしない笑顔は、頭から離れてくれなかった。なんてことないような顔をして、あの人はとんでもないことを言ったのだ。
「一応言っとくんだけど、いやー多分大丈夫だと思うんだけど、混ぜたトリガーのデータがどんな風に作用するか、あたしにもはっきり分かんないっていうかー。もしあっちに着いた瞬間みんなの身に何かあったら、そのときはごめんねー死ぬかもー」
ごめんねーじゃないわ。なんでついでみたいに言うの? それいの一番に言わなきゃいけないことじゃない?
っていうか、ん? 死? そのレベルの事がごめんで済んだら警察は要らないんだよ。国家的な組織を壊滅させる気か、この女は。
元々その気は感じていたけど、私はこれを言われた時に確信した。あの人は所謂、マッドサイエンティストなんだと。
ダイブ前に唐突な死の恐怖に晒された私は、なかなかトリガーを装着する事が出来なかった。仕方がないと思う。というか、したら逆におかしいよね。鬼瓦先生に発破かけておいて何だけど、むしろこれは戸惑ってしかるべきだよね。
辺りを見渡してみる。6畳くらいの狭い空間に、ダイビングチェアがぽつんと鎮座している、まさにその為だけの部屋。
壁に沿うように置かれた棚に、乱雑に置かれた鞄。この部屋に入ってきた時に、私がそこに置いたのだ。とんでもない補足情報を聞かされる前の、10分くらい前の出来事がすでに懐かしく感じる。
あの時の私は、1秒でも早くダイブしたいと思っていた。しかし、粋先生のとんでもない一言から、既に5分程経過している。志音達はもうダイブしているだろうか。
ぼーっとしていると、再びモニターが点いた。夜野さんだ。
「えーと、いきなりのことでびっくりしてると思うんだ? そりゃそうだよね、死ぬかもしれないって事だし。ウチも言い忘れててごめんねー?」
だからごめんねーじゃないが。
私は呆れた顔を隠そうとすらしなかった。そして、彼女は続ける。
「向こうに行く決心がついたら、いつでも札井之助のタイミングでダイブしてね。ちなみに、他の三人はもうダイブしてるから」
それを聞いた私は、絶句した。ある意味、死ぬかもしれないと言われた以上の衝撃を受けて、完全に言葉を失ったのだ。
え。あいつら、あれ聞いて一切ビビらなかったの? ヤバくない?
心の痛覚みたいなものが退化してるの?
わたしは覚悟を決めた。握り拳を作って、自らを鼓舞する。
やるしか、ない。
「先生」
「まだいたの……どったの?」
「トリガーを噛みたいのはやまやまなんですが、奥歯が突発的に虫歯になって噛めません」
「反対の歯でやりなよ」
「大変です! たったいま虫歯になりました!」
「はよ行けや」
3人で言わなくてもいいじゃん……。
私は失意に見舞われながら、トリガーを噛んだ。
目を開けると、周囲は森だった。
誰もいない。そう、誰も。志音達も、動物達も。
私はまず、自分が無事にバーチャルに来れたことに、胸を撫で下ろした。ダイブした瞬間、死。という事態は免れたようである。
そして、動物達がいないことにほっとした。ここまで対策をしておいて、ダイブ先に彼らが居たら、苦労が水の泡だ。
「げひげひ、か……」
台詞のせいであまり気は進まないけど、とりあえず動物に変身しよう。私はカードを握って呟く。なんなら今の小声で変身してくれても良かったんだけど。
しかし、現実はそんなに甘くないらしい。普通に話すくらいのトーンで言ってみる。が、変化は無い。
「えぇ……そんな大きな声で……? いやだな……」
しかし、やるしかない。変身できないということは、ここから動けないということを意味する。ここから動けないということは、ほぼ100%の確率で、仲間達に会えないということを意味する。
それだけは駄目だ。
私は声の大きさ等には囚われず、今までアームズを呼び出してきたように、自然に発声した。
「げひげひ!」
次の瞬間! 私の体をまばゆい光が……!
包まなかった。
何も起こらない。
なにこれ。これじゃ、奇声発しただけのヤバい人じゃん。
私は額に手を当てて考える。他に何かしろって言われてた?
いや、そんな指示はなかったはず。でも、人の話を聞かないことに定評のある私が、こんな風に記憶を辿ってもあまり意味がない気がする。
「げひげひー!」
何度も言っていたら、少しずつ慣れてきた。さっきよりも大きい声が出せたと思う。まぁ変身しないんですけどね。
どうしたらいいんだろう。
頭を抱えていると、背後から、草を掻き分けるような音が聞こえてきた。咄嗟にどこかに隠れようと顔を上げたが、時既に遅し。
私達の間にあった大きな葉がばさりと動いて、物音の主の顔がはっきり見える。
「ばうっ!!」
「!?」
そこには、青い狼のような獣がいた。左側だけ、白い仮面のようなものをつけている。全然見た目は違うけど、似たような獣を見かけたことで、この空間のどこかにラーフルがいるという期待がぐっと高まった。
しかし、それどころではないのである。そう、私はまだ人間の姿。彼らと遭遇してはいけない見た目をしているのだ。
いや待て! ここで話をしてみて、人間に敵意を持っていないことを確認できたら……!? 私、動物にならなくてもいくない!?
動物にはなってみたかったよ? でも、”げひげひ”だと上手く気持ちがこもらないっていうか、変身できないっていうか。
私はできるだけ優しげに彼(?)に話しかけてみた。
「あの」
「ウゥ……!」
姿勢を低くしてこちらを睨んでいる。さすがの私でも、歓迎されていないということくらいわかる。
うん、ヤバい。
まず、当たり前だけど、日本語は通じない。っていうか通じるラーフルがすごいんだ。普通に考えて、通じる前提で語りかけちゃ駄目だよね。
そして、おそらく彼らは”人間”を快く思っていない。これは私の勘だけど、きっと彼は耳がいい。私の奇声を、対面するまでに聞いていた筈だ。しかし、彼の表情がこんなに険しくなったのは、私が話しかけようとしてからだ。
つまり、変身はできないが、どうにかして彼に”私は人間ではない”というアピールをしなければいけないということだ。
そうと決まれば話は簡単だ。
必要なものなんて何も無い。
ただ、あると邪魔なものが一つだけある。
恥だ。
「げひげひーー!! げひーーー!!」
私は四足歩行で、顎をしゃくれされながら奇声をあげた。
こうなったら、こういう生き物だと認識をしてもらうしかない。
私はその辺を歩き回りながら、げひげひと言い続けた。
まだ疑われているだろうか。というか、そもそも「この人間は何をしてんだ」って思われていないだろうか。あわよくば、友達になりたそうな顔で私を見ていないだろうか。
もうそろそろいいかな。普段は四足歩行なんてしないし、思っていたよりも疲れてしまった。休憩がてら、私は狼くんの顔をちらりと盗み見た。
「あぉ……」
何ドン引きしとんねん。
こちとらやりたくてやってるワケじゃないねんぞ。
私は言い知れぬ怒りを覚え、奇声をあげながら、四足歩行のまま、狼君に駆け寄った。
「キャン!?」
「げひげひ! げひげひっ!!」
「あおーん! あおーん!」
狼君はとてつもないスピードで居なくなってしまった。すごい。あんなに足が速いなんて。前に志音とバイクで狼を追いかけたことがあるけど、あの子が相手だったら全然追いつかなかっただろうな。しかし、これからどうしよう。
私はしばらく、四本足で立ち尽くしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます