第112話 なお、寂しいとする

「ということなんです」


 丁度リアルに戻っていた鬼瓦先生からトリガーを取り上げて、粋先生は夜野さんが提案した策を手短かに伝えた。

 彼女は身長だって私より低いし、どちらかと細身だというのに、トリガーを取り上げる時、鬼瓦先生が力負けしているように見えた。それだけ衰弱しているということだろう。2メートル近く、男性の中でもガタイのいい彼が、華奢な女性に片手で押し戻されるとは。やはり、しばらくダイブは控えた方がいいと思う。このままでは、先生まで……。


「……理屈は、分かった」

「はい、ただ無駄足に終わる可能性も大いにあります。私だって、ラーフルが鬼瓦先生の半身だということは、同僚としてよく理解しているつもりです。そこでどうでしょう、先生はこのまま探索を、バーチャルプライベートにはこの子達を向ける、というのは」

「……ダメだ」


 はい?

 え、この流れで断られる要素あった?

 大丈夫? 先生? 私達、お金なんて取らないよ? なんで?


 てっきり「よろしく頼む」と言われるとばかり思っていた私達は、呆気にとられたまま、彼を見つめた。しかし、粋先生だけは違った。暗い顔をして、まるで彼がそう言うのを分かっていた、というような顔をしている。

 表情を見ると、簡単に説得出来るようには見えない。彼は粋先生からトリガーをそっと取り返すと、尻もちをつくようにダイビングチェアに座った。


「先生! 自分で見つけたいのは分かります! でも、それじゃあせめて、ダウジングカードを使った捜索を手伝わせて下さい!」


 私はつい大きな声で抗議する。

 彼の気持ちなんて、全く分からない。一人で捜すことに拘るなんて。


「……ありがとう、札井。しかし、そうじゃないんだ」

「へ?」

「粋先生、私が断る意味、分かりますね?」

「……うん、そう。鬼瓦先生の思ってる通り。材料にしたデータは、最適化の為に書き換えたり一部を消されたり他のデータに統合されたり、つまりは原型を留めなくなる。不純物を混ぜるような空間の作り方はした事がないけど、理論上そうなるのは明らか」


 そんな……。

 じゃあ、そもそも空間を新しく作って、それがラーフルと繋がってるかも分からないし、繋がってたとしても、連れ戻せるかも分からないのに……

 それなのに、確実にトリガーに蓄積された何年ものラーフルのデータは消えてしまう、ということ……?


 そんなことがあっていいのか。

 そんな、不条理なことが。


 苦しそうな息づかいが聞こえてきて、そちらに目を向けると、知恵が声を押し殺して泣いていた。私達の中でも、一番彼を可愛がっていたのは知恵だ。元々泣き虫だし、むしろここまでよく我慢したと言うべきだろう。


 かく言う私も、実は半ベソだ。

 データが記憶されたトリガー。それはつまり、ラーフルがリアルに残した唯一の実体だ。成功するかどうかも分からないものに対して、それを賭けろだなんて、絶対に言えない。


 ……あれ?

 ちょっと待てよ?

 私はあることに気付いて、口を開いた。


「俺が、臆病なのは分かっている、しかしこのトリガーのデータはラーフルの……」

「そもそもラーフルなんですか? 解析不能なんですよね?」

「し、しかし、通常はこんなものは」

「通常のトリガーには無いキャッシュが発現しても、何ら不思議ではないのでは? それはラーフルのデータとは言えないのでは? 関わりがあるとしても、ラーフルの糞レベルのものの可能性もあるのでは?」


 そこまで言うと、夜野さんが頷きながら、「その可能性も捨てきれないね」と言ってくれた。

 しかし、志音と知恵から向けられる視線は冷ややかだ。いや、冷ややかというか、おぞましいものを見る目付きというか、とにかく「こいつマジかよ」という顔をしている。


「夢幻、お前さ、わかるだろ。長年連れ添った相方だぞ」

「うん、でもあのデータはそうじゃないかもしれない」

「だけど……」

「ねぇ粋先生。例えばそのデータを使って新しいバーチャル空間を作ると、データだけがダメになるんですよね?」

「? どういうこと?」

「それに関わる人間の記憶とか、そんなものは……消えないですよね?」


 それを聞いた粋先生は、きょとんとしたあと、すぐに大声で笑った。非科学的、有り得ない、もし記憶まで消えたら野良猫とセックスしてくる、と言いながら。

 うん、最後のは聞き流しとく。


「らしいですよ、鬼瓦先生」


 彼は手のひらのトリガーをじっと見つめていた。考え事をするように、眉間にシワを寄せている。


「本物かどうか分からないものを優先するんですか」

「……っ」

「先生の手の平のそれは、本当に一番大切にすべきものですか」


 なんとなくそれっぽい事を言ってみる。

 志音と知恵は相変わらず、私をヤバい奴を見る目で見てくるけど無視。


「言っている意味は分かる、分かるが……」

「なぁ夢幻。人はそんな簡単に割り切れるもんじゃねぇよ」

「会えるかもしれない可能性を、自分の相棒が捨てたら? そんなの悲し過ぎるよ。形見も何もかも賭けて、再会しようとしてくれた方がよっぽど嬉しい。結果、会えなかったとしても。私がラーフルだったらそう。

 たとえ何年後かに呼び出しに応えてくれたとしたって、『あの時、全ての策を試さなかった』という罪悪感から、昔のように自然に接することが出来なくなる。私が鬼瓦先生だったらそう」


 志音は黙った。

 隣からは、またすすり泣く声が聞こえる。


 そう、夜野さん達は新たな方法を考え出した。それを彼に提案した。そして、彼は他に取れる手段が残されていることを知ってしまった。

 知ってしまったなら、もうやるしかない。私はそう思う。


「先生。このままじゃ……ラーフル、寂しいと思いますよ」


 この言葉をきっかけに、先生まで顔を伏せてしまった。覗き込むまでもなく、泣いているのが分かった。よく分からないけど、かなり大きな地雷を踏み抜いたのは間違いない。


「ラーフルと名付けた時も……そうだった……俺は……何年も、ラーフルに……寂しい思いをさせて……もうしないって……決めたのに……なのに、また……!」


 言葉は途切れ途切れでよく分からなかったが、おそらくそれでいいのだろう。あれはきっと、彼が自分へ宛てた言葉。

 しばしの沈黙。彼の嗚咽と、菜華が知恵の背中を擦る音だけが響く。

 そして、先生は顔を上げる。いつも通りの、低くて、それでいてハリのある声色で言った。


「最短でどれだけかかりますか、粋先生」


 各自、声は押さえていたが、彼の決断に私達は色めきだった。

 そうこなくっちゃ。

 私達と同じように、粋先生は口角を少し上げながら言う。


「分からない、けど、三日後には進捗を報告します。もちろん、早くに完成すれば、その時もすぐに」

「先生、ウチも手伝っていいですか?」

「免許持ってないから、あまり立ち入られちゃうと、それはそれで困るんだよねぇ……」

「見てるだけなんで! ホントに! ウチにもなんかさせて!」


 こうして、空間の作製には粋先生と夜野さんが、ダイブは私達4人が担当することになった。鞠尾さんはバーチャルプライベート組のサポートをすることになっている。この二人、熱中したら食事どころか、トイレも満足に出来なさそうだから、彼女がいれば安心だ。

 鬼瓦先生は様々なロッジを渡り歩いてダウジングを続けるらしい。本当は休んでもらいたいけど、一度のダイブの最長時間は3時間ということで互いに妥協する形になった。


 まさか免許試験を受ける前にバーチャルプライベートを体験することになるとは思わなかったが、細かいことは言ってられない。

 私達はそれぞれ粋先生と連絡先を交換する。

 いつ鳴ってもいいように、とりあえず三日間は映画館など、電話に出られないようなところには行かない。また、人ごみも同様に着信音をかき消す恐れがあるので、近寄らない。海水浴も頂けない、どうしても端末を手放す時間が増えてしまう。

 これらの戒めを自らに課したものの、そういえば私って、そもそもそんなところに行かないタイプの人間だよね。皆がラーフル捜索に燃える中、私は一人、しょーもない理由で凹んでいた。

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