第110話 なお、井森さんはなんでも知っているとする
梅雨明けと熱帯夜、熱中症と脱水症状、海水浴場と花火大会。そんな感じのワードをよく耳にするようになった今日この頃。今日も例に漏れず、太陽がカンカンに照りつけていた。
菜華は「この暑さを感じたままギターを弾きたい、今なら面白いフレーズが思いつくかもしれない」等と意味不明な発言を残して学校を早退した。暑さで頭がやられているのか、元々アレなのか、なんとも判別し難いが、とりあえずほっといても大丈夫そうなので、知恵ですら「おう」と言って彼女を見送った。
終業式はいよいよ明日に迫っている。免許試験は夏休み2週目。長期の休みを楽しみにする反面、試験のことを考えると少しだけ気が重い。
テストなんかよりもよっぽど緊張している。それは、その試験自体のプレッシャーもあるが、結果的に一体何名が試験に招待され、何名が合格するかはっきりしていないという不確定要素に対する不安もあった。
絶対にモノにしたいけど、詳細は不明。こんな状況でルンルンでいれる方がおかしい。
「よっ。志音の家でコツコツ進めてるゲームは終わったか?」
「ううん、まだだよ。どうしたの?」
「なんだよ、まだなのかよ。まぁいいや、今日はあたしに付き合えよ」
「えー? あと少しなんだけどなぁ……」
「いいだろ? 駅前に新しいゲーセンができたんだよ」
男子みたいな会話だな、と気付いた頃には、知恵が私の首に腕を回していた。体が斜め下に引っ張られて、やけに重く感じる。身長差考えて。
知恵の誘いを断る理由はない。ただ、本当にあと少しでクリアできそうなのだ。エンディングを迎えるのがもったいない、という程のゲームでもなかった。そして、ここまでプレイしたからには、ストーリーが頭にしっかり残っている間にクリアしたい。
うーんと唸っていると、知恵は腕に力を込めて、姿勢を落とすように要求してくる。内緒話か何かかと屈んでみると、次の瞬間にはそうしたことを後悔した。
「……お前らってさ、やっぱそうなの?」
何このチビ助、デリカシーが無い。卵子と精子の状態からやり直せ。
知恵はこういう話に首を突っ込まないと思って、安心しきってしていた。いきなりこんな風に直接的に言われたら、きっと誰だってびっくりする。
「アンタは私達の何を見てきたの?」
「ご、ごめん……でも、お前らって結構お似合いだと思うぞ」
「あそう。知恵達には負けるよ」
「あたしらの話はいいだろ!?」
うわ否定しないよコイツ。顔真っ赤にしちゃって必死だよ。分かってたからいいけどさ。とにかく、関係がこじれて知恵が菜華を振る形にならなきゃ、もうどうだっていい。菜華が振られたら「一緒に居られないくらいなら」って心中を目論みそうで怖いから、それだけは回避して欲しい。
菜華が飽きて他にいくなら、そんな悲劇は起こらないし。別れるなら知恵が振られるパターンが一番いいと思う。そう考えたら、知恵って最初から最後まで振り回されっぱなしで可哀想。さすがの私でも同情するわ。
「ほら、志音ん家って両親がデバッカーで家にほとんどいないんだろ?」
「……まぁ、親御さんが居ないから入り浸りやすいってのはあるけどさ」
「やっぱそうなのか?」
「そうだよ、ただそれだけ。あとゲームが半端で気になってるだけ」
初めて泊まったあの日から、私はかなり頻繁に志音の部屋に行くようになった。
でも、本当はこんなこと、言いたくなかった。言い訳して必死に取り繕ってる感じがするから。本当のことを言ってるだけなのに、なんとなくわざとらしく感じるような。
後ろめたいのは、志音のかなりアレな寝言を、あの後も何度か聞かされてるせいだと思う。
「元々は何がきっかけであいつの家に行ったんだ?」
「寝たかったから」
「え?」
「? 帰るのが面倒だったの」
「人の家を仮眠室みたいな使い方すんなよ……」
知恵は呆れきった顔で私を見た。
なんか私が悪いみたいな言い方してるけど、来るかって聞かれたら普通は「行く行く!」ってならない? むしろ「あ、ごめん。お前の家は行かない」とかなくない? ガチテンションでそんなこと言われたら、いくら私でも一筋の光が頬を伝うと思うんだけど。
とにかく、知恵は”なんで人の家でRPGを始めたか”という部分を聞きたいようだ。しかし、私が寝過ごして深夜まで爆睡してたなんて言ったら、また異常者を見る目で見られそうなので、ここは適当に誤摩化すとする。
「あー……と、その、色々あってそのまま泊まることになって、暇つぶしにゲーム始めたの」
何もおかしいことは言っていないのに、知恵の視線は思いの外、冷ややかだった。まるで容疑者扱いである。嘘なんかついてないのに。こいつ、本当に分かってるのか。
「……もしかしてお前ら」
「なに?」
知恵はおどおどと周囲を見渡している。道端に爆弾が落ちてたら、私もこんなリアクションになる気がする。え、なにこれ、嘘でしょ? ってね。
「……寝たのか?」
「そうだって」
話をちゃんと聞いていたのかは微妙なところだけど、とりあえず分かってくれたみたいだから良しとする。
そしてその話に付随して、私はある事を思い出した。
「あの日分かったけど……私達の相性、最悪だった」
「は!?」
片や周囲に暴力をふるう女、片や延々と喋り続ける女。かなり危険な組み合わせだと思う。
もちろん、詳しくは言わない。というか、言えない。寝ながらベラベラと喋り続けるなんて、その目で見ないと信用できないだろうし。
「び、びっくりした……マジか、マジなのか……」
「どうしたの? 知恵達だってそれくらいしてるでしょ?」
これはかなりオブラートに包んでいる。なんなら性的なアレソレにまで及んでるでしょ? と思ってるけど、友達同士のそういうのって聞きたくないじゃん。顔合わせにくいっていうか。だから、あえて触れていない。
「して、るけど……その、相性ってなんなんだ?」
「私も今までそんなこと意識したことなかったんだけどね、志音が特殊なんだよ」
「そ、そうなのか!? ……い、いや、あんまりそういう個人的な事を聞くの止めた方がいいな」
「そうかもね。あいつが自分で言うならまだしも。まぁ簡単に言うと、うるさいんだよ」
「言ってやるなっての!」
別にこれくらいはいいじゃん……妙に鬼気迫る表情の知恵に気圧されつつ、私は適当に返事をした。知恵はというと、顎に手を当てて何か考え事をしているようだ。まるで探偵みたい、アホなのに。真実は、たまに二つ! とか言い出しそう。
「……え、うるさいのか? あたしはてっきり逆なんだと思ってたっつーか」
「うん、かなり。もう少し黙ってて欲しい。まぁ私も殴ったりしてるみたいだから、お互い様だけどね」
「は!?」
いちいちリアクションがデカい。人もまばらになった放課後の教室に、知恵の声が響く。
でも、よく考えたらこういう反応をされても、仕方ない気がしてきた。少なくとも私は、自分以外に寝ぼけて暴力を振るう人間に、出会った事がない。恐らくはかなり少数派なんだろう。
「全然記憶に無いんだけどね。あとでお互いに教えて合ってびっくりする感じ。志音の体が痣になってるし、私は前にも指摘されたことがあるから受け入れてるけど」
「前にもって、何人か経験あるのか!?」
「? うん、別に普通でしょ。お母さんとか」
「お母さん!?!?」
何コイツ。母親と一緒に寝た事ないの?
父子家庭とか? だったらちょっと悪いことしたかも。
「あいつは自分のそれをまだ信じてないの。今度録音して聞かせてやろうかと思う」
「お、おい、それはさすがに可哀想だろ」
「そう? 専用の録音アプリとか出てるじゃん?」
「そんなヤベぇアプリあんの!?」
ヤバくねぇわ。
寝息を解析してくれるし、診察が必要と判断されれば、オススメの病院まで教えてくれる、すごいアプリだよ。
しかしやはり話が噛み合ってない気がする。胸の中で徐々に膨らんでいく違和感を確かめるように黙っていると、知恵が目を丸くして言った。
「しっかし意外だったな、まさかお前が……菜華と似たような……」
「菜華もそうなの?」
「へ? あ、あぁ、まぁ。っつか分かるだろ、あいつ隠そうとしてないし」
「まぁこの件については私も菜華のこと言えないっていうか。激し過ぎて、たまに志音が落ちてたりするしね」
「落ち……!? 無意識に首を締めてんのか……?」
「なにそれ、DNAレベルで殺人鬼じゃん」
こいつはさっきから何を言っているんだ?
私は困った顔をして知恵の顔を覗きこんだ。
「な、なぁ、お前らがそういうのなら、その、一つ相談があるんだけど……いいか?」
「え? う、うん」
「女同士でもゴム使う連中がいるってマジなのか?」
「……………………………………ん?」
知恵ちゃんはこの一瞬で脳細胞が絶滅しちゃった感じかな?
マジだったにしてもマジじゃなかったにしても、そんな事は私の与り知るところではないんだけど?
「分かんねぇって顔してるな。いや、あたしも分かんねぇんだよ」
違うよ、私が分からないのは、なんでいきなりそんなアダルティな質問をされたのかってことだよ。
そして私は会話を振り返る。そういえば首締めとか言われたな。そしてこの知恵の狼狽えっぷり。
わかった。
マズい。
いま知恵の中で私は、【母含む数人と肉体関係を持ったことのあるヤバい性癖の女】ということになっているはず。
しかし、ここで知恵の誤解を解いていいのだろうか。知恵は私がそういう経験のある者だと見込んで、相談を持ちかけたのではないだろうか。
というか、さっきとんでもない真実がポロリしてたけど大丈夫? つい”一緒に寝る”って意味だと思って、「知恵達もするでしょ?」って聞いたら、「うん」って言ったよね?
今さら「ごめん、そういう意味だと思ってなかった」なんて言ったら、知恵がこの世からいなくなりそう。
「えっと、なんでそんなこと聞くの?」
私は様子見することを選択した。志音とそんな仲だと思われているのは気持ち悪いが、友達一人の命と天秤にかければ、やはり揺らぐ。
「菜華がネットで見つけたって言ってたんだよ」
「あのアホはネットで何を見てるの?」
「そういうの付けた方が衛生的だとかなんとか。そんで、みんなどうしてんのかと思ったんだよ」
なるほど、よく分かった。これなら充分誤摩化せる。そして、ついでに上手くやれば私はゲームのエンディングを今日中に見ることができる。
「そういう話なら井森さんに聞いた方が参考になるよ。今から行ってきたら?」
「バカかお前、あんな優等生にそんなこと聞けるかよ」
大声で「はぁ〜〜〜〜????」と言いそうになったが、なんとか踏み止まった。
そうだ、そういえば知恵は彼女の本性を知らないんだ。期末テストで、化けの皮が剥がれかかっていたものの、あれだけでまさか性に奔放な女だとは思わないだろう。
しかし、会話の行き違いが、知恵からこんな質問を引き出してしまったのは事実だ。こいつがスケベだからそんな発想に至ったんじゃないかって思うけど。それにしても可哀想なので、道くらいは示してあげたい。
「井森さんはなんでも知ってるからね」
「えぇ……あいつにそんなこと聞く勇気ねぇよ……」
言ってやりたい。あんたの性的な疑問を全て解決し得るほどの、経験と知識を持ってるのは彼女だけだろう、と。しかし、勝手にそんなことを伝えて恨みを買うのも怖い。
頑張って! と無責任に知恵を応援していると、背後から声を掛けられた。
「お前ら、まだ残ってたのか」
ペットボトルを持って教室に戻ってきた志音は、そのまま私達の前にある机に腰かけると、キャップを回した。カシュッという小気味良い音が響く。
「アンタこそ、まだ帰ってなかったの?」
「あぁ、これから帰るところだ。お前、今日も来んの?」
「ううん。今日は知恵と」
「あ、あたし帰るから! な! ゲーセンはまた今度な!」
知恵は少し赤面して、ダッシュで教室を出ていった。明らかに不自然だったせいか、志音が不思議そうな顔をしている。
「なぁ、どうしたんだ?」
「……ちょっと誤解があって、志音が【喘ぎ声がやたらうるさい女】ということになってしまったの」
「あぁ!?」
「大丈夫、安心して。私なんて【お母さんとすら肉体関係を持ったことのある嗜虐趣味の女】ってことになってるから」
「安心する要素どこだよ!!」
その後、私は志音に説教されながら、こいつの家に向かった。
部屋に入って所定の位置に鞄を放り投げると、すぐにコントローラーを握る。
ふと思い立って、「ゲーム貸して」と言ってみたけど、断られた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます