第103話 なお、舌を噛み切りそうになったとする

 どれくらいそうしていただろうか。流れる雲を見つめることにも飽きて、腹の具合を確かめながら体を起こした。

 痛みは大分引いた。だけど、走ったりはしばらくできなさそう。


 荒野に投げ出されたような錯覚に陥りながら、辺りをゆっくりと見渡す。当然、誰もいない。たまに吹く風と、近くをちこちこと歩く蟻だけが、この空間を謳歌していた。


 両手を後ろについて、体を預ける。頃合いを見て、今度は立つことに挑戦したい。

 菜華が帰還する時の会話を振り返る。帰らない、私はそう言った。


「帰っていいなら帰りたいよ」


 っていうかわりとマジで帰りたい。

 安静にしてれば歩けるようになるだろ、と踏んでたのに、ある一定のところまで痛みが引くと、それ以上は一向に改善しなかった。

 見通しが甘かったと言わざるを得ない。だってこんな怪我したの初めてだし。わからないのもしょうがないよね。つまり、帰ってもしょうがないよね。私悪くないよね、むしろ頑張ったよね。


 ワイバーンのトルネードが破壊した地面を睨みつける。結局、菜華に任せてしまったけど、私だって結構上手くやったと思う。だけどいつも、あと一歩足りない。

 それは分かってるんだけど、さすがにこの痛みを抱えてまで頑張りたくない。連続稼動頑張り時間をとっくに過ぎている。連続稼動頑張り時間ってなんだろうね、でもなんとなく分かるでしょ。分かって。


「……はぁ」


 志音はどうなったんだろう。あいつのことだから、一番乗りで課題なんてクリアしてるかも。バグと遭遇してたなら、の話だけど。

 菜華も私と出会うまでバグは見かけなかったって言ってたし、かなり運に左右される気がする。あいつ幸薄そうだし、もしかしたら出会えないままリタイアかも。


「何呼び出すのかな。ブーメランかな、棒かな。トライクかな」

「トライクで戦うって、轢き殺すってことかよ」

「そそ。……んあ?」


 上を向くように首を動かし、可動域いっぱい動かして強引に後ろを見る。

 そこにはふてぶてしい顔をした長身の女が立っていた。


「志音」

「よう」

「……遅い」

「あ?」


 腰に手を当て、眉間に皺を寄せている。そして犬歯を覗かせながら、ぶっきらぼうに聞き返してくる。

 いつものやり取り、いつもの表情が、妙に懐かしかった。


「隣、座って」

「なんでだよ」

「いいから座れ」


 私の声の低さにビビったのか、志音はおずおずと隣に腰を下ろした。

 いいんだけどさ、なんで体育座りなの。他になんかなかったの。


「どうしたんだよ」


 問い掛けを無視して、志音の肩に頭を乗せる。頭を支える必要がなくなった分、少しだけ楽になった気がした。


「……おい」

「なに」

「どうしたって聞いてんだろ」

「しばらくこのままでいさせて」

「……は?」


 そうして志音はやっと、私が何故荒野に一人座っているかを考えたようだ。まぁ、見た目には分からないよね。衝撃波とやらで攻撃されてる訳だし。


「お前、その腹どうしたんだよ! バグの攻撃受けたのか!?」

「耳元で大きい声出さないで」

「だってお前!」


 志音は何を取り乱しているのだ。私は視線を自分の腹部に向ける。すると、にわかには信じ難い光景が広がっていた。なんと、制服のお腹の部分がズタズタに切り裂かれていたのだ。


「はぁ!?」

「気付いてなかったのかよ!」

「え、私の服! ちょっと!」

「なんであたしにキレんだよ! あたし何もしてねぇだろ!」

「いったぁ……怒鳴ったら腹に響くわ……」

「おいおい……」


 いだい。腹の中がぐるぐるする。横になったり空を見上げたりしていたせいで、全然自分のお腹を見ていなかった。まさかこんな八つ裂き状態になっているとは。


「バグにやられたのか?」

「うん。菜華がトドメさしてくれて、帰った」

「そうか」


 志音はしばらく考えるような素振りを見せると、静かに私の名前を呼んだ。

 そう、名前を。


「……札井って、呼ばないの?」

「なんとなく」

「そう」


 なんでこのタイミングで一歩踏み出してきたのかは分からないけど、そっちがその気なら、今までスルーしてきたあの時の出来事について聞いてやる。

 はぐらかすなよ、覚悟しろよ。

 はぐらかしたらあんたの下着で鯉のぼり作って、学校の屋上で風にたなびかせるからな。


「志音さ」

「あぁ」

「中間テストの時、初めて知恵達と一緒に行動するって決めた時」

「あぁ」

「知恵達に先に私の名前呼ばれるの嫌だったんでしょ」

「はぁ?」

「不自然に私の名前呼んだ」

「覚えてねぇ」


 はぁ?

 覚えてねぇ?

 脳が骨粗鬆症なの?


「……そんな睨むなよ」

「思い出したら睨むのやめるけど」

「……そうだったのかもな」


 この期に及んではぐらかすか。はい、屋根より高いブラのぼりがおもしろそうに泳ぐこと確定。

 私は半ば呆れながらため息をついた。でも、結構前のことだし、無自覚だったって言われてもおかしくはない。否定しないだけ良しとしてやるか。


 この空間が今日、晴れていて良かった。雨だったら、きっと私達は雨宿りできるところを探して彷徨っていただろうし、どうせそんなところ見つからないだろうし、そうするとこうやってゆっくり話をする事はできなかっただろう。

 っていうか怪我して寝転んでるのに更に雨に打たれるとか、私が可哀想すぎる。


「まぁいいや。志音は? バグに会った?」

「いいや。ずっと探してるけど、まだだ」

「そう。私なんて三回も会っちゃったよ」

「すげぇな」


 志音は私をまじまじと見る。その人外を見る目やめろ。

 しかし、ずっと探し歩いてるのに出会えないとは。さっきまで、荒野に寝っ転がりながら、私は不幸だと思っていた。でも、ある意味で幸運だったのかもしれない。志音の話を聞いてそう思った。


「3体ともやったのか?」

「うん。帰ったのは知恵と井森さんと菜華だけど」

「なんでまだここにいるんだよ。よっぽど役立たずだったのか?」

「質問の仕方もうちょっと配慮して」


 っていうか役立たずじゃないし。多分それなりに役に立ってたし。私は自分に言い聞かせるように、志音の質問を否定する。

 そしておもむろに告げた。


「志音は次、どこ行くの?」

「どこって……あっちから来たから、そのまま真直ぐ歩いてくつもりだったぞ。ここに来たのは地響きのような音が聞こえたからだ」

「なるほどね。もう行ったら?」

「は、はぁ? お前、怪我してるんだぞ」

「怪我してなかったら行ってた?」


 聞くと、志音は腕を組んで少し考えるような素振りを見せた。そしてすぐに、「いや……」と言い淀んだ。


「でしょ。もう嫌なんだよ、誰かといるときにバグと遭遇して、相手に先に帰られるの」

「でもその怪我だ。あたしと一緒に居たくねぇなら棄権しろ」

「指図すんな」


 そう言い放つと、志音は大きなため息をついて、分かった、と言って立ち上がった。志音の肩に頭を預けていた私は、バランスを崩し、乾いた大地に左耳を再び強打する。


「いだっ!」

「あ、悪ぃ」

「今日二回目なんですけど!? マジで痛いんですけど!?」

「ご、ごめんって。ほら、な?」


 志音は私の体を起こすと、左側面の髪や体についた土を軽く払う。そんなことしても耳の痛みは消えませんけど。


「あのな、私は遠くからお前を見てるから」

「ストーカー宣言? こわ」

「違ぇよ」

「やだな……家の扉に手をかけた瞬間、知らないアドレスから『おかえり! 今日もお疲れ様♥』ってメールきそう」

「ガチのヤツじゃねーか」


 そうじゃないと志音は弁明した。邪魔もしなければ手助けもしない。ただ心配だから見守らせて欲しい、と。


「……なんか、はじめてのおつかいみたいで嫌」

「それにしては物騒すぎんだろ」

「私のこと馬鹿にしてるからそういうこと言うんでしょ」

「はぁ……? ったく、めんどくせぇな。とにかく、あたしは行くぞ」


 志音は立ち上がると、私に背を向けて歩き出した。これで良かったのかは分からない。でも、こうするしかない。あいつの言う通りにするとかイヤだし。

 後ろ姿を見送ろうと思ったのも束の間、数十メートル離れたところで、志音は立ち止まった。振り返ってこちらを見ているようだ。


「いや丸見えだから! せめてもっと離れなさいよ! っていうか見守るのはいいけど、私の視界に入らないようにしろ!」


 叫んだつもりだったけど、お腹に力が入らないし、多分伝わってない。もうほっとこうと思ったのに、なんと志音がこちらに小走りで駆け寄ってきた。


「ごめん、なんて言ったんだ!?」

「来んなぁぁあ!!」


 私は怒りと痛みに震えながら叫んだ、さっきより大きい声が出たと思う。しかし、歩み寄る志音の足は止まらない。今のは聞こえてるハズなのに。


「離れながら考えたんだけどな」

「ちょっと!」

「……やっぱあたし、お前をこのままにしとくの、無理だ」


 ずんずんと歩いてきて、その勢いのまま、肩を掴んで押し倒される。

 地面に背中を強打する痛みに、一瞬息が止まった。

 腹部に左耳に背中。私の体が何をしたっていうの。

 頭はぶつけないように志音が手を敷いてくれたみたいだけど、もちろん感謝したりはしない。

 

 そして、志音は私の手を掴んで、首に押し当てた。

 そこでこいつが何をしようとしているのか、ようやく悟った。

 こいつ、強引に私を帰還させるつもりだ。


「ちょっ!」

「帰ってくれ」


 掌底で私の顎を下から打つ。

 ガチンと、頭の中で大きな音が響いた。


「いだっ!? …………ふっ、ふざっけんなあああ!」


 我を忘れて覆い被さった体を押しのけ、鳩尾を踵から蹴り込む。


「でっ!」


 腹を押さえて体を起こす志音を睨みつけて、私は吠えた。


「私はあんたのモノじゃない!」

「そんなこと分かってる!」

「分かってない! 強引に返して、あとで謝れば許されるって、そう思ってる!」


 志音は一瞬、揺らいだような表情を見せたけど、すぐに元の顔に戻った。

 私は続ける。


「悪気がないからって全てを許すことなんて出来ない!」

「でもな!」

「私だって帰りたい! っていうか帰るつもりだった! でも、あんたに命令されて帰るなんて絶っっっっっっっっっ対イヤ!!」

「小さい”つ”多過ぎだろ!」


 多くないわ。これでも7843568分の1くらいに省略したわ。


「ここであんたに屈服したら、私は自分の心に背いたことになる!」

「なんかカッコいい事言ってるけど、お前普通に重症だからな!? あたしじゃなくても帰れって言うからな!?」


 そんなの分かってる。

 あんたに指図されてるってことが、私の中で大きな問題なの。

 なんで分かんないかな。

 伝わらないことに苛立ってると、志音の視線がかなり上に、釘付けになった。


 あー、はい。

 志音が言葉を発する前に察した。

 まぁ伊達にこの実習だけで3回も戦ってない。

 っていうか、近くにバグが居ないんだったら、私はさっきので帰ってたしね。

 しかし、心の準備は必要だ。

 私は志音に、短く尋ねた。


「いる?」

「……いる」


 だから離れててって言ったのに。

 怒りを原動力に、痛みを堪えて、私は無理やり立ち上がった。

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