第102話 なお、暴れん坊のネコとする

 あたしは女を睨みつけていた。眼鏡が反射して表情ははっきりとは窺えない。だけど、いけ好かねー女だってことは間違いねぇ。


「てめぇどういうことだよ!」

「どういうことって?」

「あんな状態の夢幻をバーチャルに放置って、おかしいだろ!」

「そうー?」

「そんなことしてっから年間2〜3名の死者が出るんだよ! ここはよ!」


 初めて会った女だが、知ったことか。

 作業着の襟首を掴んで引き寄せる。女は伸びる作業着も気にせず、飄々と述べた。


「だぁーって、あの夢幻って子、面白いんだもん。あんたもそう思うでしょ?」

「思わねぇ!」

「本当に?」

「いや、ちょっと、変だけど!」

「本当にちょっと?」

「大分……いや、かなり……っていうか変そのものだけど……」

「だよね?」

「うっせー! だからっててめぇが夢幻を危険に晒していい理由になんてならねぇんだよ!」


 その辺にしておけと言ったのは鬼瓦先生だ。結構いい先生だと思ったのに、見損なったぜ。


 どうしても納得いかねぇ。あたしと協力した後、井森と組んでバグを撃破。そんで今は菜華だ。実習室のモニターには荒野で横たわる夢幻が映し出されている。


 ダイブから戻ってきた菜華は私に飛びつきたさそうにしてたけど、ほんの少しやりとりを聞くと、どういう状況か理解したらしく、目が据わった。


すい先生。あなたが帰還命令を?」


 菜華は静かに言った。だけどあたしには分かる。かなりキレてる。こいつがこんなにキレるのはすげぇ珍しい。


「そだよん。いやー君も面白いね。他にはどんな楽器が」

「何故?」


 菜華は被せて発言した。有無を言わせない威圧感。

 オーラは立派なんだけど、歩み寄ってあたしの手を握りながら言うのはやめろ。緊張感が根絶やしになっから。オイ。


「鬼瓦先生が言ってたでしょ。免許試験の為にここは大事なポイントになるって」

「……言ってた?」

「言ってたよ! お前聞いとけよ!」


 事前説明の時を思い出す。そういえばこいつ、説明中ずっとあたしの手を引っ張って頬擦りしてたっけ。出会った頃なら絶対に拒んでたはずなのに、なんか最近どうでもよくなっちまったんだよな。なんつーの、構うだけ無駄っつーか。

 力も体格も負けてるあたしにはなす術がないっていうか。こんなこともわざわざ意識して思い出さなきゃいけないくらい、この程度のスキンシップに慣れている自分が若干怖ぇ。


「あの子の本気、もっと見たいんだよ」

「なんべんも言わせんじゃねぇ。あいつは重症だ」

「良かったじゃない」

「あぁ!? てめぇぶっ殺すぞ!」


 弾かれたように駆け出したが、鬼瓦先生に首を掴んで止められた。止めるのはいいけど、羽交い締めにするとか、もっとかっこいい止め方してくれよ。あたしは暴れん坊の猫かよ。ふざけんじゃねぇ。


「乙。落ち着け」

「でも!」

「まぁまぁ、抑えてよ。良かったっていうのは、怪我したことじゃないよ、もちろん」

「あぁ?」

「下手にうろついてると、今度はまだ帰還してない志音さんと合流するかもよ?」

「何が言いてぇんだ、てめぇ。二人は相方同士なんだぞ、どんな不都合があるってんだよ」

「分かってないなー。私は彼女が一人でバグを倒すまで、帰還命令を出すつもりはない」

「……は?」


 あたしは耳を疑った。つまりだ、夢幻を差し置いてあたしと井森、菜華が帰ってこれたのは、貢献度とかじゃなくて、こいつの勝手な気まぐれだったってことか?


「あ、ごめんね、また誤解させるような言い方して。君たちはもちろん、優秀だったよ。君たちは帰還に値する働きをしてた。でもね、札井さんだって立派だった」

「だったら」

「だからだよ。本当は鳥調さんと一緒に帰還命令出そうかと思ったけどさ」

「……あぁ?」

「多分、彼女は危機に瀕したら、また力を発揮する」


 あたしは、何も言えなかった。

 確かに、初めてあいつという人間を知った時から、その片鱗は感じてた。

 組んだら楽しそうだって。菜華が面倒だから口には出さないけど、クラスで小隊を組めって言われたら、あたしは夢幻と志音に声をかけるだろう。


「言ってる意味は分かる。あいつは、常識に囚われないっていうか……モラルがないっていうか、空気が読めないっていうか」

「知恵、最後の方はただの悪口になってる」

「まーでもそういうことよ! 怪我なんて、今までにないくらいのピンチじゃない? ってことは、今までにないくらいの力を発揮するんじゃない?」


 狂ってやがる。

 夢幻はお前の知的好奇心を満たす玩具じゃねぇんだ。あたしはクソ女を睨みつけながら吐き捨てた。


「人聞き悪いなぁ。成長を見守りたいっていう教師心じゃん?」

「命の危険に晒しておいて何が教師だよ!」

「だぁいじょうぶだって。例え彼女が次のバグを倒せなくても落第になんてしないからさ」


 話が噛み合わねぇ。あたしは夢幻の心配をしてるのであって、成績の心配なんてしてねぇよ。


「粋先生、やはり帰還命令を出した方が良いのでは?」

「鬼瓦先生……!」

「私も彼女の持つポテンシャルには目を見張るものがあると思っています。しかし」

「駄目だって。鬼瓦先生も、分かってないなぁ」


 怪我をしたことも含めて、自分で克服させたい、粋はそんなことを言った。

 言葉の意味は分かるけど、やっぱりこの状況でわざわざ優先させる事のようには思えない。


「同意してもらえない、か。あのね、何かあったら私達が駆け付けられる。そんな状況だからこそ、彼女に頑張ってもらうんだよ」

「……メディックの意見は?」

「おい、菜華!」

「あぁ、リアルで致命的な後遺症が残るような怪我ではないよ」


 白衣を着た男は飄々とそう答えた。それを聞いた菜華は、じゃあと呟く。

 マジかよ。なぁ。


「お前も粋に賛成だってのか」

「知恵、納得できないかもしれないけど……夢幻は多分、自分の力でバグを倒したいと思う。棄権を勧めたけど、残ると言っていた」

「それは……」


 そりゃそうだ。三回もバグと戦って、自分の功績を認められないなんて。あたしだったら意地でも認めさせてやるって思うだろう。

 粋も何かあれば駆け付けるって言ってるし、鬼瓦先生もいるし、あたしが一人でガタガタ言ってもしょうがないのか。


 あたしはわかったとだけ言って、ダイビングチェアに戻った。しかし、あたしの席には、既に違う女が座っていた。


「やー、知恵ったら熱いねー」

「月光……戻ってきてたのか」

「とっくだよー。私はどっちかっていうと、粋先生に賛成なんだけどね」

「そうかよ」

「でも、知恵の気持ちも分かるよ」

「……」


 珍しい事もあるもんだ。こいつがあたしにこんな言葉をかけるなんて。

 月光は優しげな表情でこちらを見ていた。


「まさか井森さんまで札井さんに助けられるとは思ってなかった。やっぱすごいよ、あの人」

「そうか」

「そそ。だから大丈夫だって」

「どんな理屈だよ」


 言いながら、あたしは笑ってた。真後ろのダイビングチェアで寝ている志音と夢幻を一瞥してから、ふと気になっていた、ある疑問を月光にぶつける。


「そーいやお前ら、中学一緒だったんだよな」

「私と井森さん?」

「あぁ。なんで名字で呼び合ってんだ?」


 否定するわけじゃないけど、普段からつるんでるこいつらが他人行儀に名字で呼び合ってるのが、実はずっと前から不思議だった。二人共、志音のことは名前で呼んでるから余計違和感があったっていうか。


「あはは、面白い事聞くねー」

「そうか?」

「そうだよ。なんていうの、私達、結構仲悪いからさ」


 月光は離れた自分の席、その隣を見つめて笑っていた。目を覚ましてからずっとスマホをいじっていた女が、あたしらの視線に気付いてこちらを見る。

 目が合うと、あいつも笑った。何かを企むように、嘲るように。とにかく気持ちのいい笑い方ではなかった。


「……なんなんだよ、お前ら」

「なんだろうね、私も分かんないや」


 上手く言えねぇけど、めちゃくちゃ怖い。

 夢幻がよく漏らしただの漏らしそうだの言ってるけど、なんかその気持ちが分かった。深入りする気が無くなったあたしは、家森を立たせて自分の席に座る。

 ブーブー文句を言うから「あたしの上に乗るか? 菜華が黙ってねぇだろうけど」と聞くと、素直に席に戻って行った。

 あんな奴でも菜華は怖いのか。


「知恵、そういうことは早く言ってくれないと」

「は? って、おいおい! 乗るな! バカ!」

「何故? 知恵は私が黙ってないけど、それでも良ければ上に乗っていいと言った。つまり、上に人が乗る事を嫌がっていない。私が乗っても何の問題もないはず」

「問題しかねぇよ! せめてこっち向いて乗るのはやめろ!」

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