第99話 なお、ワイバーンとする
森を抜けて、私はがらりと変わった地形に戸惑いもせず、ただただウエスタン風の荒野を彷徨っていた。
木々の間をふらふらと歩いていた時同様、目的地は無い。考えている余裕がないと言った方が正しいか。ただ真直ぐ足を進めていた。
井森さんの発言が私の心に大きなしこりを残していたのだ。志音とは初めて同士だから、とか。そういうの。
私自身、あの事故で妙な心の声を聞いてから、何も考えない訳じゃなかった。
今のままがいい。私はそう思っているし、志音も今は同じように考えているということが分かり、ほっとした。
だけど、このままじゃきっと齟齬が出る。軋轢が生じる。
期末テストの直前、耳にしたある噂を思い出す。
なんでも志音のファンクラブがあるとか。私に言わせれば気狂い集団以外の何物でもないが、特に普通科の子達から、絶大な人気があるらしい。
まぁ顔は悪くないし、デカいから目立つしね。
何とも思わないの? と言ったのは家森さんだ。
物好きだなぁとは思うよ、と答えた。それを聞くと、彼女は呆れたように笑ってた。
意地を張ってる訳じゃない。ただ私はあくまで、”このまま”がいいのだ。
周囲のあいつへの評価なんてどうだっていい。嫌われてようが、好かれてようが関係ない。そういえば、初めて会った時にあいつも同じようなことを言ってたっけ。
見た目ほど悪い奴じゃないってのも知ってるし、
見た目ほど言葉が通じない奴じゃないってことも知ってる。
見た目ほど乱暴じゃないってことも知ってる。
見た目ほどね。
ファンクラブの連中がいくらあいつをイケメンと呼ぼうが、私にとってはただの志音でしかない。
誰がなんと言おうと、私の中の奴の評価は揺るがないのだ。
彼女が出来たって紹介されても動じなかったと思う。でも、上手く言えないけど、私は志音と”そういうの”には、なりたくない。
だけど、なんでだろう。
もし、次に誰かに出会えるとしたら、あいつがいい。
からからと転がるタンブルウィードを目で追うと、誰かの足にぶつかって止まった。視線を上げる。長身、黒髪の長髪。やる気のない眠たそうな目。
そう、そこには菜華がいた。
「空気読めよ!」
「!? な、なにが?」
突然怒鳴られた彼女は珍しく動揺していた。というか、いつからそこに居たんだ。
物思いに耽っていて全く気付かなかった。
「夢幻が近付いてくると思って」
「思って?」
「立ってた」
「そ、そっかぁー……」
駄目だ、こいつに理由や意味を求めてもしょうがない。私には説明された言葉をそのまま受け止める事くらいしかできないのだ。
「バグには会った?」
「2体ほどね」
「そう」
特に興味はないと言った様子で、菜華は遠くを眺めた。
興味無いなら聞くな。
「菜華は?」
私の質問を聞きながら、今度は手のひらを眺めている。というか、彼女は一人で戦えるのか。知恵はもう帰ってしまったのだ。
分析・出力を担っている相棒なくして、どこまでやれるのか。
己の力と向き合うのが今回のテストの目的だとしたら、私以上に”自身の力”を試されているのは彼女ではないだろうか。
「バグとはまだ遭遇していない」
「そう……大丈夫なの?」
「どういうこと?」
「知恵、いないじゃん」
「知恵がいないと寂しい」
「そういう話じゃないよ」
菜華と話すと疲れる。
私はそれを再認識しながら、アームズの話だと伝える。しかし、菜華は訳が分からないといった表情で、私を凝視している。
私の頭がおかしいみたいな視線をやめろ。今すぐにだ。
妙な空気が流れる中、ちょうど私達の間、足元に大きな影が現れる。雲が実体を持ったのか、そう錯覚してしまいそうになる程、大きな影である。
頭上を見上げると、空には何かが浮かんでいた。逆光で何も見えないが、とにかく何かが居た。
「あれは……何?」
「さぁ……ただ、バグ、だろうね」
「そう」
自らの正体を知らしめるように、翼を広げていたバグは地上に急降下した。
彼の名前はワイバーン。私が決めた。
青とも緑とも言えないような色、小型のドラゴンのような形をしている。全体的にシャープなフォルムだ。ね、ワイバーンっぽいでしょ。だからワイバーンね。
地上に降り立つと、ワイバーンは一度翼をはためかせる。
話せるタイプだろうか。私は彼に問いかけてみる。
「ワイバーンは、私達と戦おうとしてる感じ?」
「ワイバーン……? それは、まさか我の名前のつもりか?」
「そうだよ。っぽいでしょ」
私の呼びかけに応じたワイバーンだったが、一方的な名付けを快く思わなかったようで、翼を大きく広げて「ギャオー!」と叫んだ。
「夢幻、多分怒らせた」
「そうだね」
しかし私には比較的余裕があった。先ほどの菜華との会話のおかげである。
彼女は、「知恵がいないと戦えない? なぜ?」という顔をした。それはつまり、何かしら彼女に戦う手立てがあるということになる。
ちなみに「戦えないけどなんか問題ある? ギター弾けりゃそれでいいし」という意味なら詰む。
半分くらいの確率でそうなりそうで怖いけど。
「菜華、アームズ。呼び出せる?」
「うん」
「何を呼び出す?」
「もちろん、ギター」
よしきた。つまり、彼女は知恵がいなくてもなんとかできるということだ。
ちなみに「弾きたいから呼び出すけど、戦えるとは言ってない」という意味なら詰む。
……なんか不安になってきた。
私は振り返って、念のため確認する。
「それ戦えるの?」
「……」
「さ、菜華?」
「馬鹿にしてるの?」
こわい。
目の前で怒ってるワイバーンの8万倍こわい。
彼女は瞳の奥に怒りを宿して、私を見つめている。
「ほう。ギターを呼び出すと申すか」
「ワイバーンはギターを知ってるの?」
「我を侮辱するのも大概にするのだな」
可愛い。このドラゴン、ギター知ってるんだって。
しかし、知っていたからと言ってどうにかなるものではない。
彼が空を飛ぼうが関係ない。音の届く範囲は全て菜華のテリトリーなのだ。
今までは相性が悪いバグとばかり当たってきたが、今回はなかなか良さそうだ。
先程の井森さんとの戦いで、盾として使う方法も思いついた事だし、私はサポートに徹しようと思う。
「くくく……我をワイバーン等という名で呼びつけ、挙げ句の果てには攻撃手段まで晒すとは……」
ワイバーンは噛み殺すように笑い、哀れむような目で私達を見た。愚かな人間達が可哀想で仕方がない、という表情をしている。
「何? 耳栓でもするつもり?」
「ふはは、矮小な人間ならではの発想と言えよう」
ワイバーンは一呼吸置くと、「ナローフォーカス!」と叫んだ。まばゆい光が彼を包み、肌をコーティングするように層を作る。カッと激しく明滅し、それらは消えた。
身構えた私達だったが、こちらには何の変化もなさそうだ。
「……どういうこと?」
「何もなってない、よね?」
「”ギターの音”とやらに耐性をつけさせてもらった。確かに音での攻撃は厄介である」
「何を……」
耐性をつける……?
じゃあ、私がまきびしでこいつを倒すの……?
すごいスピードでぎゅんぎゅん空飛んでたこいつを……?
バカか……?
「菜華、逃げよ」
「分かった」
「待て! ええい!」
私はワイバーンに背を向けて駆け出した。
有効だと思われていた手段が封じられたのだ、こうするのが正解だ。
最近逃げてばっかだな、と心の何処かで感じつつも、間違った判断ではないと自分に言い聞かせながら足を動かした。
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