第98話 なお、普通に戦闘してるとする


 私は怯えていた。何にと問われれば、この状況にとしか答えようがない。目の前にいるバグは、大きいし黒いし火を吹くし、とにかく怖い。

 それは間違いないけど、私はそれと同じくらい、隣で斧を構えるクラスメートにも怯えていた。

 何? 樹ってあんなきゅうりみたいに斬れるもんなの?


 すぐ近くに転がる木を見る。断面が尋常じゃない。しかし逆に言うと、この斬れ味を持ってしても、あのバグを仕留めるのは容易ではないという事だ。

 私が手伝えることある? ないよね?


「山羊さんったら火吹くし、突進してくるし、困ってたのよ」

「突進のタイミングに合わせて斬っちゃえばいいんじゃない?」

「火吹きながら突進してくるのよ」

「こわ」


 確かにそんなことをされたら近寄れない。私達はバグと睨み合いながら会話を続ける。


「そこで、あなたにどうにかしてもらいたいんだけど」

「どうにか、か……」


 案が無いわけではない。しかし、失敗したときのリスクが大きすぎる上に、成功率が低すぎる。

 提案しようか迷っていると、痺れを切らしたのか、バグが奇声を上げながら突進してきた。


「べえええええ!!」

「っぶな!」

「札井さん! 屈んで!」


 私は左に、井森さんは右に避ける。なんとか転がって回避すると、そのまま指示の通り身を屈めた。

 直後、ぶおんという風切り音がした。顔を上げると、井森さんが両刃の斧を、ターゲットの横から投擲していた。バグは姿勢を低くしてそれを躱す。

 それはそのまま、私の頭の真上を回転しながら通過した。


「山羊よりも斧の方が危ないんですけど!?」

「そういう日もあるわ!」

「どんな日だよ!」


 私達は言い合いながらも、バグと距離を取るように広がる。突進を食らった大木はメキメキと、呆気なく倒れた。鳥達が樹から飛び立つ様子を眺めながら、私は確信した。

 直撃したら死ぬ。


「ねぇもう無理、帰りたい」

「帰ったらこれから毎日札井さんの家を尋ねる事になるけどいい?」


 やめて。

 うちのお母さんなんかほいほい家にあげそう。

 貞操の危機じゃん。


「長々とこのバグと戦ってる私が言うのもなんだけど、長期戦は不利よ」

「……だろうね」


 そんな気はしていた。バグの炎が無尽蔵だとしたら、逃げ回る体力が尽きた時に、取り返しのつかない怪我をすることになる。

 怪我で済めばまだいい、その規模の損失を被ることになるだろう。


「次で決めるわ」

「どうぞどうぞ」

「家に行くわ」

「やめて」


 絶対的な脅迫はズルい。

 こんなの、大概のことは従ってしまう。


 しかし、彼女には次で決める手立ては無いのだという。そこで私は、先ほど頭の中で却下したものを提案してみることにした。


「私があいつの目をまきびしで潰す、どう?」

「そんなことできるの?」

「前に狼相手にやったことがあるよ。口の中に入れて内側から攻撃したことも」

「それができればいいんでしょうけど、炎を吐いてる間は難しいでしょうね」


 火で口元が全然見えないし、吐き出す際に風も発生している。狙うのは容易ではないだろう。


 意識を集中する。そしてバグの背後にまきびしを呼び出す。

 ここからなら見えないだろう。そう思って呼び出したのだが、バグは振り返るとまきびしに炎を吐きながら飛び退いた。


「え……」

「そういえば、山羊の視界はほぼ360度と聞いたことがあるわ」


 なにそれチートじゃん。

 こっそり忍び寄って目潰し作戦が台無しだよ。


 狼と対峙した時は、志音のトライクに乗っていた。こちらもかなりスピードが出ている状態だったのだ。しかしここに志音はいない。

 残される道は、戦闘の中で隙を見て狙う。それだけだ。


「べええええ!!!」


 不意打ちを狙われたことが不服だったのか、バグは雄叫びのような声をあげる。口元に炎を溜め込んだかと思うと、細長い炎を横薙ぎに噴射した。顔の向きを変え、周辺を焼き尽くさんとする。


 ねぇ、今さらだけど、森でそういうことするのやめよ?

 火事になったら洒落にならないんだけど?


 そうは思っても、声にする余裕は無かった。私は屈んで、井森さんは跳んで回避する。だから、なんでアンタらそんな身体能力高いんだよ。


「仕方無い、ここで決めるわ!」


 着地と同時に、井森さんはバグに向かって走り出した。今の攻撃を何度もされればマズい、彼女が焦るのも無理はないだろう。


 井森さんに迎え撃つように、山羊は彼女へと顔を向ける。

 無我夢中で手を伸ばす。

 このままでは彼女が消し炭になってしまう。

 私はアームズを呼び出して、同時に念じた。


 盾になれ、と。


 バグと井森さんの間に現れたアームズは、ぎゅっと身を寄せ合って立ちはだかった。遠目に見ると鎖かたびらのようである。


 それらはバグの炎をほとんど防ぎきり、井森さんが間合いに入るまでの時間を見事に稼いだ。


 大きな斧が天に向けて振り上げられる。


 井森さんが跳ぶ。


 斧がバグの頭を、まきびしごと真っ二つに叩き斬り、勢い余って地面に深く刺さる。


「……お」

「はぁ……はぁ……」


 バグは声を発する器官すらも失い、音もなくモザイクに包まれて消えていった。


「や、やったー!」

「えぇ、どうなるかと思ったけど、あなたの土壇場の力に任せて正解だったわね」


 井森さんはそう言うと、手を差し出した。これを拒む理由は無い。私は彼女の手を掴み、握手する。

 堅く結んだ握手だったが、手を離そうとしたところで引き寄せられた。


「へっ」


 井森さんに抱きとめられ、耳元で囁かれる。

 やっぱり家行っていい? と。


「く……」

「く?」

「来んなああああ!!」


 彼女を突き飛ばし、怒りに任せて叫ぶ。

 手伝っても手伝わなくても貞操の危機とか。

 もう何を信じて生きればいいのか分からないわ。


「冗談よ。ありがとうね」

「……どういたしまして」


 と言っても、私はあんまり何もしていない。今回も私の端末が振動することはないんだろうな、と半ば諦めた気持ちで時を待つ。


「あら、メールだわ」

「おめでと」

「え? 札井さんは?」

「それ、帰還命令だから。帰れる人以外は来ないんだよ」

「……まさか、私に会う前にも?」

「うん。知恵と一緒にバグを倒したんだけどね。あいつがメール受け取って帰ってったよ」


 井森さんは若干気まずそうな顔をしている。別に、気を遣う必要はない。

 知恵の時ほど、私はデリートに貢献してなかったし。そう伝えると、彼女は首を振った。


「でも、あなたがいなければどうなっていたか、分からないわ」

「うーん、案外普通にデリートできたかもよ?」


 複雑そうな表情のまま、彼女は笑った。

 私もまだまだね、と言いながら。


「今回は助かったわ。もし志音とのことで何かあったら、遠慮なく言ってね。力になるわ」

「し、志音とのことって?」

「ほら、二人とも初めて同士でしょう?」


 心配そうに彼女は私を見た。彼女が何を言わんとしているのか、手に取るように理解できる。したくないけど、できてしまう。

 私は今日一番の大声をあげて、彼女に言い放った。


「とっとと帰れ!!!」


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