第96話 なお、命知らずとする


 私は知恵と向かい合って立っていた。

 わざとバグの視界に入っておびき出し、彼女は見事に予定していた位置にバグを誘い込んだのだ。曲がり角を曲がってそのまま知恵を追いかけたバグには、私の姿は見えていないようである。


 第一段階クリア。

 心の中で安堵すると、バグは先程と変わらない、悪気のない声で告げた。


「オレってば忙しいんだ! お前には死んでもらうからな!」


 溝にハマったタイヤのように、彼はその場で回転して見せた。砕けた石や乾いた土が巻き上げられる。

 今さらだけど、これで本当に上手くいくのか。私は少し前の出来事を思い出しながら、一人不安に駆られていた。


 まず、それっぽい形状で呼び出してくれと言われていたまきびしについて。まきびし自体を出す事にはもちろん成功したが、知恵のリクエストを満たす事はできなかった。

 というかできると思う?

 元々あのサイズで呼び出そうとしたら、それもうまきびしじゃないし。強いて言うなら”ビッグライト当てられたまきびしだったもの”だし。それをイメージするとなると、形状の確定に意識が集中してしまい、

 まきびしではない、を一つだけ呼び出すことになりそうだと思った。


 そうすると、浮かせたり、感知する力があったり……そういった、普段当たり前に使用してきた能力すらも発現できない可能性が高い。

 何が言いたいかと言うと、”普通のまきびしなんだけど、大きくさせたときに棘の部分がぴったりとパソコンの穴に合う”というものを呼び出す必要があったのだ。

 わかる? つまり無理なの。バランスとかすごいイメージしにくいの。普通の状態でも難しいのに、”大きくなったらぴったり”なんて無理に決まってる。


 だから普通に呼び出したのだ。知恵は始めに怒ったけど、訳を話したら反省して謝ってきた。「あたしがお前のまきびしに合わせてパソコン呼び出せば良かったな」って。

 これほど「それな」と言いたかったことはない。私は人に合わせるということは向いてないから皆が合わせて欲しい。

 集団生活の中でこんなことを言ったらただのヤバい奴だが、ことアームズの召喚に関してはこう言わざるを得ない。


 こういう経緯があって、私達はあっさりと作戦というか、アプローチを変更した。そして、驚くことに、それはより良い結果を齎した。

 いや、まだ結果は出ていないけど。でも絶対にそうだと言い切れる。


「後ろは行き止まりだぜ!」


 バグは嬉しそうな声をあげて、知恵を追いつめていた。その様子は、力を溜めて、発射の瞬間を今か今かと待っているように見える。


 そして発射のタイミングを心待ちにしているのは私も同じだった。知恵が例のパソコンを、奴の横っ面に当てるその瞬間を。


 まきびしは諦めたのかと言われると、そうではない。元々棘が刺さる場所として空いていた部分に、それぞれ2〜3個ずつ詰めてある。

 ぶつかる瞬間に大きくなるよう念じるつもりだ。


 この方が確実だし、もしかしたら相手の油断も誘えるかもしれない。それに元々2個しか搭載できない予定だったものが倍以上になるのだ。

 総合的に見て、作戦の成功確率は向上したと言えるだろう。多分。


 しかし、この作戦には一つ難点がある。そう、ぶつかる瞬間に大きくしないと意味がないのだ。

 タイミングが早かったら? パソコンから生えてきた何かがポロポロっとバグのすぐ隣で転がることになる。絵的にシュール過ぎる。

 遅くても同じくらいシュールだろう。衝突後にモ゛ッ! と大きくなるそれを想像してみて欲しい。


 つまり、私は絶対に成功させなければいけないのだ。その為には、まず知恵があのバグにパソコンをぶつけなきゃいけない。


 パソコンは助走を付ける為に、そしてファンの音を察せられないようにするため、少し離れた場所に待機させていた。

 もうすぐ到着するだろう。


 バグが丁度、側面を晒している路地から。

 真直ぐに。最高速度で。


 ひゅおおぉぉ……!!


 風を切る音が近付く。

 激ヤバドローンの姿を確かに目で確認する。

 ぶつかる……!

 私はアームズに大きくなるように念じた。


「おーっと! オレってばあぶねー!」


 バグは垂直だった体をひょいと水平にして、いとも簡単にパソコンを躱した。



 はい?


 なに?


 お前何しちゃってんの?



 その身のこなしはまるでマタドールの操る赤い布のようであった。

 知恵のパソコンは丸めてあった牧草の中に、音を立てて埋もれていった。


 はい。

 ここで前回の乙さんの発言を振り返ってみましょう。


 ——あのデカい的に当たらないって事は無いだろう


 はい。

 まず無いと踏んでいた最悪の事態が、いとも簡単に実現したよ。


「今度はこっちから行くゼー!」

「ヤベッ」


 知恵はそう呟くと、何を血迷ったのか、バグに向かって駆け出した。そして、水平のまま知恵を狙う攻撃を、スライディングですれ違うことで回避したのだ。

 なんだアンタも運動得意系の奴か。といっても家森さん程じゃないんだろうけど。


 しかし肝が据わっている。あんな避け方、余程度胸がないと出来ない。あいつが気まぐれで縦になったらミンチじゃないか。


 知恵は向かいにあった建物に背をつき、バグと対峙している。彼女が触れているのは、私が潜伏している建物と同じである。

 何かできるかもしれない。私は居ても立ってもいられなくなり、伏せていた身を起こそうとしたが、その時に知恵の手に気付いた。


 彼女は右手で、キツネさんを作っていたのだ。

 は? ちょっと小粋過ぎない?

 そういう機転の効かせ方は、些かずるっこなのでは?


 でもわかった。

 あんたが【こっちは大丈夫だ】と言うなら、私は信じよう。

 固唾を飲んで、知恵の合図を待つことにする。


「オレってば今のハズすとは思わなかったー!」

「なんだっけ? トラック? 動かすんだろ? 早くあたしを倒してみろよ」

「ト…………」

「?」

「トラクターだ!!!!」


 バグは絶叫して、猛スピードで知恵の首を撥ね飛ばそうと迫った。先程の攻撃はまるでお遊びだったとでも言うような、恐らくあのバグ渾身の一撃である。

 トラックとトラクターね。うん、あそこまで拘ってる奴にそんな間違え方したら怒るだろうね。


 声を上げるまでもなかった。

 バグの絶叫から、知恵の眼前へ到達するまでが一瞬過ぎて。

 首なんて撥ねられたら、絶対にリアルでは植物状態になる。

 心臓がきゅっとなる。

 なんであんな合図したんだよ、と知恵に見当違いな怒りをぶつけすらした。


「っと!」


 バグが衝突する直前、知恵はその場で、再びスライディングするようにしゃがんだ。すると彼は止まりきれず、民家の外壁に自らの体を深々と埋める。

 妙な声をあげながら力を入れているようだが、壁に刺さった体はなかなか抜けないらしい。


「夢幻! やれ!」


 知恵の声を合図に、体が勝手に動いていた。私はパソコンの中に入っていたまきびしの呼び出しを解除し、すぐにまた具現化させる。

 場所はバグの真上。建物の屋上、私の目の前。


 そう、私は地上ではなく、建物の屋上にいたのだ。それもこれも、全てはパソコン衝突の瞬間を、正確にこの目で確認するためである。

 こんな事態になるとは思いもしなかったが、なるほど。確かに、ここからならよく狙える。


 私は自身の足場の、遥か真下で蠢いているバグに、大きくなったまきびしをお見舞いした。ただぶつけるのではない。体を固定された状態で、横から負荷をかけられるのである。

 私が落下するよう念じている力の他、重力が威力を後押ししている。

 バキィン! と派手な音を立てて、大きな金属が折れる音が聞こえた。


 様子を窺うように、恐る恐る覗き込む。できれば高いところに立って真下を覗きたくはないのだ。

 いや普通に怖いでしょ。

 あと知恵まで巻き添えでミンチになってたらと思うと、それも怖い。しかし、知恵は私の不安を払拭するように、声を上げた。


「やったな! 夢幻! デリート完了だ!」


 知恵は地べたに座りながら笑っていた。

 私は急いで地上へと向かう。


 知恵の元へと辿りつくと、すぐに手を差し伸べて立たせた。


「よぉ。ごくろーさん」

「知恵こそ。あんな風に危ない目に合ったのは菜華には内緒にしてね」

「あー? 細かいことばっかだな。なんでもかんでも秘密って、逆に怪しくねーか?」

「怪しいとか言わないで!」


 私の言い分に呆れたという表情をした知恵は、ため息をついてから鞄の中を漁った。何をしているのだろうか。

 取り出したのは鬼瓦先生との連絡用の端末だった。


「どうしたの?」

「……お前メール入ってねーの?」

「え?」


 気付いていなかったが、どうだろう。鞄からそれを取り出すも、アンテナは光っていない。

 何コレ、結構寂しい。


「あー……そういうことか。悪いな、夢幻」


 言葉の意味は分からなかったが、知恵が私に端末の画面を見せてくれたとき、嫌でも何が起こったのか理解できた。


【試験合格だ。帰還するように】


 確かにね。複数で倒した時は貢献度で誰を合格にするか決めるって言ってたよね。

 でもさ、これ知恵の方が貢献度高い? 私もなかなかじゃない? むしろかなりじゃない?


「なんつーか、マジで悪いな」

「……はぁ。いや、いいよ」

「そ、そうか?」

「そうだよ。知恵を殺しかけたかもしれないのに、私の方が合格してたら、ほら、ヤバいじゃん」

「あぁ。確かにな」


 もはや何を警戒しているのかは言わない。知恵は困ったように笑いながら、私を激励して帰還した。

 私はというと、新たなバグと遭遇するため、集落を抜け、森の中へと入っていった。

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