第93話 なお、やっぱり変人とする
放課後、私達は帰り支度をしていた。
ちなみに知恵達は、ホームルーム中にやっとA実習室から戻ってきた。
何をしていたんだ、なんて野暮なことを聞く者はいない。
その場にいなかった私達三人以外は、発表会での異様な様子を見ていたし、ダイブしていた面子も相方の知恵に、私と家森さんである。あえてそこに触れようとする者はいなかった。
唯一、凪先生だけは「遅いぞー」とだけ声を掛けたが、それ以上言及することはしなかった。おそらく、二人があまりにも暗い顔をしていたせいだろう。
最近やけに一緒にいたがる志音を連れて、私達は教室を出ようとしていた。
帰り道の志音は嫌いじゃない。コンビニでアイスとか奢ってくれるから。
しかし、私達の平穏な帰宅は、大きな影によって阻まれてしまう。顔をあげると、そこには真剣な表情をした鬼瓦先生が立っていた。
「先、生……?」
「札井、驚かせてすまない。鳥調はいるか」
「はい」
私が何か言う前に、菜華本人が返事をした。声の調子は普段と変わらないが、彼女が放っているオーラは普段と明らかに違う。
周囲を威圧する為に出されているようには感じないが、鬱屈とした、負の感情が渦巻くような重苦しい空気に、結果的に私達は気圧されていた。
鬼瓦先生は怯む事なく、教室に足を踏み入れ、菜華の方へ歩み寄る。
「お前の過去に何があったのかは分からない。ただ、一つ言わせてもらう」
「……?」
「過去に囚われるな」
彼はそう言い、菜華を射抜くように見つめた。普段の彼女であれば、そんな説教はどこ吹く風と言った様子で応対していただろう。
しかし、今の彼女は違った。彼の視線を打ち返すように、冷たく睨み返していたのだ。視線を交錯させた二人は、互いに一歩も譲らず見つめ合っていた。
先生すごいな、よく漏らさないな。
「普段なら、生徒がデバッガーを目指す理由に、とやかく言ったりはしない」
「でも、今してる」
「それはお前の命を守る為だ。お前が本気で復讐を遂げようとするなら、俺は本気で止めるまでだ」
先生は先程の発表を聞いて、何かを察したようだ。教室に残されているのは私達と他数名である。
というか、みんななんとなく帰ろうとしてた筈なんだけど、謎のイベントが発生して帰るに帰れなくなっている。
「お前のように復讐を目的としてデバッカーを目指す者は他にも居た。だが、その多くは実習中に命を落とした」
「それはその人達が弱かっただけ。それに、そうなっても私は構わない」
菜華は、抑揚のない声で、淡々とそう言った。
物音を立てることすら恐れ多い。帰りそびれた生徒達はそんな気持ちで、静かに成行きを見守っていたと思う。
しかし、菜華の言葉に絶句していた先生よりも先に行動を起こした者がいる。この空間でたった一人、金縛りに掛かっていなかった彼女である。
睨み合う二人に大股で歩み寄ると、たまたま持っていたのであろう下敷きで菜華の頭をぶっ叩いた。
ちなみに面の方ではない。切るように、A4サイズのプラスチックの板を、思いきり頭頂部に振り下ろしたのだ。
ねぇ知恵、気持ちは分かるけど、多分それめっちゃ痛いヤツだからやめてあげて。
私は心の中でそんなことを言いながら、やっぱり動けずにいた。
「先生に当たってんじゃねーよ」
うん、どちらかと言うとね、すっごい痛いヤツが菜華の頭に当たってる。
もちろん口には出せないけど。
「当たってない」
菜華がそう言うと、知恵はまた下敷きを降り下ろした。
いい加減にしないとマジで血出るぞ。
「当たってたっつってんだろ」
「……」
「あたしがそう言ってんのに否定すんのか」
「……」
「菜華。お前が死を恐れてないのも、復讐の為に生きるのも構わねぇ。ただ、亡くなった人達に、”ただ弱かっただけ”なんて言い方、するもんじゃねぇ」
「それは……悪かった」
菜華は俯いたまま、そう言った。
そして、少し遅れて、彼女の足元に赤い液体が滴る。
「おい、菜華のヤツ、頭から血出てるよな?」
「私も思ったけど、なんかほら、シリアスな雰囲気でツッコミにくくない?」
「それな」
私達はやや引きながら、その光景を眺める。普段であれば絶対に止めた筈の鬼瓦先生だが、彼は立ち尽くしていた。
「乙は、止めないんだな」
「まぁ、止めても聞かねーし、こいつ」
重たい沈黙が教室に充満している。
もう耐えきれない。私はこっそり教室から出ようとした。
「おい、いいのかよ」
「菜華だってこんな話、クラスメートに聞かれたくないでしょ。行こ行こ」
そう、これは私の帰りたいという気持ちと、菜華の気持ちを汲んだ決断なのだ。
「……中学の頃、あるオーディションを受けた」
ほら志音がモタモタしてるから過去語り始まったじゃん。
もうお前が二人分聞いとけ。私帰るから。
はっきり言って、こういう話を聞かされるのは好きじゃない。あ、菜華の過去に興味がない訳ではない。初めに言っておくけど。
単純に、聞き終わった後にどういう言葉を掛けたらいいのか分からないのだ。
あまり気の毒そうにしても同情するなと怒られそうだし、気遣い過ぎても変な空気感になるし、かといって聞き流すのも悪いし。
とにかく、リアクションに困るからこういう現場には、極力居合わせたくないのである。
しかしもう手遅れであろう。
私は彼女の過去語りに、耳を傾けようと観念した。
「その時にバグに邪魔されてデバッカーになろうと思った」
簡潔過ぎるわ。
同情や気遣いが介入する余地がゼロ。
こいつは”ムカつく出来事”排除ロボットか何かか。
「おま……それじゃ言葉足りないだろ……」
知恵は呆れた様子で助け舟を出した。ちなみに、今は殴ってない。いま殴ってたら流石に止めてた。
「KIRAってギタリスト知ってるか?」
知恵はその場に居た生徒達に問うた。
誰も声は発しなかったが、皆が静かに頷く。当然私も。
というか、ここに彼女を知らない人間なんていないだろう。
KIRA、彗星の如く現れた女性ギタリスト。
色んなアーティストと組んで曲を出しており、feat.KIRAという単語を最近よく目にする。ある映画のギタリスト役をするとかで、役者デビューも控えているらしい。
ちなみに私は全く彼女に詳しくないし、関心もない。これらは、普通にテレビを観たり、雑誌を読んだりしていると、自然と入ってくる情報なのだ。
「そいつがそのオーディションで選ばれたヤツだ」
「え……」
私は菜華を見た。KIRAなんて、超有名人じゃないか。
菜華がそうなる可能性があったってこと?
いや、ギターの善し悪しは分からないけど、単純にKIRAの方が上だった可能性もある。
「最終選考の前に、打診があった。来月のレコーディングに来れるか、と。曲も渡されていた」
菜華がぽつりと言った一言で、「何事もなければ選ばれていたのは彼女だったのだろう」と理解した。
渡されていた曲というのは彼女のデビューシングルとなる筈のものだったらしい。そして、たまたま菜華の出番でバグが悪さをした、と。
え。めちゃくちゃ可哀想。
「音は途切れ途切れ。エフェクターは踏んでも無反応」
よくわからないけど、ヤバそうな雰囲気だけは分かる。
私は彼女の身に起こった出来事に、耳を傾け続けた。
「本番で結果を出せないギタリストなんて価値がない。そして彼女が選ばれた」
菜華は淡々と事実だけを述べている。
しかし、その様子はやけに痛々しく見えた。
「落ちたのは私の実力不足。大事な局面で機材トラブルなんて言い訳にならない。機材は何度見直しても問題なかったけど、それでも私の時だけそうなった事を考えると、何かしら自分に落ち度があったのだと考えた」
ストイックな彼女の事だ、そう考えるのは自然だろう。逆に、私みたいな性格ならその場で言い訳できたんだろうけど。
でもきっと、そんな性格では、そのステージに立つに至らないんだろうな。
「そして数日後、あるニュースを見た。あの日、オーディションの開催地では、バグが猛威を奮っていたらしい。調べると、私の出番の時刻、丁度その一帯にバグが痕跡を残していた」
言葉が見つからなかった。
鬼瓦先生ですら、眉間に皺を寄せて言葉を探しているようだった。
「勘違いしないで欲しいのは、私がそのときのバグを追っている訳ではない、ということ」
「へ?」
このとき、間の抜けた声を上げたのは、他でもない知恵である。彼女ですら勘違いしていた、という事だろう。
「そのバグはデバッカーによって既にデリートされている。確かに、私は彼らをどちらかというと憎んでいる。オーディションで納得のいく演奏ができなかった事を、少なからず悔やんでいる。だけど、デバッカーを目指した一番の理由じゃない」
「いや、じゃあなんだよ……あたしはてっきり……」
「バグが存在する限り、リアルでは常に彼らに演奏を邪魔される危険性がある」
「え、えーと……つまり……?」
耐えきれなくなって、私は口を挟んだ。
こいつ、まさか……。
「バーチャルなら、あの時のように邪魔される事はない。私は気持ちよく演奏できればそれでいい。そもそもギター以外のことには興味が無いし、シングル曲のボーカルだけならまだしも、役者の真似事をしたり、その宣伝の為にバラエティ番組に出るなんて絶対イヤ」
私は菜華という人間をまだまだ理解していなかった。彼女がここにいる理由、聞けば納得する要素しかない。
そうだ、彼女が知名度や金に執着するわけ無いじゃないか。
いや、そうすると一つ不可解な点が浮上する。先程の授業で見せた彼女の執念である。私は内容を聞いていなかったけど、その綿密さに、居合わせたものはただただ引いたというじゃないか。
やはり少しはオーディションに受かりたい気持ちもあったのではないか?
私は彼女に尋ねた。
「夢幻、あなたは尊敬するプロのギタリストに自分を演奏を聴いてもらえる光栄さを感じたことはある? 毎日何時間も練習して磨き上げた曲が、ものの数分で終わる儚さを感じたことはある? 自分の演奏がどのように評価されるか、そのために全力を尽くし立ち向かう高揚感を知っている? それら全てを背負ったステージで、何もできない無念さを感じたことはある? 期待されていた演奏が全くできず、ゴミを見るような目で見られるプレッシャーを知っている?」
「マジごめん」
私は即座に謝罪した。
選ばれるとか選ばれないとかじゃないんだ。
彼女が私に問うた事は何一つ感じたことはないし、知らないけど、バグへの対策なんて嫌でも考えてしまうような事柄だということはよく分かった。
「という訳で、別に復讐目的じゃない。心配は無用」
その言葉には説得力しかなかった。
うん、本当に違うんだろうな、と思わされる。
普段の彼女の変人さの賜物だろう。
「先生」
「どうした札井」
「今まで、ギターを弾く為にデバッカーになろうとした生徒っています?」
「いると思うか?」
「いないでしょうし、これからも現れないでしょうね」
「そういうことだ」
彼は噛み締めるようにそう言うと、呆れたように、しかしどこか嬉しそうに頷いた。
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