第92話 なお、可哀想な男とする
私は二人の首根っこを掴んで、リアルへと帰還した。というかさせた。
時計を見ると、授業が終了する時刻を指している。一応授業中のようだけど、発表会には間に合わなかったようだ。
「おっ、戻ってきたか。首尾はどうだ」
「デリートしてきましたよ」
「そうか、よくやった。丁度授業も終わる頃だ。発表会に間に合わなかったのは残念だが、みんな無事で良かった」
鬼瓦先生は私達の顔を見て、安心したように呟いた。
年に数名の失踪者が出るのだ、無理もない。その不安はさぞかし大きいだろう。
「おい」
「なんだ志音か。ただいま」
「遅い」
「そうだね」
発表会までには戻ると言ったが、随分遅れてしまった。それについては嘘をついたことになるので、一応謝罪する気持ちはある。
にしても、このゴリラの態度は何?
無事に帰ってきたんだからもっと喜べ。帰ってきた事実を日記に記してそれを家宝としろ。
志音を睨みながらそんなことを考えていると、チャイムが鳴った。
先生は少し浮かない顔をして「座ったままでいい。各自、準備が出来たら教室に戻るように」と言って、早々とA実習室を後にした。
実習室には、何とも言えない空気が流れている気がした。
発表会で何かあったんだろうな……。そう勘ぐってしまいたくなるような、妙な空気だ。
しかし、ある人物の声がそれを消し去った。
「そうだ! 八木は!? あいつ無事なのかよ!」
知恵は弾かれたように立ち上がり、彼のダイビングチェアまで向かった。私も少し気になる。不憫過ぎる彼の事が。
知恵の声に釣られるようにして、私は彼の元に駆け寄った。別についてこいとか言ってないんだけど、後ろには志音もいた。
「俺らの代わりにあいつをデリートしてきてくれたんだよな、ありがとう」
「気にすんなよ! それよりも体は平気なのかよ」
「おう。妙なポエムを聞いた途端、気が遠くなったんだ。でも、どこも痛くないし、もう平気だ」
「多分、八木はたまたま、あのバグの攻撃に波長が合っちまったんだよ」
「そうか……昔の自分を思い出して、死ぬほど恥ずかしかったせいで倒れたんだと思ってたぜ……」
「心のセキュリティホールじゃん」
昔の八木君ってあんなだったのか。木曽さんを見ると、話についていけなさそうな顔をしていた。
彼に庇われ、バグの攻撃を耳にしていない彼女は、あのポエムと言われてもピンと来ないだろう。
「八木。ポエムって?」
「い、いや、なんでもない。気にすんな」
なんでもないだなんてとんでもない。私は、糸を紡ぐように言葉を発する。
「愛と恋の違いって何かわかるかい?
僕が君に抱いている気持ちが
どちらか分かるかい?」
「は? お前、何言ってんだ?」
「札井さん大丈夫? 救急車呼ぶ?」
志音と木曽さんがドン引きの視線を向け、各々声をかけてくる。
っていうか木曽さん、それ何気に酷いよね。
しかし、八木君だけは顔を真っ赤にして狼狽えていた。それを誤摩化すように、腕を組んで目を泳がせている。
「あ、あいつの真似か……上手いな」
「いや実際言ってたポエム。キモ過ぎて覚えちゃった」
「どんなインパクトだよ」
事態を把握したのか、木曽さんは呆れた顔をしていた。木曽さんはキツい感じがするけど、実はすごい優しい人だと思う。
志音にそんな過去があったと知らされたら、私なら絶縁する。
「あんた、昔こんなだったんだ……」
「いや、人には言ってないって。ネットで投稿してただけで」
なるほど。
確かに、アレをリアルで言ってたらガチの狂人だ。
とにかく、彼の無事も確認できた。そこで私はようやく気付く。井森家森ペアが居ない、ということに。
どうやらもう教室に戻ったようだ。薄情のプロかよ。
「んじゃ、そろそろ教室戻ろっか」
「俺はこのあと検査が残ってるから、みんなは先に帰ってくれ」
「そうか。無理すんなよ!」
知恵は席に戻り、ずっとダイビングチェアでぼーっとしていた菜華を迎えに行く。私達と木曽さんは荷物もないので、そのまま教室を出た。
「二人とも、今日はありがとう」
「あたしは何もしてないぞ」
「ずっと札井さんの帰りそわそわ待ってたでしょ。心配するようなことさせちゃってごめんね」
「べ、別に……」
志音は返答に困ったようで、視線を逸らして言葉を濁した。
こういうやりとりを私の前でやるのやめてほしい。普通に気まずい。
「さっきの話だと、バグの攻撃はお前達に効かなかったってことか?」
「直接はね。でも。ポルターガイストみたいに物で攻撃されたり、結構大変だったよ。霧になるから攻撃も当たらないし」
「そうだったんだ……どうやって倒したの?」
「奴の寝室に押し入って、家森さんと知恵が家捜ししたの。パソコンの閲覧履歴とか」
「極悪非道かよ」
「ゴミ箱の中のティッシュについて言及したら消えた」
「そりゃ消えるわ」
他に方法が思いつかなかったし、心を鬼にして実行できる子と組めて良かったと思ってる。
いや、わざわざ鬼にしなくても元々鬼なのか。特に、誰とは言わないけど、は虫類さん。
そして、私は戻ってきた時の空気がおかしかったことを思い出した。あの異様な空気の正体はなんだったのか、二人に尋ねると簡潔に教えてくれた。
「あのね、鳥調さんが、なんていうの、その、ヤバかったの」
「菜華はいつもヤバいよ」
「違ぇよ、もっとヤバかったんだ」
あれ以上ヤバいって何?
奇声をあげながらダイビングチェアのモニターを叩き割ったりしたの?
とりあえず、誰があの空気の原因なのかは分かった。実習室に残っていたメンバーを考えると、ある意味で順当な犯人であると言える。
志音と木曽さんは目配せして、頷いてから説明してくれた。
知恵達のレポートはよく出来ていると評され、発表の対象となったらしい。そして、その場にいた全員が引く程、菜華の発表は完璧だった。
完璧というか、用意周到というか、とにかく綿密で、何が起きても対処できるように計画されていたらしい。
下調べの日に、菜華と知恵に会った事を思い出す。確か二人は、ライブ中にバグが悪さをした場合の対処についてまとめていた筈だ。
ふと気になり、立ち止まって振り返る。
すぐ後ろを歩いていてもおかしくないと思っていたが、二人とはすぐ後ろどころか、A実習室から出ていていないようだった。
「知恵達、まだ居るんだね」
「……菜華の奴、発表から明らかに様子がおかしかったよな」
「そうだね、心ここにあらずって感じだった」
——ライブに出たことあるの?
——黙って
私はこのやり取りを何度も頭の中で反芻した。本当はする度に傷付くから、あんまりしたくないんだけど。
でも、やっと分かった気がする。あの質問が彼女の逆鱗に触れてしまった理由も、あんなにギターが上手なのにこの科に来た理由も。
何があったのかは分からないけど、ここはきっと知恵が何とかしてくれるだろう。
というか、知恵くらいにしか、なんとか出来ないと言った方が正しいか。そう思い直し、再び教室に向かって歩き出した。
「……なんつーか、八木ってマジで可哀想だよな」
「私もちょっと思った」
やっと目を覚ましたと思ったら、自分は居ない者として扱われ、「え、これ俺が聞いていいの?」という話を半ば強制的に聞かされる。
ここまでくると、八木君の不憫さが個性のように思えてくる。
私は心の中で、無責任に彼を激励し、エクセルを後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます