第87話 なお、家を破壊されて怒らない人はいないとする


 太陽がじりじりと地上を照りつけている。

 バーチャル空間の太陽は一体何者なんだ。そういえば、夜には月も出ていた。太陽系も衛星も、この空間にはある筈ないのに。戻ったら先生に聞いてみよう。

 そんな事を考えながら、私は再び吸血鬼っぽいバグと向き合った。


「ふふ、今宵はお客さんが多いね」

「宵って……まだ昼間だぞ」


 気を取り直して、という様子で、バグは先程のやり取りは無かったことにして話し始めた。壁を壊されていたときとは全くキャラが違う、これが普段の彼なんだろう。

 黒縁眼鏡をくいっと直し、不敵な笑みを浮かべている。こんな真っ昼間に”今宵”と言えるのは、ある種すごいセンスだと思う。


「君にはそう見えるのか、まぁ無理もないか……羨ましいな……」


 知恵に指摘されたバグは、ただ悲しそうに微笑んだ。

 ”見える”……? もしかして、時間を操作する力を持ったバグ……?

 私達の間に一気に緊張が走る。音で攻撃してくると聞いていたが、他の攻撃手段を持っている可能性だって大いにある。


「僕は常に闇に塗れている。陽の光すら届かない……」

「あっ……」


 なんとなくどういうことか、少しずつ分かってきた気がする。でも、そうだとしたら、かなり面倒なことになるだろう。


 というか、日差しが眩しそうな顔して何言ってんだコイツ。逆光になって辛いのは分かるけど、目を細めるな、目を。


「僕の心と宵闇……どっちの方が、くらいのかな……」


 うん、やっぱりコイツ病気だ。

 思春期特有のアレの中でも割と厄介な方だ。


「こいつ、中二病ってやつか?」

「そんなハッキリ言ったら悪いよー」

「アンタ、魔界とか好きでしょ」


 私は確信を持って彼に質問したが、なんと青年は困った顔をして首を横に振った。その表情は私達を窘めるようですらある。


「魔界って……子供じゃないんだから。僕はそんなものに憧れたりしないよ」

「じゃあマントの襟立てるのやめろ」


 腕を組んで少し呆れたような顔でそう言うと、知恵は手を開いて胸の高さまで上げた。おそらく、音での攻撃に備えているのだろう。

 私と家森さんは同じように構えてみる。しかし、彼は攻撃する素振りを見せない。


「何か勘違いをしているよ。僕は吸血鬼じゃない。耳だって普通だし、太陽だって平気だ」

「血は飲まないのか?」

「あぁ、もちろん」

「じゃあ一番にそれ言えよ」


 確かに。血は飲まないって言ってくれたらもうそれで終わりだよね。妙に納得してしまった。


 向こうが何もしてこないなら、一気に畳み掛けるのが吉だろう。私は手を握ってアームズを数個、こっそりと手のひらの中に呼び出した。


「吸血鬼とか魔界とか、君たちは随分と幼いことを言うんだね。でも、それでいい。好きなものは好きと言うべきなんだ。誰かと同じ自分になるなんて……まっぴらだよね」


 くすっ。彼はそう笑って私達に微笑んだ。

 うるせぇ何がまっぴらだ。きんぴらでも食ってろ。


 私はそう言う代わりに、握っていたまきびしを一つ、思いきりバグに投げつけた。出来るだけ速く彼に向かうように念じ、更にスピードを加える。

 大きくなったそれは、見事にバグの顔面を捕らえた、筈だった。 


 それがぶつかる瞬間、突然彼は霧になって消えたのだ。そして、どこからともなく声が響く。


「もう。僕にそんな攻撃が効くと思っているのかな?」


 家森さんはマップを開いて、バグの動向をチェックするも、こいつは完全にいない事になっていた。


「あー、やっぱり。霧になってる間は何者にも感知されないって状態なんだね」

「そんなの倒しようがある?」


 私と家森さんは、目を合わせて、困ったように笑った。触れる事すら出来ない存在にどうやって立ち向かえというのだ。

 これが対デバッカーの戦闘の話だけならまだいい。しかし、あの気取り屋眼鏡はバグなのだ。この先、彼が何か悪事を働いた場合、かなり厄介な存在になると言えよう。


「いいだろ、どうせあたしらは発表会を免除されたようなモンだ。気長にやろうぜ」


 知恵だけは強気な表情を浮かべていた。言い終わるや否や、彼女はパソコンを呼び出し、キーボードを叩き始めた。


「何か手があるの!?」

「それを今から探るんだよ」


 周囲に目配せをし、襲撃を警戒しながらも、知恵は手を休めない。すごい、この諦めない姿勢、頼れる隊長って感じ。こんなの、一生ついていきたくなる。


「あれ、こいつセキュリティホール無いじゃん。やべー……どうする? 逃げるか?」


 人の憧憬を一瞬で無に帰すの止めろ。


 やっぱこいつの下につくとか無いわ。

 調子いいこと言っといて、すぐ諦めるとか最初から逃げ腰よりもタチ悪いわ。


「申し訳ないけど……君達はこのままじゃ帰れない……分かるよね?」

「なんでだよ! お前も逃げっぱなしってことは、あたしらとやり合う気はないんだろ!?」

「まー、倒した方がいいに決まってるけどねー。深追いしても……ねぇ?」

「そうだね、今ならお互いに被害は無いし、今回は無かったことに」

「僕が逃がさないと言ってるのは、”お互いに被害は無い”とか言ってる女が、僕の城の外壁を破壊したからなんだけど」


 バグは私個人に恨みがあるようだ。ちょっと壁を壊したくらいでいつまでもぐちぐちと。なんて女々しい奴なんだろう。

 男なら適当な石を拾ってきてセメントとかでぴゃっと修復しろ。


 そうは思ったが、ここは謝罪するしかないだろう。攻略法が見つからない上に、相手はなんだか静かに怒っている。

 私は神経を逆撫でしないよう、細心の注意を払って発言した。


「ごめんね……壁が必要とは思ってなくて……」

「壁が必要とは思ってなくて!? 住居の基本って雨風凌げる壁と屋根だよね!?」


 バグの姿は見えないが、動揺しているのが手に取るように分かる声色だった。そうだね、そう言われてみれば壁ってわりと重要だったね。


「おい、夢幻。謝罪が下手なのはよく分かった、ここはあたしらに任せて黙ってろ、な?」

「そ、そうだね。ちょっと札井さんは休憩しててね。ほら、休もう」

「おい君。本当の本当に悪いと思っているか? 本心を語ってくれたら見逃そう」


 なんと。

 本当に思っていることを言えばいいだけで、一旦帰還できるのか。ならば言おう、本心を。明らかな悪口という訳でも無いし、きっと彼も「あぁ、なるほど」と納得してくれるだろう。

 私は二人の制止を無視して、こう言った。


「っていうか霧なのに家いる?」

「よし殺す」


 バグは再び私達の前に姿を現した。

 かなり激昂しているようである。


「てめぇー! 黙ってろっつったろ!」

「なんていうか逆に、あのタイミングで一番言っちゃいけない言葉選手権って感じの発言だったよね」


 彼の片目が真っ赤に染まっている。感情が高ぶるとオッドアイになるということだろうか。すごい、世の中二病患者の夢じゃないか。


 私は戦闘回避を諦め、相手の攻撃に備えた。

 というかそうするしかなかった。

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