第72話 なお、置いとくとする
とある土曜日。夜の6時。私は校門に背を預けて人を待っていた。いや、正確に言うなら人々を待っていた。
鬼瓦先生はまだいい。先に来て「緊急の仕事を片付けたらすぐに戻る」と言って
職員室に走って戻ったのだから。
しかし家森さん達は何をしているのだろうか。もう待ち合わせ時間だというのに。多少遅れて来る分には全く問題無い、こう見えて時間にはそんなにうるさい方ではないのだ。ただ、連絡は欲しい。これじゃ来るかどうか、不安になるじゃないか。
「こねーなー、家森達」
「あんたがちゃんと来てるのが驚きだわ」
「いや来るだろ、焼肉だぞ?」
「だよね。っていうか言い出しっぺって家森さんじゃなかった?」
「あ〜、だった気がする」
私達の会話を遮るように電話が鳴った。それも、私と志音のものが同時に。ディスプレイには"家森"の文字。だとすると、あっちは井森さんだろう。
「はい、もしもし」
「やっほー! ごめん! 私達待ち合わせ場所間違えちゃってさ! いまカンカン亭にいるの!」
「え!?」
「でさー、結構混んできたから、間違えたついでに先に入って場所取っちゃおうかと思ったんだけど」
「先生が仕事らしくて……」
あちゃ〜と残念がる家森さんの声を聞きながら、私は志音に肩を叩かれていた。いつの間にか井森さんとの電話を終えていた志音が、校舎を指差す。
小走りでこちらに向かっているのは鬼瓦先生だ。
「終わったんですかー?」
「あぁ! すぐに車を回す!」
「あっ、もしもし家森さん!? 先生終わったみたいだから、多分15分くらいで着くと思うから先に入ってて!」
「井森達は現地にいるのか!?」
「はい! 混んできたから先に入ってようかって聞かれてて」
「10分で行くと伝えてくれ!」
「あ、聞こえた? だそうだから、ちょっと待っててくれるかな」
そうして私は電話を切った。車に向かう途中、志音に井森さんからはどんな用事だったか訊くと、私と家森さんが電話をしている間、暇だろうから電話してあげたと言われたそうだ。
さすが井森さん、なかなか意味不明だ。
車のドアを閉め、シートベルトをする。それを確認しながら、先生はエンジンをかけた。
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「っつか、あたしお前に番号教えてねーぞ」
「えぇ。家森さんに聞いたの」
「お前に連絡先教えてたっけ?」
「札井さんから聞いたんだよ」
「はぁ? ……何やってんだよ」
「志音の連絡って名刺みたいなもんでしょ?」
「バラまくなよ!」
席についてまもなく、挨拶も早々に志音は電話の話を切り出した。アンタの連絡先知りたがる人なんて滅多にいないんだから、有り難いと思って欲しいくらいだっつの。
「二人は一緒にいたんだよね? なんで志音に電話したの?」
「言ったでしょう? 暇だったの」
「あたしで暇つぶしすんな」
「あなたで、じゃないわ。あなたと、よ。退屈しのぎにはなったでしょ?」
「はぁ……」
「食べ放題でいいか?」
先生は一人でメニューを眺めている。私達にも見えるようにテーブルの上にそれを置いていたが、話に夢中で彼以外メニューに目を通している者はいなかった。
だけどこれだけは言える。
「食べ放題は駄目です」
「そうなのか?」
「はい。何故なら……通常の食べ放題には上カルビや上タン塩がついてこないのです」
「推理モノの謎解きシーンみたいなテンションで言うなよ」
「はい志音だけずっとハツ」
「なんでだよ!」
私達が小競り合いを始めると、それを一頻り眺めてから、先生は言った。
「何故だ、特上コースにすればいいじゃないか」、と。
は?
神か?
「えーと……先生、いま、特上コースって……?」
家森さんも動揺している。ちなみに井森さんは笑顔で特上コースのページを開いて、注文できるメニューを確認していた。少し遠慮しろ。
「言っただろう。今回は特別だ、と。お前らは成行きとは言え、誰も期待していなかったような結果を出して、全員無事に帰ってきてくれた。ならば、俺もお前らが期待していなかったような労いをする。遠慮はするな。食べ放題なんだ、むしろ動けなくなるくらい食え。帰りは送っていく」
やはり神だ。ここに神がいる、鬼のような顔をした神が。ここまで言われて遠慮するような奴は逆に気が利かない。もしくは焼き肉を食べたら死ぬ病気を患っている。
「上カルビはとりあえず5人前くらいでいい?」
「いや、塩とタレで3人前ずついこうぜ」
「それいいね」
「先生、ユッケ頼んでもいいですかー? コース外なんですけど」
「あぁ食え」
「あ、私も食べたいな」
店員を呼んでオーダーを終える頃には、既に何か一仕事終えたような感じすらあった。先に運ばれた飲み物を片手に、私達は改めて任務成功を祝う。
「帰ってきて早々説明会があったり、本格的にデバッカーとして忙しくなってきたようだな」
「説明会に出て考えさせられるものもあったけど、焼肉が頭をちらついてそれどころじゃなかったです」
「お前どんだけ楽しみにしてたんだよ」
「ここの上カルビをどれほど楽しみにしていたか……あんたには分からないでしょうね……」
「なんかごめん」
先生はコーラをグビグビと煽りながら私達に肉を焼いてくれた。なくなったと思ったらちょうどいいタイミングで次が来る。彼がほとんど食べていないことに最初に気付いたのは井森さんだった。
私? 私は一ミリも気付かなかった、というかあそこに三時間いても気付かないままだったと思う。正直少し反省してる。
「先生、焼肉にきたらトングを離さないタイプの人なんですね」
「そういうのは良く分からないな。家族以外と焼肉に来たのはこれで3度目だ」
あっ、なんか触れちゃいけないところに触れたぞ、コレ。ある種逆鱗よりも厳重に扱わなきゃいけないような、脆くて大切な部分に。
井森さんもまさかの返答に、口を噤んでしまった。
「気にするな。お前らも気付いているだろうが、俺はあまり人付き合いが得意ではない」
「確かに前科持ちっぽい顔だとは思ってましたー!」
「家森、いまのは言い過ぎだ。俺があと5つ若ければ泣いていた」
「先生はどうして普段イライラしていらっしゃるのですか?」
「待て、俺はイライラなんてしていない」
井森さんに尋ねられた先生は語り出した。いい事があって内心上機嫌で過ごしていた時に「何か怒ってますか?」と聞かれることの辛さ。
上着の内ポケットに手を入れて歩いているだけで、チャカを警戒される切なさ。聞いているだけで胸が痛くなる、なおかつ、そんな目に合っている彼を容易に想像できてしまうようなエピソードだった。
ちなみに、焼肉の焼き方というか立ち回りについては事前にネットで調べてきたらしい。なんだろう、なんか一種の愛くるしさすら感じる。
この人、こんなにいい人なのに、なんで今まで友達がいなかったんだろう。いくら見た目がアレだと言っても、魅力に気付く人は居ただろうに。
「誰かと仲良くなる為の努力をし続ける、というのは存外気力を使うものだ」
「あぁ……分かります」
「お前はそんな努力してねぇだろうが」
「はいはい」
私は志音の前の小皿に乗っていた、程よく焼かれた食べ頃の肉をひょいと持ち上げて投げやりに返事をした。
「あたしのカルビだぞ!」
「はいはい」
そして口に運ぶ。美味い。柔らかく脂が乗った肉がタレの風味と共に、口内にじんわり広がる。私はいま世界一幸せだと断言できるくらいに美味い。
「てめぇ……」
「まぁまぁ、二人ともイチャイチャするのは程々にね?」
「はぁ!? 誰が!」
「いいんだ、札井。俺は二人のことを応援している」
「んでぃっ」
カルビが変なところに入った。そうだった、先生は誤解したままなんだ。それも最悪の形で。すぐにでも説明したかったけど、肉を喉に詰まらせた私と、食いっぱぐれたゴリラ。
どちらがより早く言葉を発せるか、考えるまでもないだろう。
「……だってよ。先生も、ありがとうございます」
「はぁ!?」
「おら、静かに肉食っとけ」
「ちょっ……!」
食べ物の恨みは怖いって言葉、知らないか? 志音は私にだけ聞こえるようにそう言った。
こいつ……! 私が嫌がると分かっていてわざと……!
食べ放題なんだから、また頼んで焼けばいいだけじゃないか。横取りしたくらいで、今後の私の学校生活に重大な影響を及ぼしそうな嘘までつく必要があるか?
あ?
「そういえば先生っていっつもジャケットとか上着着てますよねー。暑くないんですか?」
「あぁ、暑いぞ」
「え……脱いだ方がいいのでは……?」
「駄目だ。猫のおやつが入っている」
「猫……?」
先生はそう言って、上着からそれらを取り出した。スティック状のおやつから、小さな缶詰まで、数種類のおやつが出てくる。まるで四次元ポケットだった。
「猫飼ってるんですか?」
「いいや。飼い猫の分ではない。それならわざわざ持ち歩く必要はないだろう」
「あぁ、言われてみれば」
「持っていない時に限って遭遇するから、常に持ち歩くことにしてるんだ」
曰く、彼は野良と仲良くなる為にこれらを持ち歩いているそうだ。野良の餌付けは褒められた行為では無いが、仲良くなれたら責任を持って引き取る覚悟だと言う。
学生時代の頃からの習慣らしいので、彼の自宅はさぞかし賑やかなのだろうと思った。が、先生は一人で暮らしているという。色々察した。猫にすら怖がられるなんて可哀想。
「なんつーか、その、頑張って下さい」
「想い合える存在がいるのは幸せなことだ、性別なんて些細な問題だ」
「先生が言うと言葉の重みが違う……」
「ま、まーまー! いいじゃないですか! 先生にはラーフルがいるし! ね!?」
「え、えぇ、そうね。可愛かったわねぇ」
取り留めのない話をたくさんした。次の実習のことも簡単に教えてもらったし、とても有意義な時間だった。あとお肉美味し過ぎ。週一で通いたい。お金無いから無理だけど。
先生の車に揺られながら、私は志音に話しかけた。
「あんた、さっきのちゃんと訂正しなさいよ」
「くかー」
「起きろ」
「……」
狸寝入りだ。絶対そう。だって私が話しかけてから目を閉じたもん、コイツ。自分にも不利益があるのに、そうまでして私に嫌がらせをしたいか、そうか。
それならばこっちにも考えがある。
等間隔に並ぶ街灯が、窓から車内を照らしては遠ざかる。その中で、私は怪しげにほくそ笑んだ。
「……楽しかったな」
「人の話を無視しておいて別の話題を振るなんて、いい度胸してるじゃん」
「当たり前だろ。あたしを誰だと思ってんだ、お前の相方に立候補した女だぞ」
「ドラゴン退治みたいなニュアンスで言うの止めて」
でも、まぁ。確かに、楽しかった。志音は置いといて、井森さん達とこんなに仲良くなれるとは思っていなかったのだ。
またこのメンツでどこかに行きたい、志音は置いといて。
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