第70話 なお、洪水とする
説明会が終わり、私達3人は教室に戻っていた。いや、教室にはほとんどの生徒が戻ったのだけど、今は私達3人しかいなかった。
外はもう陽が落ち始めている。人気がなくなるのを待って、私達は誰からともなく話をする姿勢になった。
「で、どうすんの」
「知恵には何があったのか聞かれたら正直に話す。文句を言われる筋合いはない」
「文句を言われる筋合いしかないの分かってる?」
そう、私達は極秘会議を開いていたのだ。題して、【エロ動画を知恵のせいにしちゃったけどどうすんの会議】である。
「正直に言うのは賛成するわ。だけど、彼女が怒るのは免れないわね」
「何故? 私は知恵の言うことを実行した。それだけ」
「それだけじゃないから怒られるっつってんだよ」
まさかあいつも、そんなつもりで「夢幻を助けてやれ」なんて言ってないでしょうよ。こんな感じの指摘、さっきもした気がするな。
「他の人に言われて事実が発覚するよりも先に、私達が先に謝った方がいいと思うんだよね」
「そうね、札井さんの言う通りだわ」
井森さんは女が絡むとヤバい人だけど、それ以外ではかなり話しやすい。……あぁ。女たらしなんだから、女の私が話しやすいって、よく考えたら当たり前なのか。
「分かった、知恵はそろそろ戻ってくると思うから、すぐに伝える」
「そうね。私も一緒に謝るわ。元は私の動画だし」
「うんうん、じゃ。私は帰るね」
「え? なぁに?」
がしっと肩を掴まれ、動けなくなってしまった。掴むというか、握り潰す勢いで肩が圧迫されている。
”逃げたら殺す”、そういうメッセージを感じ取らざるを得ない。
「っていうのは、冗談、でーす……」
「そうよね? 札井さんが私に動画を再生させたんだものね?」
「はーい……」
口答えしたら死ぬ。殺されるとかじゃなくて、ただ死ぬ。どんな死に方かは分からないけど、確実に私という一つの生命が完結する。
そんな圧倒的な危機を感じ、つい敬語になってしまった。
そういえば井森さんは菜華に対して、一切取り繕ったりしない。他のクラスメートが相手ならいざ知れず、自他共に認める知恵ガチ勢の菜華にそんな遠慮は不要、ということだろうか。
「乙さん……ちょっと怖いけど、どんな人なのかしら」
「知恵は、可愛い」
「言うと思った」
私の肩をバキバキに掴んでるアンタの方がよっぽど怖いよ。もちろん、そんなことは口には出せないので、菜華の発言にだけ言及する。
「そうね、乙さんってすごく魅力的よね」
「? 知恵をいやらしい目で見ているの?」
はい、RPGでよく見かける”どう足掻いても戦闘になるタイプ”の選択肢。同意したらしたでキレるなんて、理不尽にも程があるわ。私は解放された肩をさすりながら菜華を見た。
ギターを抱えているときの目をしている。自分の意見に同意してくれただけの人に、どうやったらそんな殺意のこもった視線を向けられるんだよ。
「おっす。珍しい組み合わせだな」
「まだ帰ってなかったのかよ」
出入り口を見ると、志音と知恵が立っていた。まだ帰ってなかったのかよって、それはこっちの台詞だ。
「二人こそ。何してたの?」
「そんな睨むなよ……あたしらはだべってただけだ」
「東北とかの出身だったの?」
「その”だべ”じゃねぇよ」
先に帰ってろって言ったのに。もしかして私のことを待ってたのか? いや、まさかそんなこと……。
「ほら、説明会終わったんだろ? 帰ろうぜ」
「……え?」
「なんで不可解な顔してんだよ、ここはお前んちじゃないぞ」
「知ってるわ!」
私は志音の胸ぐらを掴んで怒鳴りつけると、呆れたようにため息をつく。そして続けた。
「先に帰っててって言ったじゃん。分かったって言ったじゃん」
「それはお前の言い分は分かったって意味で、従うって意味じゃねーよ」
「口答えするな!」
志音の服を掴んだまま、足を踏んでやろうと地団駄を踏む。もちろんつま先ではなく、踵から足を下ろす。その方が威力が増すからだ。
「夢幻、お前……頑固な父親みたいになってるぞ……」
「私は女だから父にはなれないよ」
「じゃあ乳親かしら?」
「代案みたいな感じでそんな謎の造語言われても困るよ」
地団駄を踏み続けていると、突然背中に衝撃を受けた。そのままバランスを崩して志音の胸元に飛び込んでしまう。当然のように抱き止められ、身動きが取れない。
っていうか、思ったよりも胸があって吹き出しそうになってしまった。まな板に梅干しだと思ってたのに。なんなら抉れてるとすら思ってたよ。
「おい、大丈夫かよ」
「ちょっ!? なに!?」
首を回して後ろを確認すると、私が居たところには菜華が立っていた。うん、これ確実に突き飛ばされたね。許さんぞ。
「知恵、ごめんなさい。実は」
「あー! 待った待った待った!」
私は慌てて志音の胸の中から飛び出して、菜華の口を塞ぐ。こいついま、いきなり謝ろうとした。物事には順序ってもんがある。いかにも菜華が無視しそうな事柄だ。
「札井さん、彼女の思う通りにさせた方がいいんじゃないかな」
「え!? 井森さん何言ってんの!?」
「妙に前置きして大袈裟にするよりも、さらっと謝っちゃった方がいいと思わない?」
「さらっと流せるような事案じゃないと思うんだけど」
「そこをあえて軽く、どうかな?」
「全部聞こえてっかんな?」
知恵は腕を組んで、こちらを睨みつけながら後ろに立っていた。お前らは一体何をやらかしたんだ。そう言って凄む姿は、小さいはずなのに妙に迫力がある。
「ちょっとした手違いがあった」
「あ? んだよ」
「説明会にきた生徒に、知恵はエロ動画をスマホに入れて持ち歩いている、と思われることになった」
「はぁ!? ちょっと待て!! どんな手違いだよ!!」
事の経緯を説明する私達を他所に、志音は一人で笑い転げていた。正直あいつが羨ましい。あいつはこの場で唯一の、完全なる部外者なのだ。
自分に火の粉が降り掛からない場所からこんなものを眺められたら、そりゃ腹の一つも抱えるだろう。
「菜華てめぇ! 確かにこいつらを助けてやれとは言ったけど」
「じゃあ知恵は」
菜華が知恵の発言に被せて、いつもより強めに声を張り上げる。その声には、有無を言わせぬ力があった。
「私が「私のです」と言って、その場を収めたら気が済んだ?」
「はぁ?」
「知恵は助けてやれって、口で言うだけ? 一切被害の無いところから、私に命令するだけ?」
「そ、そういうつもりで言ったんじゃないけど……」
知恵は一度口ごもったが、すぐに続けた。
「そもそも誰かのだって言い訳自体が悪手だし、あたしが助けてやれっつったのは実習の時の話だ。自分の身を削ってまで、リアルのこいつらの立場を守ってやる義理はねぇよ。よりにもよって、なんでこんな事実無根な、有り得ない話を」
おぉ。尤もらしいことを言われて看破されるかと思ったが、やはり知恵は頭の回転がいいらしい。上手く返している。
まぁ、上手く返したところで、知恵が女性の自慰動画を所持していた上に、クラスメートにわざわざスマホを貸して鑑賞させたという誤解については何も覆らないんだけど。
「そう、今度から気をつけるね」
「今度なんてあってたまるか! だいたいてめぇはな!」
「知恵。スマホ貸して」
「はぁ?」
突然の提案に知恵は一歩後ずさり、距離を取る。
「知恵のスマホにそういった動画や、ネットの閲覧履歴が無かったらもっとちゃんと謝る」
「は、はあ……?」
「だって、もしあるなら。周囲にバレなかっただけで、そういう動画持っていることは事実でしょう?」
「……いや、バレないことが大事なんだろ」
「さっき事実無根だって言ってた。そんなの有り得ないって」
「……それは言葉のあやっていうか」
「じゃあやっぱり持ってはいるの?」
「べっ、別に、はぁ!?」
知恵はさっきからほとんど「はぁ?」しか言っていない。いや、気持ちは分かる。私だってこんな言い方されたら「はぁ?」としかならないと思う。実際にいやらしい動画を持っていたら、ね。
自慢じゃないけど、私のスマホにはそんな形跡は無いので、後ろめたい感情無しで提示できる。まぁ、知恵が端末を出したがらないところで、もう勝負は決まったようなもんっていうか、あんまりそこを追求するのも可哀想じゃないかなって思う。
元々菜華があんな言い方しなければ知恵はこんな目に合ってないんだ。踏んだり蹴ったりじゃないか。その菜華に助けてもらった私達が言えることじゃないんだけど。
「お、お前はどうなんだよ! 人の事ばっか言いやがって! やましいもんはねーのかよ!」
「……やましいものは何もないけど。いやらしいものならある」
「はっ! 結局お前だって人の事言えないんじゃねーか!」
「私は知恵みたいに隠したいものなんて無い。中身、見る?」
二人の会話を見守っていると、近くに立っていた私に、菜華は端末を差し出した。使っている機種が違うので全く操作方法が分からない。いや、別に見たくも無いけど。
「知恵、本当に気付いてないんだ……」
「あぁ? あ、あ! おまえ、まさか!」
菜華は返されたスマホをおもむろに操作しながらそう言った。知恵には何か心当たりがあるようで、尻に火がついたように、突然慌て出した。
身長差を生かして、菜華は端末を高く構える。ジャンプすれば普通に届くような高さだったけど、取り乱しすぎて気付かないようだ。菜華に抱きついたり、腕を掴んだりしている。
よっぽど流されたくない何かなんだろうなぁ……。
「再生しようか?」
「えっ! やだやだ! 菜華、やめて!」
今の誰だよ。
蚊帳の外である私達は、少し迷った末、知恵の口調の変化について全面的にスルーことにした。なんというか、私達が聞いてはいけない声だった気がしてならないのだ。本当の本当に気を許した人、例えば恋人とかにしか見せない一面を、ついうっかり覗き見てしまったような。
幸い、本人は端末を奪うことに夢中で気付いていないようだ。今の妙に甘ったるい声については、私達3人がそれぞれ墓場に持って行こう。
知恵はようやく”ジャンプ”という選択肢に思い至り、菜華のそれを没収することに成功していた。
これ以上ここにいても薮蛇にしかならないと思ったのだろう。知恵は菜華の手首を掴んだまま、逃げるように教室を出た。
「……んじゃな」
菜華が何を再生しようとしていたのか、分かりたく無かったけど、なんとなく察してしまった。
二人の関係にケチつけたりしないから、せめて私達の前でそういうガチなやりとりすんのだけはやめて欲しい。マジで。
引戸が閉められたが、二つの足音が鳴り始めることはなかった。教室の出入り口の引戸にはガラスが嵌め込まれており、それらは廊下を見通せる程度にはクリアだった。
視線を向けたら気まずい思いをしそうだから、わざとらしく、扉とは反対側にある窓の外を眺めていた。井森さんですらスマホに視線を落として、廊下側を見ないようにしている。しかし、見ぬふりを続ける私の耳は、菜華のとんでもない囁きをキャッチしてしまう。
「……濡れた?」
直後に大きなビンタの音がする。
そらそうなるわ。
横を見ると、志音ですら呆れた顔をして、赤く染まる空を眺めていた。
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