第65話 なお、冗談だったとする

 私達が戻ったのは昼過ぎのことだった。

 てっきり午後から授業に戻れると思っていたが、今日は一日拘束される予定らしい。別に戻りたい訳じゃないけど、その名目が報告書の作成と言われるとどちらの方がよりマシだろうと、つい天秤にかけてしまう。

 そしてすぐに午後から体育の授業があったことを思い出して、私はいい笑顔で優等生を演じることにしたのである。イヤだもん、体育。


「しっかしなぁ……このフォーマット、全部埋めるのか……?」

「仕方無いでしょ。前に作ったものより大分複雑だけどさ」

「よく分かんないけど、ちょうど4枚あるみたいだし、一人一枚担当しない?」


 家森さんの妙な提案には戸惑ったが、どうせ先生達も授業で居ないし、下手にみんなでああだこうだと言いながら作るよりいいかもしれない、と思い直し頷いた。


 下書き用としてプリントアウトした紙を家森さんが内容を見ながら私達に配っていく。誰がどの項目を担当するのか、さっと読んで割り振ってくれたのだろう。不公平な采配になる予感しかしなかったが、その不安を拭うように彼女は言った。

「一番面倒くさそうなところは私が担当するねー」と。女神か。


 渡されたプリントを見ると、私の担当はダイブの時間や使用機材等の項目だった。おそらくこの空欄の9割はダイビングチェアを確認すれば埋められるだろう。

 すっごい簡単、家森さんったら優しい、そう思ったのも束の間。もしかしてとんでもない無能だと思われてるんじゃないだろうかという不安が襲ってきた。確かめて肯定されたら生きていくのが辛くなりそうだから、訊かないけど。


「志音は何やるの?」

「えーと、ダイブする前に聞かされていた情報、それを元に立てた作戦、あとは……任務に参加した人間のプロフィール……だと……?」


 読み上げながら、本人も妙な項目だと思ったのだろう。見ると眉間に皺を寄せていた。


「え、ちょっと待って、私そっち書きたい」

「ダメに決まってんだろ! 初回の報告書で何やったのか忘れたのかよ!」

「覚えてるよ! 真実を書いたつもりだったんだけど、文章があまり得意じゃなくて」

「お前のその認識が怖ぇよ!」


 志音は私に絶対に書類を渡さないというように、プリントを持っている手を高く掲げた。バベルの塔みたいなゴリラにそんなことされて届く訳ないでしょ。

 その様子を見兼ねて家森さんが声をかけた、と思ったけど、実際はちょっと違った。


「札井さん、そのときは何をやらかしたの?」

「いつもやらかしてるみたいな言い回しやめて」

「事実と異なることばっか書きやがったんだ。【使用アームズ:まきびし】とかな」

「えぇ?! そんなの絶対面白いじゃん!」


 そして彼女は大層嬉しそうに声を上げた。井森さんまでもがころころと笑っている。私はなんとなく居心地が悪くなって、早速トリガーの製造番号や型式を調べ始めた。


 というか家森さんはともかく、井森さんはどうなんだ。今回私は役に立っていなかったというか、正直いなくても解決しただろうなって感じの人間だから気楽なモンだけど。

 井森さんは明らかにされて困ることがいくつかあるのではないか? 例えば、バグがブチ切れた原因とか。純潔の証とやらの扱いについては、担当者に任せるが、あのバグの異常性、それに伴う凶暴性を示す為には記載した方がいいと思う。


「おい、札井。誕生日は?」

「9月4日。聞いたんだから当日はプレゼントお金頂戴ね」

「日付、あたしと逆なんだな」

「無視すんな金寄越せ」


 志音とどうでもいい雑談を交わしつつも、今回の案件をどんな風に料理するのか気にかけていた。だって、考えれば考える程、井森さんにとっては都合が悪いのだ。


 私達は巻き込まれた。そして脱出が出来なくなった。非ぬ容疑をかけられ、えん罪だと訴える言葉も無視され、風車に閉じ込められる予定だった。

 しかしそうならなかったのはイレギュラーが発生したお陰だろう。


 一つは家森さんが村長達に真実草を飲ませたこと。そしてもう一つは、適当な容疑をふっかけるだけの予定だったのに、ガチで罪深い行為をした人間がいたこと。

 この二つがきっかけとなったことは間違いない。


 家森さんが草を飲ませていなかったら、私達は異変に気付くのがもっと遅れたし、井森さんが村人達に諍いの種を撒かなければ、キャットファイトも起きなかった。そしてもっと言うなら、直接的にバグの逆鱗に触れることも無かった。


 ダイビングチェアの肘を置く所を横から観察する。目当てだった製造番号を見つけることができ、私は順調に報告書の空欄を埋めていった。そして4人のダイビングチェアのシリアルを全て確認し終えた時、件の考え事の結論が出た。


「え、無理じゃない?」

「あ? 何がだよ」

「井森さんがしたこと。黙ってるの無理じゃない?」

「っあー……」


 志音は気の毒そうに井森さんを見る。彼女は全く気にしていないようだ。窓の外を眺める後ろ姿は高校1年生のそれじゃない。

 人妻、いや、未亡人だ。なんかアンニュイな感じですごいいやらしいオーラを出してるとこ悪いけど、一つだけ言わせて。

 書類書け。


「っていうか、家森さん的に、井森さんのそういうのって、どうなの?」

「ほえ? 何が?」

「いや……え?」


 てっきりこういう言い方をしたら何について聞かれているか、察してもらえると思っていた。直接口に出すのは憚られるので、私は言葉に詰まってしまう。

 だけど言わなければ伝わらないのであれば、観念するしかないだろう。名前を呼ばれた井森さんは振り返り、こちらを見ていた。


「家森さんは、井森さんがその、浮気したことについて、怒ったりしてないの?」


 私の言葉を聞いた二人は、顔を見合わせて、ゆっくりと2回まばたきをしてから、大笑いした。志音も二人のただならぬ距離感に、普通じゃない何かを感じていたのか、意外そうな顔をしている。


「なんで笑ってんだ? お前らってそうじゃないのか?」

「前に言ってたよね? 付き合ってると誤解された私と志音を見て、”私達も似たようなものだ”って」

「あー、そんな冗談も言ったかもねぇ」

「冗談だったの!?」

「覚えてるわ。尻に敷いてるって言われたもの」

「あれ? もしかして怒ってる?」


 家森さんは茶化すように井森さんの顔を覗き込んでいた。こういうチャラ男いるわ。


 どうしてこんな意味不明な冗談を……。意味が分からなかった。


「そうねぇ。ま、いいじゃない。この話は。続けるのは構わないけど、今回のそれには関係無いし」

「だねー。とにかく、井森さんのしたことについて、私はなんとも思ってないから。気を遣う必要はないからねー? 書くべきことは書くし、余計なら書かない。それだけ!」


 よく分からないままだったけど、分かるまで説明を聞く気にもなれなかった。だって、10回説明されてもまだ足りない気がする。それならとりあえず捨て置いた方がいいだろう。


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 そして10分後。

 それぞれ下書きを作った書類を見せ合う。


 まずは私。私が担当したのは機械の情報についてだ。内容を精査する必要は無い代わりに、みんなに型式の書き間違いが無いかだけをチェックしてもらった。しかしそれも5分程で、私の書類についての確認はすぐに終わった。

 まぁ終わってくれないと困るんだけど。


 そして二枚目の担当は志音だ。事前情報については彼女らしく、非常に簡潔にまとめられていた。


 ――不明者有り、特定座標の調査


 20文字くらいしか発信できない超短文SNSかな? と聞きたくなるが、それ以外に問題は見当たらない。作戦についても私達が2班に分かれた理由等が短く記してあった。

 内容に修正すべき箇所は無く、順調だ。この分だと、案外早く終わるかもしれない。あんまり早く終わると、体育に途中参加しなきゃいけなくなるかも、なんてのんきなことを考えながら書類に目を通していった。

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