第44.5話 なお、友達とする


 僕は昔から臆病者だった。人を傷付けることも、自分が傷付くこともどちらも同じくらいに怖くて、それでもどちらかを取れと言われれば、苦渋の決断で自分が傷付くことを選んだ。


 傷付くなんて本当の本当に嫌だ。心か身体、どちらかの痛みを伴う。痛いのは怖い。だけど、自分の痛みは自分で感じることができる。そしてそれは全て僕だけのものだ。


 でも他人は違う。どれだけ思いやっても所詮は他人、感じ方や考え方は僕とは違う。僕が十くらい傷付くような出来事でも、他の人にとっては百の傷になるかもしれない。

 ”誰かをいたずらに傷付けたかもしれない”という疑念に囚われ、心をすり減らし続けるくらいなら、いっそ痛みを一心に引き受けようと思ったのだ。僕が良かれと思って起こした行動が、逆に誰かを傷付けることだってあるかもしれないし。ならば、せめて僕の視界に入る火の粉は、僕が払おう。それできっととんとんだ。


 例え誤解されたとしても。例え怖がられても。例え嫌われても。それが結果的に誰かを守る要素に成り得るなら本望だ。



 初めてアームズを呼び出せと言われたあの日から、僕は今でも何も変わっていない。まきびしを呼び出した生徒がいると巷では専らの噂になっているが、お騒がせな生徒というのはいつの時代も必ず一人はいるらしい。


 僕の代では生き物を呼び出した生徒がいた。その生徒というのは……何を隠そう、僕に他ならない。誰に、何を、どんな風に呼び出そうとしてこうなったかと聞かれても、僕は絶対に答えなかった。今だって答えるつもりはない。


 バグとはいえ、何かと戦う道具を考える作業は、僕にとって楽しいものじゃなかった。追試に追試を重ねても、武器をイメージすることはできなかった。こんな落第生は初めて見たと、皆が口々にそう言った。先生、先輩、同級生、彼らの蔑むような視線を、僕は今でも忘れない。


 何度目かの追試の時、僕はついに堪えきれなくなって、お目付役の先輩の目を盗んで森に逃げた。方向なんて分かったものじゃない。ただデタラメに、闇雲に森の中を駆けたのだ。我に返ると、辺りは涼しくて昼間とは思えないほど暗かった。そこで僕は一人ぼっちだった。


 近くにあった大きな樹のうろの中で、膝を抱えて救助を待つ。それ以外、できることが思いつかなかったのだ。足は止まったけど、思考と涙は止まらなかった。


 もし僕に友達がいたら、どんなアドバイスをくれただろう。幾ばくか心配して、もしかしたら励ましてくれたかもしれない。気にするなと笑い飛ばしてくれても、きっと嬉しかった。だけど、思い返せば僕はいつも一人でこっそりと泣いていた。自分の人生を振り返って、孤独だと気付いてしまった瞬間だった。


 気付いたら僕は呟いていた。友達が、欲しい。と。


 その瞬間、まばゆい光が僕の眼前で迸った。光が収まり、ゆっくりと目を開けると、そこには小さな白い犬がおすわりをしていた。僕の顔を見ると初対面だと言うのに、一緒に生まれ育った兄弟のように人懐っこく飛びついてきた。そう、こうして僕は犬のような獣をアームズとして召喚してしまったのだ。


 始めは小さな白い子犬だった。周囲の人々は、生き物なんてあまり前例が無いのだからやめろと、事あるごとに僕を嗜めた。しかし僕はその一切を無視した。だって彼は友達なのだ。呼び出せば呼び出すほど、僕達のリンクは強くなり、彼はすくすくと育った。そろそろ乗れるかもしれないなと笑っていた頃が懐かしい。彼の背中はずっと前から僕の特等席だから。


 厳密に言うと、彼は犬ではない。大きくなるにつれて、その特徴がより顕著になっていった。


 ケルベロスという三つの頭を持つ獣を知っているだろうか。彼の顔は一つだが、両サイドにそれに似た腕が腕が生えていた。手足は合計で六本。それらを巧みに使い、並のバグなんて太刀打ちできない程の成長を遂げた。そして神の使いであると言われても頷いてしまうような、厳格な出で立ちになった。


 大きくなってからも、いつも僕を慕い、守ってくれた。僕はその思いに答えようと、精一杯だった。


 そしてある日、なんと彼は喋ったのだ。ずっと話がしたかった。彼はそう言って、嬉しそうに僕に顔をすり寄せた。顔を離すと、真剣な眼差しで「ボクに名前を付けて欲しい」と言った。


 そう、彼が口を利けるようになるまで、数年という月日が掛かったが、僕は彼を名前で呼んだ事が無かった。というか名付けていなかった。


 理由はシンプルだ。彼には既に名前があると思っていたから。もし無いにしても、僕のような人間が彼に名付けるなんて烏滸がましいとすら思っていた。だからその申し出に、僕は少なからず困惑した。


「え……?」

「だってボクを創造したのは優人、君だよ。君が名付けてくれなければ、ボクは何者にもなれない」

「そうか……」

「本当はずっと寂しかったんだ。だけど、優人の優しさがそうさせてるって分かってたから。だから話が出来るようになったらお願いしようって、ずっとずっと考えていたんだ」


 僕は彼の言葉に泣きそうになった。いや、少し泣いてしまったかもしれない。僕が作った遠慮という壁が、何年もの間、彼を傷付けていたのだ。


「さぁ。名前を付けてくれたなら、ボクは一生その名に恥じぬよう振る舞い、生きることを誓うよ」



 散々迷った挙句、僕は彼をラーフルと名付けた。とある地方で黒板消しを意味する言葉らしい。相棒に黒板消しと名付けるなんておかしいかも知れないけど、いつも僕の恐怖や不安を一撫でてさっと消してくれる、彼のイメージにぴったりな言葉だった。


「らーふる……嬉しい。分かったよ、今日からボクはラーフルだ」


 それから僕らは任務や課題の合間を見つけて、何度も語り合った。「ボクは優人と、優人の守ろうとしてるモノを守れるようになりたいな」。僕が教師になってから間もなく、ラーフルはこんなこと言ってくれた。


 僕の守りたいモノ。臆病者の僕が、消極的な理由ではなく、何かを賭してでも絶対に譲れないもの。それはラーフルと生徒達に他ならない。


 アームズのお陰で、僕は積極的に守りたいモノが見つかったんだ。みんなにもそんなかけがえの無いものを、理由を、どうか見付けて欲しい。それは僕の信念となり、行動理念となった。


 きっと僕は、自分が死んでしまうその時に、誰かに何かをしてあげられたと誇れれば、それで良いんだ。


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「きゃああ!」


 初撃で巻き上がった爆煙を、ラーフルのビームがバグと共に吹き飛ばす。生徒達を追いつめていた狼は跡形もなく消し飛んだ。これでも、彼女達の安全を最優先にしているので、かなり加減しているのだ。更地になった大地を一瞥したあと、僕はボスを睨みつけて宣言する。


「来い。俺の生徒は傷付けさせん」


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