第44話 なお、鏡の中ではないとする


 かつての生徒達によってエクセルという愛称が付けられた高度情報実習施設。その中の一角、A実習室及びB実習室。こちらでは現在、1年生の初の中間考査が執り行われている。


 そして、彼らに知らされてはいないが、丁度上に位置する2階のプログラム実践室では同学年の高度情報処理科の試験が同時進行されていた。


 この教室は文字通り、プログラムを組み、実際にバーチャル空間で動かす際に使用する。A・B実習室でも簡易的な作業は可能だが、この教室に取り揃えられている機器はその作業に特化したものばかりであり、他の学年とかち合ったりしない限りはこの実践室が優先的に使用される。ずらりと並べられたパソコンとその周辺機器は圧巻の一言である。


 それぞれのパソコンからはケーブルが伸びており、それらは個別のヘッドギアに繋がっている。バーチャル空間でプログラムを起動する場合や、空間の解析をする場合等、この教室での実習の殆どはこの装置を被ったまま行われるのだ。そしてそれは、現在のテストも例外ではなかった。


「あー! ちょっと待って!」


 ある者は頭を抱え、ある者は嬉しそうに声を上げている。彼らに科せられた使命は15時までの鬼ごっこ。

 特定の三種類の生き物をプログラムして呼び出し、指示を与え、他の生物から攻撃を受けず、逃げ続けることが中間考査の課題であった。


 撃破された際に特定の硬貨に形態変化することが制約として課せられていた。そして留意すべきは、バーチャル空間に長い時間潜伏していた方が評価は高いということ。試験終了間際にプログラムを呼び出しても評価の対象にはならないのだ。

 以上をふまえた上で、数を増やして生存率を上げるもよし、プログラムの精度を上げて的確に危険回避するもよし。戦略を練るのもテストのうちだと言わんばかりに、かなり投げっぱなしな内容の試験になっていた。


 さらに、逃げ切る以外にも特別な加点となる行動があった。それは攻撃である。攻撃対象は元々バーチャル空間に存在する生き物、他の生徒が作り出したプログラム、そしてそこにダイブしている高度情報技術科の生徒。情報技術科の生徒には一部の生き物がプログラムされたものとは知らされていない。

 攻撃を受けてもダメージは無く、ただ試験失格を知らせるブザーが鳴るだけなのだが、その辺りの仕様は全て伏せられている。そのため、もし襲われたら彼らは本気で対応してくる。


 つまり、ガチンコの真剣勝負になるのだ。もちろん、これらはただのボーナスであり、必須ではない。しかし、逃げ切れるかどうかは試験が終了するまでは分からず、心許無く感じる者が大半である。

 その点、攻撃は成功した時点ですぐにポイントに反映される。多くの生徒が攻撃動作をプログラムに組み込むのは最早必然であった。


——狼、鳥、ねずみ。哉人やどっちはどれにするの?

——ウチ? そりゃ全部だよ!

——いやいや、それはいくら哉人っちでも無理でしょ。大体、一つの生き物の外殻をトレースして造形するなんてそれだけで時間が掛かるし、それぞれに行動の指示を出し続けるなんて

——ははは! 鞠尾まりおネットは何を言ってんのさ! 逐一指示なんて出してられないからプログラムするんじゃん!

——バーチャル座標に実体を持った自分のプログラムを起動すればそれでいいんだよ!? あとは壊されないようにさ

——わぁーかってるよー。鞠尾ネットってさー、人の髪の毛は容赦無くばっさり切ったりするくせに、変なところでつまんないこと言うよね!

——つまんないとかじゃなくて、それはさすがに無理でしょ? って話なんだって!

——えー? ウチはそうは思わないけどなー

——だって、哉人っちが言ってるのって、それってつまり、この短時間で三つの生き物のAIをそれぞれ作るってことだよ?

——そうそう。そういうこと!

——えぇ……


 鞠尾ネットと呼ばれたギャル、鞠尾まりお 夏都なつとはテストの概要を聞かされた直後の通信を思い出していた。

 相方の夜野哉人ははっきり言って天才である。常人には考えつかない発想で、プログラムをまるで自らの手足のように自在に操る。その様を見て夏都は思った。この子は電脳から生まれたのだろう、と。


 彼女はこれほどまでに暴力的な才能を目の当たりにしたことがなかった。どう足掻いても絶対に敵わない。その差があまりにも圧倒的なせいか、夏都は悔しさすら抱かなかったのだ。

 ただ、彼女の才能を芽を摘もうとする者が現れないこと、それだけを祈った。そんな心配をさせてしまう程に、彼女の才能は絶対的なものであり、同業者を魅了した。テストだというのに緊張の糸が切れてしまった夏都は、ヘッドギアの通信機能で哉人に接続をかけた。


——おーい。哉人っちー

——……お! なになにー?

——やられちゃったよー。ポニテちゃんと図書委員っぽいおしとやかちゃんの二人組、あの子ら強すぎるよー

——あらら……またプログラム書き直してるとこ?

——ううん、どこ直したらいいかわかんなくてね……多分あたしの書き方が悪いんだけどさー、指示出したのに無視されちゃって

——そうなんだ?

——こっちからのアクセスは感知してるっぽい挙動なんだけどねー……


 完全に雑談だった。いや、雑談とすら呼べないものかもしれない。夏都はかなり一方的に哉人に愚痴を投げつけていた。

 そして、哉人もまんざらではなさそうに受け答えをする。まるでいつものこと、とでも言うように、お互いに淡々としたものだった。


——ウチはAI作るつもりだったからその辺の説明は聞いてないんだよねぇ……

——あっ、そっかぁ……ごめんね、邪魔して

——え!? ううん! とんでもないです!

——……です?

——あ、いや……その……

——そういうのもうしないって、約束したじゃん。嘘だったの?

 私も哉人っちのこと、夜野さんって呼んだ方がいい?

——い、今のはちょっと間違っただけ! とりあえず、指示のバリエーションと、優先度の値を確認した方がいいよ! 多分そういう項目があるはずだから! じゃあね!


 逃げたな? 夏都は内心でそう思いながらも、アドバイスされた部分を確認する。すると見事、行動パターンの優先度が危険回避に100%振られていた。指示0%というのはつまり、どれだけ手動で指示を出しても無視し、何かあったら最低限の回避行動は取る、ということである。


「こんな状態じゃこっちの指示を受け付けるワケないじゃん」


 哉人の指摘が的中していたことに感心しつつ、夏都はため息をついた。なんという初歩的なミスだろうと肩を落とし、早速プログラムの修正に取りかかる。

 夏都がエディターから該当部分の記載をデリートしていると、遠くから物々しい声が聞こえた。


「すぐに確認します!」


 切迫した担当教員の声色に、ほとんどの生徒が手を止めた。何かがあったらしいということは分かるが、現段階で問題を訴える者はおらず、どんなトラブルなのか知る生徒は一人もいなかった。


 しかし異常事態であることは明らかである。そしてその場にいた、およそ半数の生徒が朧気ながら思い浮かべている原因があった。ちなみに残り半数の生徒は、見当がつかないのではない。まだ理由も聞いていないのに、確信してしまっているのだ。


 夜野哉人がまた何かやらかしたのだろうということを。


 相方の夏都は後者であった。いかなるシチュエーションでも十中八九相方がやらかしたと考える夏都ではあるが、今回は殊更強くそれを確信していた。


 ”三種類の生き物のAIを作る”。異常事態があったと聞かされると、哉人のこの発言は一つで十個分くらいの心当たりとなった。


 絶対なんかやらかしたんだ。そう思い、夏都は慌てて哉人に再接続した。


——哉人っち! 何やってんの!?

——? さっきのでプログラム動いたー?

——もうそれはいいんだって!

——え!? どういうこと!?

——どういうことかはこっちが聞きたいよー! 哉人っちまたなんかやったでしょ!

——え? なんだろ……?


 とぼけているのではなく、本当に心当たりがないという様子に、夏都は心底呆れ果てた。熱中すると周りの雑音を一切受け付けない、夜野哉人とはそういう人間であった。夏都は溜め息をつきながらそれを再認識する。


——聞こえなかった? 先生が慌ててたよ

——そうなんだ……ごめん……

——いいけどさぁ


 夏都が哉人に事情を説明しようとしたところ、教科担任が生徒達の通信に割り込みをかけた。


——緊急事態が発生した! 現在の座標192.1.882.398でバグを感知! この座標付近でプログラムを起動している生徒はすぐに退避するように!


 バグが発生しただけにしてはかなり切羽詰まっていた口調で訴えている。夏都は違和感を覚えた。大したことの無いバグであれば、ダイブしている生徒達で対処可能では? 既に実績のある生徒もいるし、あれほど慌てるようなことだろうか。


——僕達のプログラムで偵察をするというのは?


 誰かがそう提案した。そうだよ、そうしようよ。夏都は心の中で、男子の声に同意する。しかし、返ってきたのは厳しい一言。


——バグのタイプによっては有効な手段だが、今回は好ましくない。

  くれぐれも勝手な行動は慎むように!


 ここまで言われて、ようやく生徒達は異常な何かが発生していることを察し始めた。夏都は技術科の生徒が巻き込まれていないかを心配する。


 高度情報技術科には、哉人を変えるきっかけとなった二人組がいる。そして、彼女達の安否を気にかける夏都に、最悪とも言える事実が告げられた。正確には、全生徒への割り込み通信を解除し忘れていただけである。混乱を避けるため、生徒達には伏せられて然るべき内容であったが、確認できた情報は速報として共有されてしまう。


——高度情報技術科の札井夢幻、小路須志音、乙知恵、鳥調菜華の四名がバグと交戦中です。


 夏都はそれを聞いて青ざめた。しかし、この知らせに夏都よりも強く反応した人物がいた。


——何だと!?

——全員、鬼瓦先生の受け持ちの生徒達です……


 残念そうに告げる教師の声が、聞く者に最悪の事態を想起させる。A実習室には確か巨大モニターがあったはずだが、鬼瓦は何故か現在の彼女らの行動を把握している様子ではなかった。それを不可解に思った夏都だったが、その理由はすぐに判明する。


——くそっ、こんな時に映像が見れなくなるなんて……!

——鬼瓦先生、気持ちは分かりますが、落ち着いてください。恐らくはバグが何らかの影響を及ぼしているのでしょう。私の飛ばしているコンドルで状況は確認できるので、逐一報告は入れます

——居昼いびる先生、座標は先程と変わらないのですか?

——今のところは。しかし、一部の生徒がプログラムした動物が操られてしまっているにも関わらず、同じように私が呼び出したコンドルが無事な理由が分かりません。原因がはっきりするまでは無闇に動かない方が懸命かと

——居昼先生は解析を進めて下さい、こちらも何か手立てがないか調べてみます


 生徒たちは固唾を飲んで二人の教師の会話を聞いていた。この状況をどうにか出来るとしたら先生達しかいない、誰もがそう思っていた。


——あれー? っかしいなぁ……ねぇ聞いてよー鞠尾ネットー。さっき呼び出した狼のプログラム、アクセスが拒否されるんだよー


 脳天気な哉人の発言は、教室内の時を止めた。緊急回線を使用すると全通信の送受信が共有されるので、この会話は教室内のみに留まらず、A・B実習室にも届けられた。話しかけられた夏都は困惑しつつも、声の主である哉人に問いかける。


——は、はい……?

——いやぁそれがね、変なんだ。まるでAIが暴走してるような……

——AI!? 夜野、お前……!


 この時、居昼はやっと緊急回線を使用していたことに気付いたが、もうそんなことはどうでもよかった。聞き捨てならない単語を耳にした彼は、前のめりになりながら哉人に話しかける。


——あ、じょう先生。どうしたんですか?

——お前……この状況、分かってるか……?


 わかっていない。誰もが心の中でそう呟く。


——いや、バグが発生したのは聞いてましたよ? 札井之助達がピンチなことも。AI制御して行動は各自に任せていて気づかなかったんですけど、ウチの狼達が近くにいるみたいだったんで、移動させようとしたんですよ。でも、アクセスしようにも弾かれる状態で……

——……鬼瓦先生、恐らくですが、あのバグはAIを乗っ取る力を持っています。AI制御にしていない私のコンドルが平気なので、他の生徒がプログラムしている生き物が暴走する可能性は低いですが……アクセスができないということは、やはり……


 居昼丈が言い淀む。余程言いにくいことなんだろう、生徒達の中には言葉の続きを察した者もおり、重苦しい雰囲気が教室を押し潰した。


——夜野の呼び出した狼の攻撃は、そのまま札井達を傷付ける可能性がある、ということか……?

——……えぇ

——困ったなぁ……仲間を呼ぶ機能とか付けたから暴走すると厄介なんだよなぁ……


 夏都は事の重大さを理解した。そして哉人の独り言に絶句した。つまり、札井達はバグだけではなく、夜野が呼び出した大量の狼の群れも同時に相手にしなければならないと。そこまで考えると、いてもたってもいられなくなり口を開いた。


——先生がそこに行ってどうにかするとか、できないんですか?

——すぐには難しい。札井達がいるのはデッドラインの外側。その座標に正確にダイブさせるには、色々と準備が必要だ

——できますよー


 能天気な声が各々のヘッドギアに響いた。こいつはまた何を言っているんだ。生徒達はそう思いつつも、天才的なセンスを持つ哉人の提案にほんの少しの期待を寄せる。


——哉人っち、それ、本当?

——この間、デッドラインの外で自由に呼び出しできないって不便だなぁと思って、先生が言った”準備”を定期的に行うスクリプトを組んでみたんだよ。実際に使ったことはないから一か八かだけど、多分ちゃんと動くと思うよー

——夜野……


 鬼瓦は哉人を呼びつけて、藁にもすがる思いで指示を出した。


——手順を教えろ。俺はトリガーのセットに取りかかる

——はい! あれ、あっれー……? もしかしたら鳥達も同じ状態かも……?

——大至急だ!

——はいー!


 夏都は思った。こんな時になんだけど、あの鞠尾ネットってあだ名、どうにかならないかなぁ、と。


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