第30話 なお、真横にザックリいくつもりだったとする

 テストから一週間後、私と志音は並んで掲示板を眺めていた。先日のテストの順位が貼り出されているのだ。おそらく、かなりアホ面をしていたと思う。


 高度情報技術科と、高度情報処理科を合わせているらしく、各2クラス分、ざっと200人弱の名前が順位付けされていた。ちなみに普通科の子達は別である。あちらに友達がいないので憶測だが、おそらく普段から学習している内容が全然違うのだろう。


 私の順位は予想通り、中の上あたりだ。情報処理科まで間に入ってくるのはかなり予想外だったが、結果的には想定していた順位に収まることができた。自分的にはかなり低いが、今回の結果は油断していたしっぺ返しと受け止めるしかないのだ。

 私のアホ面の原因はそこじゃない。


 私の名前よりずっと上。遥か上。というか一番上から三行目。小路須 志音 と書かれている。こいつがこんなにできるなんて。

 意外という言葉以外思いつかないが、認めるしかないだろう。


「あんた、マジでマジなんだね」

「別に。こんなの意味ねぇよ」

「また胸ぐらぶおんぶおんされたいの?」


 聞くとやべぇという顔をして、志音は黙った。

 私が睨みを効かせていると、後ろから声がする。


「やった! あたし最下位じゃないぞ! 下に一人いる! ほら! みろ!」

「おめでとう」


 なんて悲しい喜びだろう。最下位じゃないことを喜ぶだなんて。しかし聞き覚えのある声だ。思い出せないが、絶対にどこかで聞いたことがある。


「って、オイ! よく見たら最下位お前じゃねーか!」

「うん」


 こんなことってあるか。私達の後ろには、学年下位のツートップが立っているらしい。顔を拝んでやろうと振り向こうとした時、続けて後ろから声がした。


「なんでだよ……」

「? 知恵ちえ、最下位は嫌だって言ってた」

「……お前ふざけんなよ!」


 いきなり後ろで喧嘩が勃発したようだ。振り返ると、theヤンキーという容姿の小柄な女が、大人しそうな長身の美女の襟を掴んでいた。あぁカツアゲだ。話の流れからそう推察するのはかなり無理があったが、そう思わせるだけの空気が漂っていた。

 止めた方がいいのだろうが、生憎怖い。結構怖い。ヤンキーは鋭いつり目で、耳の上辺りの髪をがっつりと編み込んでいた。おまけに赤髪である。さらに啖呵を切る姿に、女子高生とは思えない貫禄があった。これにビビらないのは、私の隣にいる奴くらいのものだろう。


「こっわ」

「え? あんたも怖いの?」

「いきなりブチ切れる奴なんか怖いに決まってんだろ」

「だよね、ああいうのいけないと思う」

「お前、人のこと1mmも非難出来る立場じゃないからな」


 そしてふと気付いた。こいつらクラスメートだ。この声をどこで聞いたのか思い出した。前回の実習で一番乗りで帰還したペアだ、間違いない。

 このヤンキーは私のまきびしをいじった女だ。胸ぐらを掴まれているのは、入学式の翌日、私がネクタイを結び直してあげた子じゃないか。自害失敗結びのあの子だ。


 家森・井森ペア以上にアンバランスな組み合わせだが、前回の会話から察するに二人はペアなのだろう。

 私達が唖然としていると、少し離れたところから声が聞こえた。


「何やってんの!? 知恵! やめなよ!」


 見なくても分かった、家森さんだ。

 少々変わったところがあるものの、やっぱりこういう時に率先して仲裁する勇気があるのはすごいと思う。


「だってこいつが!」

「知恵だって下から二番目でしょ! 人のこと言えるの!?」

「そうじゃねぇ!」


 家森さん含む私達には事情はさっぱりだったが、隣にいた井森さんだけは違うようだった。にしてもいつも一緒にいるな、この二人。


「……あなたが最下位なんて、どうして?」


 井森さんは腑に落ちないらしい。

 もしや、このネクタイを結ぶのが絶望的に下手だった彼女は、何か理由があって最下位を狙ったのでは。


 私はすっかり野次馬の一人としてその場に立っていた。貼り出されたばかりの順位を一目見ようと、ただでさえ人が集まっていたところにこの騒ぎだ。まさに黒山の人集り。私はその中心に近いところでじっとしていた。すると、渦中の彼女がゆっくりと、なんてこと無いように言ってのける。


「さっきも言った。知恵が最下位は嫌だって言ってた」


 …………。もしや、このヤンキーが最下位にならないようにわざとやった? 本当にそんなこと有り得るのか? その為だけにこんなことをしたとしたら……この子、全ての答案を白紙で出した可能性もある。


「まさか白紙で出したのか!?」

「名前は書いた」


 どう考えても白紙です、本当にありがとうございました。

 え、ヤバい。ヤバ過ぎる。

 トイレで話をした時も思ったけど、やっぱりこいつ変だ。流石の家森さんもこれには絶句していたが、なんとか声を絞り出すようにこう言った。


「とにかく……ちゃんと二人で話し合ってね」

「ちっ……分かったよ」

「知恵、ごめん……」

「いや、あたしも余計なこと言ったみたいだな。いいか? テストは普通に受けろ。あたしの為に自分の成績を落とそうとするんじゃねぇ」

「分かった」


——これは味方よ、食べてはダメ。

——ワカッタ。


 二人の会話がゴーレムとその主人のように見えてならなかった。

 それにしてもつくづく思う、このクラスは変わった奴ばかりだ。


 話が解決し、人集りが散り始めた頃、志音が「あ」と呟いた。視線を辿ると、テストの順位の一番上を見ているようだ。名前を確認すると、私もオウム返しのように声を上げてしまった。一番上に書かれていたのは私達の知っている名前だったのだ。


「夜野ってすげぇんだな」

「ね。話した感じは軽いギャルだったのに」

「ま、情報処理科だもんな。うちの学校の情報処理科ってそういうの集まるらしいし」

「そういうのって? 僅差だけど、偏差値では情報技術科の方が上だよね?」


 そうだけどそうじゃねぇんだ。志音は種明かしをするように言った。偏差値なんてカンケーねぇんだよ、必ずしも成績に応じて進路を決めなきゃいけないってことじゃないだろ。と。それはそうだ。極端な話、どれだけ優秀な人間にだって、偏差値平均以下の高校を選ぶ権利はある、ということだ。


「ま、少しでもデバッカーの実情を知ってたら、争いを好まない子は嫌がりそうだもんね」

「あぁ。平均したらこっちのが偏差値は高いかもしれないけど、化け物級に頭のいい奴がたまにいるらしい」


 名前を見ると、ふと彼女に会いたくなった。実習では助けられたのだ。会って直接お礼を言ってもバチは当たらないだろう。その気持ちは志音も同じだったらしく、私達は高度情報処理科の教室へと向かった。


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「夜野って奴いるか?」


 扉に近い席に座っていた男子に、志音が話しかける。なんでそんなぶっきらぼうな言い方なんだ。私はあくまでお礼を言いに来たのであって、お礼参りをしにきた訳ではないのに。志音の言い回しにただならぬ空気を察したのか、親切な男の子はおずおずと窓の方を指差した。

 いやこれは親切なのか、ただ怯えているだけのような気がしてくる。


 指された方を見ると、居た。そこにはギャルっぽい軍団が机をくっつけて昼食をとっている。どれが彼女だろうか。ウェーブがかった茶髪のあの子だろうか。理由は特にない、完全にフィーリングだ。私は恐る恐る、近づいて話しかけた。


「えーと、あなた……夜野さん、かな? 夜野さんいる?」

「あはは、私は違うよー。夜野さーん、札井さん達来てるよ」


 そう言って茶髪の子は後ろの席の子に話しかけた。私の名前を知っていることに驚いたが、そういえば授業で生中継のようなことをされたんだった。彼女達が名前を知っていても何らおかしくはない。そして声をかけられた子を見ると、つい固まってしまった。


 陰のオーラがすごい。うん? ここって陰陽師科だっけ? それとも呪術師科?

 彼女が、夜野さん……? いやでも……なんか黒魔術の勉強してそうだし……前髪で顔隠れてるし……。目の前の光景が信じられなくて、私はしばらくその子を凝視した。


「あ、夜野は私です」

「……えええぇぇーー!!?」

「おまっ! 嘘つくなよ!?」


 申し訳なさそうにそう言うと、彼女は私達に軽く頭を下げた。つられて頭を下げてしまったが、全然理解できない。あのハツラツとした夜野さんはどこに行ったんだ……。とりあえず私は、先日のお礼を言うことにした。


「この間はありがとう。テストの順位表で夜野さんの名前見てさ。お礼が言いたくなって来たんだよ」

「い、いえ……こちらこそ、ありがとうございました」

「なんでてめぇが礼を言うんだよ。助けられたのはこっちの方だろうが」


 お前は恫喝するか感謝するかどっちかにしろ。夜野さんが怯えるであろうことが予測されたので、予め志音の足を踏んで潰しておくことにした。


「いてぇな!」

「気のせい気のせい、夜野さんの話聞こうね」

「このやろ……!」

「……私がお礼を言うのは、あの実習が楽しかったからです」

「え? 楽しかった?」

「はい。とても」


 見た目は呪われた日本人形的だけど、声は確かに前回と同じだ。楽しかったと言う声色の奥に、会うまで想像していた彼女の面影を見た気がした。きっと何か理由があるのだろう。私はそれを聞き出したかった。彼女のことをもっと知りたかったのだ。


「もうあの時みたいには話さない?」


 そう聞くと、彼女は俯いて黙り込んでしまった。私は打開策を提案するよう、志音に視線を送る。正直、かなりの無茶振りだったと思う。だけど志音は健闘してくれた。


「こっちが素なのか?」

「その質問には”はい”と答えましょう」

「どういうこと?」


 そして夜野さんは非常に簡潔に理由を述べてくれた。

 高校デビューですよ! と。


 ねぇこの人、学年順位トップなんでしょ? なのになんでこんなにバカなの?

 何から言うべきか、言葉が頭の中で渋滞して玉突き事故を起こしてさらに数名死者が出たので、なかなか声が出なかった。先に声を発したのは志音だ。


「高校デビューって一日で出来るもんじゃねーぞ。あと大体は入学式からやらねぇと意味がねぇ」

「え?」

「だから高校デビューってのは」

「分かってますよ!」


 少し憤慨しているようだ。私と志音は目を合わせて困ったように頷いた。

 ——ね。困ったね。

 ——うん。

 このアイコンタクトに意味は全く無い。


「私って見た目こんなんじゃないですか? だから性格だけはとびきり明るくなろうと思って!」

「あ、あぁ……そうなんだぁ……」

「取り返しつかねぇ見た目みたいな言い方してるけど、お前のそれは9割髪のせいだろ」

「そこで! 私は勇気を出して、明るく振る舞うことにしたんです!」

「うん、まぁね。勇気を出すのはいいことだよね」

「あー、うん」


 志音がどうにでもなれという顔をして笑っている。なかなか的確だと思われたこいつの指摘は、異空間にでも吸い込まれたのだろうか、夜野さんには聞こえなかったようだ。


 しかし、本題が見えない。見た目はとりあえず置いといて、高校では明るく振る舞おうと決めた。いいことだと思う。できれば見た目にも、もう少し気を使った方がいい気がするけど。まぁいっぺんに色々やるのは難しいしね。ここまでは分かる。でも、それは前回とキャラが違う説明にはなってない。


 もしや……同じ中学だった知人からのイジメで挫折してしまったとか……?

『お前、中学の時と比べてキャラ全然違うじゃん。ウケる。キモいよ?』

 あぁ駄目だ。想像するだけで心が痛くなる。人が頑張って変わろうとしているのにそれを茶化すなんて。勝手な妄想で一人心を痛める私に向かって、彼女は衝撃的な発言をした。


「毎日はテンションが続かないので、一日置きに頑張ってるんですよ!」

「「アホかー!!」」


 あまりのアホさに、ついハモってしまった。いやもうここまでアホだと逆に勉強が出来るという説得力が増す感じすらある。勉強だけはできるんですこの子! 的な。


「ねぇよく考えて。一日置きにあんなに口調変えてたら、ただのヤバい人だよ。っていうかもう既にただのヤバい人だよ」

「この学園で札井よりヤベぇ奴、初めて見た」

「志音は黙るか死ぬかして。それよりも聞いて、夜野さん。頑張って明るい口調で統一しよう?」

「おい死ねとか言うなよ」

「じゃあ黙って下さい。でも札井さん、聞いてください。あの口調は本当に疲れるんです……」

「お前までどさくさに紛れてあたしにキツく当たるんじゃねぇよ」


 私は両手で夜野さんの両肩をばんっと叩いて、やるしかないよ! と告げた。そう、やるしかないのだ。変わりたいという気持ちがあるのなら徹底的にやった方がいい。

 もしかしたら風化してしまうかもしれない決意を、未来の自分に無視できない形で突き付ける方法が一つだけある。途中から興味津々という様子で私達の話を聞いていた、ギャル達に話しかけた。


「なになに?」

「ハサミ、持ってる?」

「うえ!? やっちゃうの!?」

「うん、やっちゃう」


 茶髪のギャルは集団の中でも一際楽しげに声を上げた。ばっさばさのまつ毛が何度か上下すると私が何をしようとしているのかを理解したようで、丸い瞳が輝く。


 私は夜野さんが好きだ。いや、変な意味じゃなくて。なんていうの、夜野さん尊い。実習で、何とは言わないけどとあるアームズを爆弾にしようとした時のことだ。

 適当なプログラムを流して欲しいと言い出した私に、彼女は訳も聞かず従ってくれた。上手く言えないけど、私にはそれがすごく嬉しかったのだ。

 だから多少強引でも力になりたいと思う。


 楽しそうに笑うギャル達と私を見て、志音が止めにかかる。

 夜野さんは志音の後ろに隠れていた。


「気持ちは分かるけど、いきなりはやめてやれよ」

「でもさ」

「っていうか切るのには賛成だけど、お前はやるな」


 なんと。志音は私がハサミを持つ事に反対だったらしい。

 夜野さんは裏切られたとでも言いたげに固まっている。

 相当ショックだったようだ。


「いいよいいよ。私そういうの結構得意だし。夜野さん、任せてくれないかな」


 例のギャルが真剣な表情でそう言うと、ついに夜野さんはゆっくり頷いた。

 なんかよくわかんないけど感動する。

 感極まって、私は志音の背中をバシバシ叩いた。


「へーき。最後まで責任持つよ」

「じゃ……お願いします……」


 なんかプロポーズみたいだなと思ったけど、なんとなく言ったらしばかれる気がしたから黙ってた。ずっと髪で顔を隠していたのだろう。髪の生え方や、長さ。あのスタイルは一朝一夕じゃないと容易に想像できる。


 しかし無情にも、私達にタイムリミットを知らせる鐘の音が聞こえた。

 まだここに残っていたいが、急いで教室に戻らなければいけない。


 夜野さんはすぐにでも切って欲しいだろう。

 間を空けると「やっぱやめた」という気分にもなりかねないし。

 頑張れギャル! あとはお前に託した!


「じゃあ、私そろそろ戻るから!」

「あ、札井さん……!」

「今度会う時は、どっちで会っても、この間の夜野さんでいてね」


 バーチャルだろうとリアルだろうと、私は”夜野さんがなりたいと思う”夜野さんともっと話をしたいのだ。踵を返して立ち去ろうとした瞬間、後ろからギャルの声がした。


「ちょっと! これ持ってってよ!」


 振り返ると、背中を叩かれ過ぎたのか、痛そうにもがいている志音の姿があった。

 関係ない。あれは知らない。

 っていうか、いい感じで居なくなろうとしたのに邪魔すんな。


「ほっといたらそのうち消えるから大丈夫!」

「人を水たまりみたいな言い方してんじゃねぇよ!」


 なんか元気そうだったので、やっぱり放置して教室へとダッシュした。


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