第29話 なお、寿命は三年伸びたとする


 朝の爽やかな教室の中、私は震えていた。地獄のようなテスト期間が終わり、皆が日常に戻る喜びを分かち合っている。

 打ち上げでカラオケに行こうとか私も混ぜて欲しいとか、他校の彼女とはテスト期間がズレていて終わるまでデートに行けないとか、そういう楽しげで実に高校生らしい会話が、バレーが上手な人がするオーバーハンドトスのように、それはもうふわっふわっと、ぽーんぽーんと飛び交っていた。


 繰り返し言う、私は震えていた。


 先程と同様にオーバーハンドトスで例えるなら、下手くそがタイミングも力加減も間違えさらにその上、奇妙な指の形を作って頑張った結果、ベチッ!という哀れな音を立てエグい軌道を描いて地面にボールが落下している感じだ。

 つまり最低なのだ。失敗して突き指してる。しかし、突き指で済むなら今の私と変わって欲しいくらいだった。それほどまでに追いつめられている。


 理由は明白である。

 本当に単純で簡単なことだ。


 テストの出来が恐ろしい程良くなかった。


 いや控えめな言い方をしてしまった。

 正確に言うなら、テストの出来がクソ過ぎた。


 どの教科を思い出しても一癖も二癖もあるようなテストばかりだった。

 チャイムが鳴り、テストが始まる度に頭を抱えていたと思う。


 最初は「どうせみんなも解けていないだろう」という気持ちもあった。

 だけど、周りから漏れ聞こえる会話に耳を傾けると、自分の方が間違っているのでは? という疑念が徐々に強くなっていった。

「なぁあの問題お前なに選んだ?俺B」「俺もB!」「あたしもー!」という会話が聞こえてくるのだ。私はAを選んだというのに。

 最初はそれを間違いと決めつけ、相手に勝手に同情していたが、こんなことが何度もあると、どんどんと自分が間違っているような気がしてしまう。


 ちなみに、志音とはテストの話はしていない。

 というか、そもそも話をしていない。


 テスト初日の出題文で「そう来たか!」と思わされた私は、慌てて対策を打とうと躍起になったし、このテストというイベントを利用して、面倒な噂の鎮火を狙っていたこともある。要するに、関わらない方が何かと都合が良かったのだ。

 たまに志音の妙な視線を感じることはあったけど、半分無意識で見ているようだし、それには気付かないフリをした。


 ボイネコだのなんだの好き放題言われていたのだ。

 さすがに自分の立場を弁えたのか、あいつから話しかけてくることもなかった。


 そして遂に死刑宣告のようなチャイムが鳴った。

 テストが返ってくる。返ってくる。

 そう、返ってくる。

 私は意味も無く、前の生徒が座っている椅子の背もたれを眺め続けた。



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 放課後。まだにぎやかな教室の中で私は安堵していた。

「セェーーーーーフ!」と野球の審判よろしく、ジェスチャー付きで喜びを体で表現したい。思っていた程悪くない。しかし、もちろん、良くもないけど。

 まだ返ってきていない教科も多いが、この調子でいけば、私はこのクラスで中の上くらいの順位になるだろう。


 みんなの回答と食い違っていた箇所だが、半分くらいは私の回答が合っていたようだ。 ”テストの出来が悪かった、と思いきや案外普通だった”というのは、よく聞くテストあるあるだ。今までは耳にするばかりで経験したことはなかったが、これがその現象か。


 しかし、所詮は中の上。中学時代は上の上しかほぼ体験してこなかった私にとって、これは由々しき事態である。


「はぁ……」

「おらよ」

「ああ!!!?」


 ため息をついていただけだというのに、突如首に電撃が走った。首を回して、”おらよ”という声の主を睨み付ける。そこには眠そうな顔をした志音がいた。ペットボトルを持って立っている。電撃の正体は、あのキンキンに冷えた飲み物だろう。


「そういうの素肌に当てたら冷たいってわかんないの?」

「わかるぞ」

「わかるぞ、じゃあないんだよ。やめろや」


 やっぱりこいつと話しているとイライラする。というか、少し分けてあげたときはあんまり美味しそうじゃなかったのに。ちゃっかり買ってるじゃん、SBSSドリンク。私は志音の手にある、特徴的なラベルを凝視した。


「やる」

「え?」

「あたしはこっちの方が好きだし」


 そう言って志音は、自分用に買ったであろうサイダーを私に見せた。どんと机に置かれたペットボトルと、志音の顔を交互に見る。

 なんでこいつが私に奢ってくれるの? なんで?


 まぁなんでもいい。とにかくお礼を言おう。

 誰にされたことでも、有り難いと思ったら捻くれずにお礼を言うべきだ。


「貢いでくれてありがとう」

「わざわざ嫌な言い回しすんなよ!」


 何をカリカリ怒っているのだろうか。梅なのだろうか。

 私が思案していると、彼女は話したかったであろう、本題に入った。


「テストどうだったんだ?」

「……」


 その言葉を聞いて固まった。確かにあまりいい出来ではなかったから、人に話しにくいというのはある。だけど一番はそこじゃない。


 ほぼ眠りこけていたお前がそれを聞くか?

 私はUMAを見るような目で志音を見た。


「んだよ」

「あんたこそ……何個ゼロ取ったの?」

「? 今んとこ2個だな」


 平然と言ってのけるとは、そこに痺れたり憧れたりしそうになってしまった。今日返ってきたテストは4つ。そのうち2つが0点とは……。

 しかし、同情する気にはなれなかった。だってこいつ寝てたし。


「化学は満点だったけど、他は今んとこ90点平均くらいだぞ」

「どうしたのかな?」


 意味不明な発言のせいで、幼児向け教育番組のお姉さんみたいになってしまった。

 満点、はい?


「さっきゼロ2つって言ってたでしょ」

「あ? 100点でゼロ2つだろうが」

「とんちか? あ?」

「なんでお前がキレてんだよ」


 志音の胸ぐらを掴み、顔を寄せ、メンチを切る。自分でも驚く程、何の違和感なく体が動いていた。私の前世は借金取りか何かだったんだろうか。


「寝てたじゃん」

「そりゃ終わったら寝るだろうよ」


 そう言われて私は初日の現国のテストのことを思い出す。確かに、私はあらかた問題を解き終えてから志音を見た。そして”まだ寝ている”と思った。

 だけど、もしかして……問題を解いた後に寝ていた……?

 あの短時間で全ての問題を解いたというのか……?


 いつから、俺が寝ていると錯覚していた?


 ヤバい、志音がそんな感じのこと言いそう。

 絶対に私の気のせいだけど、ものすごく言いそう。

 私は金髪にされる前にと、焦った気持ちで口を開いた。


「何点だったの?」

「あ? 忘れた。まぁ90点前後だろ」

「……」

「おい? 札井?」

「死ね! 死ねやぁ〜!」


 極めて直接的な暴言を吐きながら、再度志音の胸ぐらを掴んで揺さぶる。というか直で首を掴んで、手に力を込めた。呻き声が聞こえるが、そんなものはおかまい無しだった。


「普段寝てばっかのくせにテストの成績いいとか舐めてんじゃねぇぞーー!!!あぁーー!?」

「ちょ……くるし……離せって……」

「こっちが毎日どんだけ勉強してると思ってンだよ!? あぁ!?」

「わ、悪かった? って……」

「てめぇ本当に悪いと思ってンのかよ!! おぁ!?」


 志音は抵抗するように私の腕を掴んでいる。

 しかし剣幕に押され、それ以上は何も出来ないようだ。


「大体てめぇは勉強からアームズの呼び出しからなんでもそつなくこなしやがってよぉ!」

「ぐっ……」

「謝れやぁ!」

「え、ぐっ、ご、ごめん……?」

「なんでもできてしまって大変申し訳ございません、だろうがぁ!」

「なんでもできて、しまって、大変申し訳ござい、ません……」


 私は志音の首から、ぶん投げるようにして手を離した。

 反動でよろめいた志音のネクタイを引っ掴み、引き寄せて頭突きをかます。


「聞こねぇ!」

「なんでもできてしまい、大変申し訳ございませんでしたぁ!」


 志音は苦しそうに首に手を当てながら、それでも精一杯声を絞り出した。

 私は満足し、やっと手を離す。そして気付いた。


「なんかすごい惨めだわ……」

「気付くの遅ぇよ……あと色んなところが痛ぇ……」


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