第28話 なお、ゾンビ映画で一番怖いのは犬とカラスとする


 外は今にも降り出しそうな曇り空で、お世辞にも気持ちのいい天気とは言えない。教室内にいるから濡れる心配は無いのだけど、生憎今日は傘を持ってくるのを忘れてしまった。家を出るときはもう少しマシだったのに。


 始業までまだ少し時間がある。皆、最後の悪あがきの最中のようだ。時折聞こえてくる呻き声と悲鳴のおかげで、目を瞑ればゾンビ映画が脳内で再生される。悲鳴の後には「えっ、そこ範囲だった?」とか「今日化学あるの!?」といった、かなり悲惨な言葉が聞こえてきた。それ大丈夫なの……? と、他人事ながらつい心配してしまう。

 そう、今日は中間考査の初日だ。


 私? 私は志音にも言った通り、こんなことでは焦らない。学習した内容は基本的にその日のうちに自分のものにしているし、簡単な応用問題等で自分の理解度もきちんと確認し、深めている。土壇場で慌てるような学習法ではこの先が思いやられるだろう。

 ただ一つ懸念しているのは、高度情報技術科としての実習だ。いまだにまきびし以外を呼び出したことの無い私にとって、これほどの脅威は無い。例えば中間考査の内容が、アームズを呼び出す、とかだったら死ぬ。詰むのではなく死ぬ。

 私の性格上、まきびしのことを考えてはいけないと、まきびしのことしか考えられなくなるのは火をみるより明らかだ。


「家森さん、高度技術の中間考査の内容って知ってる? 実習があるっていうのは小耳に挟んだんだけど、それ以外のことは分からなくて」

「へ!? なんでそんな先のこと気にしてんの!?」

「先って……来週でしょ?」

「それまでに数学も英語もあるんだよ!?」


 そんな、奇跡も魔法もあるんだよ的な言い回しをされても困る。

 正直眼中に無いのだから。


「もしかして、座学は余裕って感じ?」

「余裕というか……うーん、毎日少しずつしてるから、それほど心配事はないかな」

「ひゃ〜……札井さんって名前だけじゃなくて、頭まですごいんだね」


 彼女は心底感心した様子だった。

 褒めてるつもりなんだろうけど、ディスられたようにしか聞こえない。

 最近、家森さんのキャラも掴めてきたので、こんなことで怒ったりはしないけど。


「にしても、志音はブレないねー……」


 家森さんは前の席を見て、そうぼやいた。今日も短くて明るい毛髪は机に沈んでいる。考査一日目の朝から、机に突っ伏して寝るとはなかなか肝が据わっている。

 私はその後ろ姿に感心すらした。実に威風堂々としたものだった。体格や髪色も相まって、ライオンの昼寝に見えなくもない。


「ま、あいつはほら、0点取っても気にしなさそうだし」

「進級が危ぶまれるね」

「そうなってもケロっとしてそう」

「かわいい、カエルなんだね」

「違うよ」


 天然なのかわざとボケてるのか分かりにくい。そういえばこの人、初回の高度技術の授業で、包丁出してほくそ笑んでたっけ。あの時の笑顔を思い出すと未だにぞわっとする。

 彼女のアームズは何なんだろう。まさか本当に包丁? いや、そんな訳ない。リーチが短いし地味過ぎる。今度機会があったら聞いてみよう。

 そんなことを考えていると、聞き捨てならない噂話が舞い込んできた。


「高度情報のテスト、宝探しらしいぞ」


 駆け寄って「それ本当!?」と、机を強く叩きながら真偽を確認したいが、一度も話したことの無いクラスメートだ、自重するしかないだろう。

 しかし宝探しとはどういうことだろうか。あまりに突飛な話だった為、上手く考えが纏まらない。分からないことは深く考えても無意味だ。

 念のため、教科書でテスト範囲の確認でもするとしよう。


 教科書を開こうとしたところに、先生が入ってきた。まだ始業には少し早いが、遅れればこちらの持ち時間が減ってしまうので、当然の対応とも言える。

 先生はおもむろにプリントの枚数を数え、裏返しにしたまま先頭の生徒に配っていった。


「まだ返すなよー。チャイムが鳴ったら各自テストを始めろ」


 私は前の席の子から受け取ったプリントを後ろに回した。この教室内の雰囲気に気圧され、こちらまで少し緊張してきてしまった。もちろん、そのせいで成績を落とすような事はしないつもりだが。しかしそれ程までに場の空気は張り詰めていた。


 わかる。私にはみんながここまで緊張する理由が痛い程分かった。入学初日に私が暴走したのと同じだ。初めが肝心、クラス中に「あいつはアホ」とレッテルを貼られたくないだろう。成績が大切なのは当たり前だ。

 だけど、それだけではない。学区内トップ校に通い、その順位を競うのだから。この教室に座る事が許された生徒の中で、点数という明確な指標付きで見下されてもいいという生徒はいないだろう。

 というか、正直、テストの直前で慌てるような生徒、高校に入ると見なくなるとばかり思っていた。言っては悪いが、あれは普段勉強をしていない生徒の典型的な振る舞いだとばかり思っていたからだ。


 チャイムが鳴る。同時に、紙を捲る音が空間に静かに響く。

 私もその音の一部だった。

 そして緊張感が最高潮に達するのを感じた。

 教室内の空気が、何か重要な意味を持って私の肌に突き刺さるようだ。


 いつも通りやれば大丈夫。

 自分に言い聞かせ問題を読む。

 しかし、内容が頭に入ってこなかった。


 特別な理由? 特に無い。

 うん、普通に問題が難しいだけ。

 え、なにこれ。

 おかしくない?


 手が震え始めた。

 テストの問題を読んで意味がわからなかった事など、一度たりとも無い。

 もちろん私だって勉強不足や勘違いで間違えることはあった。

 だけどこれはそれ以前の問題だ。


 ——数学教えて

 ——いいよ、どこが分からないの?

 ——分かんない

 ——え?

 ——分かんないとこ分かんない


 中学時代、クラスメートと交わした何気ない会話がフラッシュバックする。この時、私は「なんじゃそりゃバーーーカ!」と思った。つまりこういうことだったのだ、彼女が言いたかったのは。


 私は教室の壁に貼られている、特別時間割を咄嗟に確認した。やっぱり間違いない。一時間目は現国。いや、間違いであるはずがない。現国の例文らしいものがずらっと書かれているので、他の教科である訳が無いのだ。

 私が何故そんな行動を取ってしまったのかというと、例文の次の展開に動揺を禁じ得なかった為である。

 出題文が英語なのだ。


 絶望していて気付かなかったが、出題文の全てが英語という訳でもないようだ。ところどころ英語の出題文が混じっている。そういえば、先生達は100点を取らせない工夫をすると聞いたことがある。いや、だとしてもこれはおかしい。

 現国というのはつまり国語、自分の国の言葉について学ぶ授業なのだ。それに出題文とはいえ英語を混ぜるなんてそんな、ちょっと常識的ではない。


 しかし私はふと思い返した。この学校がまともであった事があっただろうか。

 極めて専門性の高い授業、変人揃いのクラスメート、極めつけは謎のオリジナルドリンク。うん、変なこと尽くめだ。


 何はともあれ、今さら「英語が混ざってますよ!」なんて抗議は無意味だ。先生からすれば「うん」としか言いようの無いことだろう。ここまで来たらやるしか無い。

 幸い、きちんと読めば意味は理解できそうだ。


 面食らってしまって時間をロスしたが、ここから挽回しよう。

 私はシャーペンをぐっと握った。


 そうして簡単な問題を優先して解き、後回しにしていたものに取りかかろうとしたところだった。一段落つき何気なく顔を上げると、視界の端っこで安眠中のライオンを捉えた。


 ……は?


 間違いなかった。

 志音はまだ寝ている。

 私はドン引きした。

 ただただ引いた。

 引いた時に体が動くシステムがあったとしたら、地球を一周しても余りある莫大な力で後ろに引っ張られ、壁に背中を派手に打ち付けて絶命するくらい引いてる。

 巻き添えになった私の後ろの人達、どうか許せ。


 いつまでも惚けてもいられない。

 私ははっと我に帰ると、難解な出題文との格闘を再開した。

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