第21話 なお、気になるとする
本日の午後は、高度技術の授業だ。かなり久々だった気がする。
というかあれから色々ありすぎた。体感的には既に前の授業から一ヶ月以上経っている感じすらする。私の気分は晴れなかった。晴れないなんて言い方は控えめだ。実際は大雨だった。
私の心とは裏腹に、晴れ渡った空を少しだけ恨めしく思いながら、自分の席に座って黒板を見つめていた。そろそろ最初の授業が始まる。いつ先生が入ってきてもおかしくない。
教室は自由な時間を名残惜しむように、ざわついていた。ふと、私に向けられたであろう声に気付いて隣を見る。
「やぁー、びっくりしたよー! 札井さんが上なんだね」
隣の席の
バーチャル空間がどうのなんて言ってる学科なんだ、せめて朝くらいは爽やかであるべきだと思わない? そう言いたかったが、やっぱり止めた。家森さんが興味津々といった表情をしているからだ。
その顔は、私に「時間とか場所とか関係ないんだろうな」と諦めさせるだけの輝きを湛えていた。
「いや、それは……」
「まさか志音がボイネコだったなんてねー!」
「あー、うんうん」
彼女は頭の後ろで手を組み、あっけらかんと謎の単語を述べた。
ぼい……? ねこ……?
意味がわからんと思いつつも、とりあえず適当に合わせておく。
っていうかこの二人、初回の高度技術の授業で言い争ってたけど、関係は改善したのだろうか。まぁ言い争ってたのは他でもない、私のせいなんだけど。いつの間にかさん付けから呼び捨てになってるし、あまり気にする必要もないか。
「今度ゆっくり聞かせて欲しいなー」
「え?」
「だから、ね?」
「……もしかして、いやらしい話してる?」
なんとなくそう思った。さっき上とか下とか言ってたし。あと、上手くいえないけど、家森さんがそういう顔をしてる。
私の質問を聞いた彼女は、薄い笑みを浮かべてゆっくりと首を傾げた。首の動きに合わせて揺れるポニーテールを見つめていると、なんだかいけないことをしている気分になってくる。
反射的に顔を引こうとしたが、家森さんに私のネクタイを掴まれ、そのままぐいと引き寄せられてしまった。
「最初から、いやらしい話しかしてないよ」
耳元で囁かれる。左上半身に鳥肌が立って、私はいてもたってもいられなくなって、彼女の肩を掴んで押し出した。
「あれ? ごめん、怒った?」
「……怒ってないけど、耳元で喋らないで。びっくりするから」
「あー。耳弱いってこと?」
「びっくりするってこと!」
ここは激しく否定しておく必要がある。志音との噂がエスカレートしているというのに、さらに耳が弱いなんて情報まで混じったらお嫁に行けない。
「へー? わかったよ、ごめんね?」
へらへらと笑いながら、家森さんは机から教科書を取り出す。ほどなくして先生が引戸を開けた。チャイムが鳴り終わるのと、ほぼ同時だった。
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私達、高度技術科の一年生はバグ対策専用施設、通称エクセルのA演習室に居た。今日の高度技術の授業はかなり枠が多めに取られていた。
鬼瓦先生は「今日は時間が無いから一回の説明でお前らが理解してくれることを祈る」なんて言って、乗っけから私達を威圧した。三時間半もあるのに。
前回同様、チーム別に分かれてダイビングチェアの前に座っているが、もう一つだけ、前回の授業と同じことがあった。それは同行者の存在である。
そう、私達のすぐ後ろには雨々先輩が立っていた。先生が時間が無いという理由も用意に想像がつく。きっとまたダイブすることになる。あっちで何かをするはずだ。そうじゃないと、先輩が居る意味無いし。
「今日はお前達に簡易的なロッジの建設をしてもらう」
鬼瓦がそう宣言すると、演習室が少しざわついた。そりゃそうだ、そういうのは土木科とかに言えと思うだろう。うちに土木科は無いけど。
「お前達も前回の演習で使用したと思うが、ロッジは俺達の砦だ。バグに感知されることなく、その座標にあり続け、ダイブのスタート地点として、時には身を休める安全地帯として、そして時には即席の作戦会議室として、無くてはならないもの。所謂、活動拠点だ」
前回は既に存在したロッジに座標を合わせてダイブした。しかしそれだって、学園用に誰かが設置したものだろう。活動拠点となる地点は多いに越したことはない。私はこの演習の重要性を理解した。
「お前達はコアと呼ばれるパーツを地面に定着させることだけに尽力すれば良い。ロッジの設置は、コアの定着後、内蔵されたプログラムを起動することで完了するが、それは高度情報処理科の役割だ」
想像していなかった名前が出た。高度情報処理科。先生の説明に、演習室が少しざわついた。確かにあの科の子達をエクセルの入り口で大勢見かけたが、まさか合同演習とは。
「ダイビングチェアの小型モニターを見てくれ。それが今回、お前達が組む情報処理科のペアだ」
私は、椅子の頭の方から、ちょうど目線の高さに、にょきっと生えているモニターを確認した。
「これ、なんて読むの?
「アルファベットで書いてあんだろ。
「あっホントだ」
「それより、組む高度情報処理科ってペアって言ってなかったか?」
言われてみれば……。
私はモニターのパネルをタッチして、もう一人分の名前が表示されないか試してみた。
「出ないな……」
「そうだ。札井、小路須。お前達と組むペアは一人病欠だ。今回は夜野と演習にあたれ」
わかりました、なんて返事をしたものの、私は不安だった。コアのプログラムの起動はこの、夜野という人に任せることになる。
ということは、夜野がトチってしまえば、私達も道連れで演習失敗となってしまう。連続の追試は避けたい。この流れは非常に不穏だ。
「ま、病気ならしょうがねーよな」
「志音も悪いところがあるんだから、あまり無理しないでね。ほら、目つきとか」
「殴るぞ」
元々悪かった目つきが更に悪化している。
子供が見たら良くて号泣、悪くてトラウマになりそうだ。
「今回お前達が呼び出すアームズは決まっている。いいか、一人はこのコアと呼ばれるパーツ。もう一つはアンカーと呼ばれる、コアの定着用パーツだ。今回の演習の肝はアームズの呼び出しにあると言っても過言ではない」
「えっ……」
少し死を覚悟したが、大丈夫。少しだけだ。一度もまともにアームズを呼び出したことが無いだけだ。まだ焦る時間じゃない、大丈夫。平気、へっちゃら。
「これから1時間かけて、コアとアンカーについて授業をする……そんなに難しいものではない。あまり気負い過ぎるなよ」
あの鬼のような先生が、生徒達に珍しく優しい言葉をかけた。私があまりにも青い顔をしていたからだと思う。実際、直前に目が合ったし。でもそんなにハードルを下げられると、やらかした時に余計つらい。「えぇ…先生だってそんなに難しくないって言ってたじゃん……」とドン引きされること受け合いだ。
頭を抱えていると、「ちょっといい?」と、雨々先輩に声をかけられた。後ろにいたせいで、すっかり存在を忘れていたが、もしかしたらアドバイスをくれるのかもしれない。
私は顔を上げて、期待に満ちた視線を先輩に送った。
「小路須さんがボイネコって本当なの?」
「今そんなこと聞く必要ありますかねぇ!」
だめだ。この先輩、だめだ。
私は再び頭を抱えることとなった。
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