第20話 なお、濡れたまんまでイッちゃわないとする
「おい! 札井!? くそ、こいつまただ!」
「またって……?」
「あたしとただならぬ関係では? って話をされると、すぐにこうなるんすよ。意識トぶっていうか」
「心から拒絶されてるじゃない」
「とにかく私に任せて」。そう言って雨々先輩は私の口と鼻を押さえた。
意味が分からなかった人の為にもう一度言う。
先輩は私の口と鼻を押さえた。
「…………死ぬわ!」
少しは堪えたけど、やっぱり駄目だ。
顔を真っ赤にしながら、私は先輩の手を払い除けた。
「ほら、ね?」
「おぉ! すげぇ!」
なに感心してんだよ、殺されかけたんだぞ。あんたそれでよく”任せて”なんて宣ったな。私は言葉にならない怒りを先輩、は少し恐ろしいので、志音にぶつけた。
「ほら、ショックで固まってる人を見ると呼吸してるのかな? って気になるでしょう?」
「それとこれと、何の関係があるんですか」
「え……? 試したくなったんだけど……」
いや、「どうしてこんなことも分からないの……? やば……」みたいなリアクション解せないわ。
私からすれば、「どうして生身の人間でその疑問を解決しようと思っちゃったの……? やば……」だわ。
「っていうか、なんで先輩もあの噂を知ってるんすか」
私達のドン引き合戦を見かねて、志音が話を元に戻した。
そうだ。どうして知っている。知りたいけど、知ってしまったらまた意識が飛びそうだ。でも意識が飛んだら今度こそ、このサイコパス先輩に殺されるかもしれない。気を確かに持とう。
「あなた達のクラスメートの姉が私のクラスに居るの。その子から聞いたから知ってるよ」
血縁者誰だよ、出てこいよ。
ひょいと学年の垣根を越えてるんじゃないよ。
「あぁ、でもそんなにみんなが知ってる話題じゃないから安心して」
「本当ですか! 良かったー……」
「あ〜〜……ま、その話は置いといて。噂は本当なの?」
「先輩待って下さい。いま明らかに不自然に話題切り替えましたよね」
絶望した。
何故かというと、あのクールな先輩の目が泳ぐところを、初めて見てしまったからだ。あんなにバタフライする勢いで泳がれたら、いくらなんでも察する。様々なことを察する。
「あと、その噂ウソっすよ」
「やっぱりそうなんだ?」
「なんか周りが勝手に盛り上がっちゃって。相手にするのも疲れたんで放置してます」
「そういうことね」なんて言いながら、先輩はくすくすと笑っていた。
この人の笑った顔は本当に絵になる。私は惚れ惚れしながら彼女を見つめた。
「じゃあ授業中に告白したっていうのもウソなんだね?」
「あぁそれは、そういう意味じゃなかったんすけど、まぁ事実です」
「なんで?!」
うん、先輩のその反応、分かる。
まさかその部分だけ事実だと思わないよね。一番ウソっぽいところだし。
辺りも暗くなってきたし、私達は教室の方へと歩きながら、事の経緯を話した。
「バグを倒したの? それはすごいね。でも、その話題のせいで噂が余計に広まっちゃったのかも」
「あっ、そうだ! バグで思い出した!」
「どうしたの?」
「先輩、私、バーチャルプライベートの許可証、欲しいんです!」
志音に言っても相手にされないが、実際に許可証を持っている先輩になら……!
私はわらにもすがる思いで相談することにした。
「うん、多分札井さんには無理だと思う」
はい相談終了。
私の決死の思いはなんだったんだよ。
しかし意外なことに、ここで助け舟を出したのは志音だった。
「それって確定なんすか? どうしても無理なんすか?」
「私も100%とは言えないけど……」
そうして先輩は知ってる限りのことを教えてくれた。
各クラス成績上位者3~4名だけがその狭き門をなんとかくぐり抜けていること。
教室不足により増設されたと言っても、実はまだ完全には改善されていないこと。
許可証にもランク分けがあって、上位者は優先的に部屋が割り当てられること。
最下層の生徒達は部屋の使用権奪取のため、小競り合いを繰り返していること。
ちなみに、二年生で体験室に入り浸れる程、安定したポジションにいるのは雨々先輩だけらしい。
実情は想像していた以上に過酷であった。
許可証を取ってからもそんな戦いが続くなんて……。
「えぇ……じゃあ、先輩ってすごいんですね」
「うーん、どうだろう。私もこんな外れにある空き教室にいるしね。本当の上位者はあの建物でバーチャルプライベートを体験してるはずだよ」
そう言って、先輩は何かを見つめていた。
視線を辿った先にはあの施設があった。私も演習で使った、バグ対策専用の施設。
恐らくそこには、最上級生、三年生の先輩達がいるのだろう。
「あー……」
「そういえば知ってる? あの建物。生徒の間では、エクセルって呼ばれてるんだよ」
「エクセルって、表計算ソフトのあれっすか?」
「そうそう。窓がそれっぽいって、誰かが言い出したのが広まったみたい」
「あっ、言われてみれば似てますね」
奇抜なガラス張りのデザインの建物だとばかり思ってたけど、急に親近感が湧いてきた。いつかあそこの個室で、ドヤ顔でバーチャルプライベートを体験してみたい。
「ま、夏になったら一年生にも詳しい説明がある筈だから。それまで出来ることは謙虚に、そして勤勉でいることだよ」
先輩の言うことは尤もである。
今の私に、それ以上出来ることは無さそうだ。
「後学までに聞いときたいんすけど、許可証所持者のランク争いってどういう内容なんですか?」
「え?」
「さっき先輩言ってたじゃないっすか。ランク分けされてるって。どういうタイミングでランクが入れ替わるんすか? 定期的にテストがあるのか、それとも普段の成績で決まるのか。ちょっと興味湧いたんで」
志音の質問は普通だったと思う。
ここまで聞かされたなら、気になるのも当然だ。
だけど、先輩の返答は酷く曖昧なものだった。
「……ま、それを気にするのは、許可証取ってからでもいいんじゃないかな? それじゃ、私こっちだから」
そう言って先輩はさっさと行ってしまった。
志音は引っかかっているようだったけど、私には思い当たることがある。
「なんだよ、もったいぶってよー」
「もしかしたら、先輩はライバルを増やしたくないんじゃない?」
「あの先輩がそんなの気にするタマかよ」
「だって常連なんでしょ? どうしても譲れないんじゃない、そこは」
「うーん……」
「許可証を取るまでのことや、実状については調べたら分かると思うけど、ランク分けの方法は許可証持ってる生徒じゃないと分からないだろうし」
「……ま、有り得るか。あの人、後輩だからって容赦するタイプには見えねーしな」
「そうそう、それそれ」
唯一の先輩に向かってかなり失礼なことを言っている気もするが、事実なので仕方ないだろう。
あの人は優しそうに見えて、全然優しくないタイプだと思う。
教室に戻った私達を待ちかまえていたのは、数名のクラスメートだった。
こいつらまだ居たのか。やけにじろじろとこちらを見ている気がする。一体なんだというのだ。
「仲直り、した……?」
集団の中から二人の女子が近づいてきたと思ったら、そう言われた。そんなこと聞くために残ってたのかお前らは。
ネクタイを掴んでそいつごと、どこぞのレゲエラップグループのライブのタオル回しみたいに、ぐるんぐるんに振り回してやりたい気持ちに駆られた。しかし、私はできるだけ冷静に答える。
「……っていうか、元々喧嘩なんてしてないよ。ね?」
「おう。お前ら、何言ってんだ?」
それを聞いた子達は少しそわそわしていた。嫌な予感しかしない。
まさかと思うけど、本当にまさかとは思うけど……。
立ち尽くしていてもしょうがないので、平静を装いつつ、帰り支度を始めた。
しかし、私の思考は途中で遮られた。志音の尻がやけに白く、埃っぽく汚れていたのだ。斜め後ろの席なので嫌でも視界に入った。
「ちょ! きったな!」
私は駆け寄って志音の尻を、もといスカートをばんばんと叩いた。
「いった! おい! なんだよ!」
「汚れてるんだってば、まっしろ。これでしばらく歩いてたの? 恥ずかしいヤツ」
「……あぁ! 机に座ったときか」
「それ以外無いでしょ。あんな汚い机に座るんなら、せめて払うくらいしなよ」
「お前が好き放題やって勝手に教室出てったせいだろ! あたしは慌てて追いかけたんだぞ!」
「いや、私の中ではあれはあれでもう終わってたし」
こいつとの会話はまだ全然終わってない。
とっとと決着をつけたかったが、それは黄色い悲鳴に阻止された。中には赤面してる子までいる。
彼女達のリアクションの意味は、全くと言っていいほど分からなかった。
助けを求めるように志音に視線を向けても、「あー……」と言うばかりで、それ以上口を開くことは無かった。
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