第16話 なお、ルナルナは無実とする


 辺りはすっかり暗くなっていた。

 私達はA実習室の隣の待機室で、バグとの遭遇及び消去デリートの報告書を作成している。


「一応手配書を確認したけど、その中にあのバグは存在しなかったな」


 聞き慣れない言葉の意味を問うように、私は凪先生を見た。

 ちなみに志音は「早く帰ろーぜー」という音をリピート再生する機械と成り果てている。


「今後、授業でやることになると思うけど、バグの中には懸賞金が懸けられているものがいるんだ」

「懸賞金?」

「あぁそうだ。バグにはそれぞれ好みがある、という話は知っているかい?」


 知っているわけがない。なんせ私は、どうなったら”バグを倒した”と判断していいかすら知らなかった。テレビで報道されるようなこと以上の知識はないのだ。

 そんなことを考えていると、顔に出ていたのだろうか、見兼ねた先生はそのあたりの説明から始めてくれた。


「例えば、車を制御するAIを好んで狙うバグ、特定の地域のAIばかりを狙うバグというように、バグが悪影響を及ぼすAIにはかなりの偏り、というか傾向があるんだ。

 バグをデリートするためにはそれを把握し、次に狙われるであろう機器に特殊なプロテクトを掛けることもある」


 まるで特定の何かに恨みでもあるようだな。

 まぁそんなこと有り得ないけど。


「特に被害が甚大であると予測されるバグや、デバッカーに対して好戦的なバグには

 懸賞金が懸けられ、優先的にデリートされるよう配慮されるんだ」

「確かに、重要な機器ばかり狙うバグが出たら厄介ですもんね」

「そういうことだ。で、さっきの、君がバグチュウと呼んでいたバグについても少し調べたんだけど、どうやら生まれたばかりのバグのようだね。何かのAIに悪影響を及ぼす前にデリート出来たのは不幸中の幸いだよ」


 先生はカタカタとキーボードを叩きながら言った。

 私と志音はそれを眺めているだけだ。正直、私も少し帰りたい。


「先生。あたしらここにいる意味あります? もう帰っていいですよね?」

「だめだ。報告書は可及的速やかに出す決まりがある」

「だとしてもあたしら見てるだけじゃないですか。やることないなら帰っても」

「だめだ」


 先生は語気を強めた。きっと何か、特別な理由があるんだろう。

 最後にデリートに関わった者のサインがいるとか、どうしても私達がここに居なければいけない理由が。


「なんでですか」

「寂しいだろ」


 こんなに素直に心情を吐露されたらもう仕方が無い。

 がくっと肩を落としながら、私達は先生の書類作成を見守るしかなかった。


「っていうか志音」

「なんだよ」

「なんで私よりも知ってることが多いの?」


 妙な聞き方だとは思ったけど、これ以外に言い方が見つからなかった。

 バグとの戦闘もかなりスムーズに動いていたし、アームズの扱いも完璧、そして手配書のことも知っている風だった。こいつだって私と同じ新入生だというのに。

 知識については「ネットで調べた」と言われたらそれまでかもしれないけど、なんというか、私とは心構えのようなものが違う気がした。


「あたしの親が出張でいなかったこと、覚えてるか」

「うん」


 というか忘れる訳がない。つい昨日のことだ。

 こいつは私のことを夕飯を食べたかどうかも記憶していない老人とでも思っているのか。

 ……うわ、思ってそう。ムカつく。


「あたしの両親はデバッカーだ。だから札井よりも知識はあるさ」

「え……!」


 つまりこいつはサラブレッドということか。

 親の背中を見て育っているなら、戦闘時のあの切り替えの速さも納得がいく。


「また失礼なこと考えてるだろ」

「ゴリラなのにサラブレッド? ブタゴリラ的な感じ? ウマゴリラ? ウマゴリラなの? って思ってただけだよ」

「だから事も無げにとびきり失礼なこと言うのやめろよ」


 どこが失礼にあたるのか、私には理解できなかったが、とりあえず適当に謝っておいた。しかし、武器の扱いについては、背中を見ているだけではどうにもならないだろう。

 何故こいつはあの時あんなに迷いなく動けたんだ。

 無言で見つめていると、視線に気付いた志音は口を開いた。


「あー。母さん達の訓練施設によく一緒に行くから、そのときにちょっとな。一応、他の奴らには内緒にしてるから言うなよ」

「訓練施設?」

「デバッカー向けの施設だよ」


 通常の仮想空間や、完全に秘匿性が保証されているバーチャルプライベートとは別の仮想空間があり、そこではデバッカーの演習用に、過去に発生した履歴のあるバグと戦えたりするとか。

 あまり公にはされていないが、全国各所にそういった施設は点在しているらしい。

 じゃああんたは今まで気が向いた時に訓練してたの? それってズルくない? 卑怯じゃない? 藤木じゃない?

 小さな疑問が浮かんでは消えていく。


「それって誰でも入れるの?」

「まさか。あたしが入る時は父さんか母さんのIDを使うんだよ」

「それって駄目じゃん」

「もちろん、アウトかセーフで言ったらアウトだ。だけど、子持ちのデバッカーはわりとみんなやってるよ。あそこは建物への入場が厳しい代わりに、どこも入ってからのチェックは甘いんだ。監督者に見つかってもほどほどになって言われるくらいだ」


 なるほど。自分の子供だと言えば建物内に連れ込めるし、そこまで行けばこっちもの、ということか。


「完全な”外”は初めてだったから、勝手が違うこともあるかと思ったんだけどな。

 どうやらそれは無さそうだ」


 ”外”というのは、バグが発生する仮想空間のことだろう。

 でも、これで志音が妙に強かった理由が分かった。


「ちょっといいかい」

「なんですか?」


 気付くと、先生の手は止まっていた。

 書類は出来たのだろうか。だとしたら帰りたいんだけど。


「さっき札井がアームズを呼び出した時の反応を調べてみたんだ」

「あぁ、それ。あたしも気になってたんだ。てっきりバグがいる仮想空間じゃああいうもんかと思ったけど。先生も知らなかったんですよね?」


 それ?どれだ。

 ……あぁ、あの煙や電気のことか。ノイズも走ったっけ。随分と派手な演出だった。あの時は「アームズを呼び出す時はそういうものだ」とばかり思ってたけど、言われてみれば、志音が呼び出したときも、先生が呼び出したときですらあんな反応は無かった。


「あれは、呼び掛けとイメージがかけ離れている時に生じる反応のようだね」

「あぁー……確か、日本刀って言いながらまきびしのこと考えてたんだっけな、お前」


 その目をやめろ。今すぐにだ。

 私のことをアホだと思っているだろ、あんた。

 覗きこんでくる志音の顔を退けながら質問した。


「それって、そんなレアな反応なんですか?」

「データがあるということは前例が無い訳じゃないんだろうけどね。少なくとも僕は初めて見たよ」


 つまりとてもレアだと。

 前に、志音に変な奴呼ばわりされたことを思い出して項垂れた。

 当の本人は気持ち悪いくらい楽しそうにしているが。


「何? 何が面白いの?」

「何って……しいて言うなら、お前?」

「は? 生理痛激重になれ」

「嫌な祟り方すんなよ!」


 吠える志音をよそにある疑問が湧いた。

「っていうかコイツ、生理あるの?」と。


「あるよ! あるに決まってんだろ! こちとらルナルナにお世話になってんぞ、この野郎!」

「生理日予測で6年後とか出てそう」

「出てねぇよ! なんなら見るか!? あぁ!?」

「二人とも! それボクへのセクハラ! セクハラだから!」


 先生は耳を塞いで半べそをかいていた。

 成人男性がこの程度の話題で何を……とも思ったが、異性の生々しい話はいくつになっても聞きたくないものなのかもしれない。

 可哀想だし、先生の前でこの話題はもう終わらせよう。


「ところで書類、できたんですか?」

「あぁ、見るかい?」


 差し出された書類を手に取る。

 志音はそもそも文字が読めるか怪しかったので、とりあえずは私が一人で読む事にした。


「なぁー」

「あーうっさい」


 後ろでまた「帰ろーぜ」のリピート再生が始まった。

 このままでは夢にも出てきそうなので、出来るだけさっと読む事にしよう。

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