第13話 なお、グレーテルはグレてるものとする


 今回の演習の目的は、アルファ地点と呼ばれる場所に到着すること。

 時間はいくらかかっても構わないが、そんなに長い道のりではないので、何時間もかける方が逆に難しいだろう。


 まずは、安全保証地帯の境界線、通称デッドラインというものを超える。いま私の足下にある、発光する淡い光のラインがそうだ。

 この向こうでは安全が保証されない。つまりバグと遭遇する危険性があるのだ。


 この辺の境界線は真直ぐに見えるけど、実際はわりとぐねぐねしている。形的には国境をイメージしてもらうと分かりやすいかもしれない。そして、この境界線が国境と違うところは、日々変動しているということ。境界線のラインは、青と赤の二種類の光がくっついて一本になっている。内側の青が安全地帯。外側の赤がバグ発生エリアとして、一目見てわかるようになっているのだ。

 要するに、仮想空間のコンデションによって、どこまでが安全と言えるかが変わってくるということである。


「……これ、超えていいんですよね?」

「もちろんだ。さ、行こう」


 そして私達は呆気なく、仮想空間のバグ出現エリアに足を踏み入れた。凪先生はまた空中をタップしている。どうやら座標を確認しているようだ。私も使ってみたいけど、空中ディスプレイの元となるあの端末を持っていないので使えない。


 ちなみに、境界線を超えてから脅威に晒され続けているが、体には何の変化も無い。ビリビリする感じがするとか、ちょっと憧れていたけど、全然無い。悲しいほど無い。


 このデッドラインというのは、つまるところ、歪な円だ。果ての無い仮想空間で、人類は無数の活動拠点を持った。神のように俯瞰すれば、それは虫食いのようなサイズかも知れないし、もしかしたら穴と認識できない程の極小の点でしかないのかも知れない。


 ただ、私の浅い知識でもわかることは、青い光に囲まれている領域は仮想空間全体の割合から考えると、かなり狭い範囲であるということ。人類は安全な領域を一つ確保するのに、数日、あるいは数週間という時間と労力を必要とするが、放っておいても仮想空間は広がり続けている。それも、360度全方位、休みは無い。

 きっとそれは、決して失敗することも無く、終わることも無い、適当なある地点を中心としたドミノ倒しのような光景であろう。まるで宇宙だ。


「おい。お前」

「何?」

「それ、重くないのか?」


 抱えきれない程の金属製のまきびしが重くないのか? だと?

 私が何故こんな長文で物思いに耽っているのか、分からないのか?


「重いに決まってるでしょ。だから考え事をして心を無にしてるの」

「あたし思うんだけどさ」

「何?」


 志音は声を顰めて私に耳打ちをしようとした。

 こいつ、声の調整できたんだ。フォルテかフォルテッシモ以外にできたんだ。

 そう思い、私はひっそりと驚嘆した。


「落とせ」

「は?」


 ちょっと言ってる意味が分からない。あとこいつのアームズ、ブーメランとかいう死ぬほど軽そうな武器で腹立つ。


「だから落とすんだ、少しずつ。道に落としてくんだよ」

「なるほど! 先生にバレないように量を減らすんだね」


 あぁ、どうだ? そう言って志音はニカっと笑った。悔しくなる程、完璧な提案だった。バレなさそうという点も素晴らしいが、何よりとびきりファンシー。こいつにこんなセンスがあったなんて驚きだ。


「あんたにしちゃいい案だわ。ヘンゼルとグレーテルみたいで可愛いし」

「待て待て待て。あの兄妹はまきびしなんて落としちゃいねぇんだよ」

「道しるべとして落とすわけじゃないから、小鳥に食べられたって平気だしね。恐れることは何も無いね」

「そりゃ平気だけど、そもそも小鳥はまきびしなんて食わねぇんだよ。小鳥がまきびしを食べると信じて疑わないお前が一番怖ぇよ。もういいから童話から離れろ」


 自分から言ったくせに童話から離れろってなんなんだ。あれか、あまりにもメルヘンな提案をしてしまった照れ隠しか?

 しかし、この提案がヘンゼルとグレーテルを意識していない訳が無い。お菓子の家とだって関連性があるじゃないか。


「うん、分かってるよ。志音、いいの。まきびしとこんぺいとう、似てるもんね」

「そりゃちょっと似てるけども!」


 そこでぼうっと歩いていた先生が振り返った。私達は密談をする為に近づけていた顔をすぐに離す。この話を悟られるのはマズい。


 その様子を見た先生は、とんでもないことを口走った。先日私が唱えたイオナズンが発現できた方がマシだったのでは? というくらい、破壊力のある質問だった。


「……二人は付き合ってるのかい?」

「は、はぁ……?」


 志音がなにやら怪訝そうな顔をしているが、私は加勢しなかった。いや、できなかった。意識が飛んで行く。遠く、遠く。木を越え、山を越え、さらにその奥の山の頂をも越えて。

 私の意識が戻ることはきっともう無いだろう。


「って、おい! 札井! 戻ってこい!」

「あ。無理無理。戻るとかちょっと無理。なんでかって、それはね。うん、無理だから」

「おいぃ! しっかりしろよ!」

「ここまで嫌がるとは……なんか先生、悪いこと聞いちゃった……?」

「こんなに嫌がられるってじわじわ傷付くな」

「むしろじわじわで済むって、君のメンタルすごいよ」


 先生と志音の声が聞こえる。だけどきっとそれももう聞こえなくなる。

 わかるんだ、最期が近いって。

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