第8話 なお、クラスメートは初日の自己紹介で度肝を抜かれたものとする


 三度目の実習、私達は再びA実習室にいた。

 ちなみにあのやたらとキツい顔をしている教科担任は鬼瓦というらしい。こんな名前と顔が一致する人物もなかなか居ないだろう。彼の名前を知った時は妙な感心の仕方をしてしまった。


「今日は遂にバーチャルの実習だ。申請書の準備が出来ていない者は手を挙げろ」


 ちなみに申請書は三日前のホームルームで配られた。私本人のサインの他に、保護者のサインと捺印まで要求してきた、随分と仰々しい書類だった。

 二枚あって、片方は文字通り、仮想空間進入の申請書。もう一枚は同意書だ。細かい規約は面倒で読んでないけど、書かれている内容はプリントが配られる時に説明を受けている。

 要するに、最悪死ぬかもしれないけど、文句言わないでね☆という内容だ。かなりざっくり説明したものの、何も間違ってはいない。


 あれがどれ程重要なものか、高校生にもなれば誰だってわかる筈だ。ここで手を挙げる奴がいたら、そいつは大分ヤバい。というかそいつだけじゃなくてバディもヤバいだろう。いざという時、道連れになる可能性があるんだから。


 先生がこちらを見ている。なんだよ、書類は用意してるよ。うんざりしつつも、私は睨まないように鬼瓦を見つめた。

 しかし、視線が合わない。少しズレている気がする。まさかと思い、横にいる志音に目を向けると……。


 挙げていた。

 淡々とした表情で手を挙げていた。


「何? なんなの? 目立ちたがり屋なの?」

「そんなんじゃねーよ、用意出来てないもんはしょーがねーだろ」

「どうして? 紙だから美味しくなかったでしょう?」

「食ってねぇよ!」


 心配したのに怒鳴られた。なんだっていうのだ。しかし、今度はこいつが鬼瓦に怒鳴られる番だ。私は期待しながら彼の言葉を待った。


「お前は確か……」

「あたしのサインの部分は埋めてあるけど、やっぱりダメですかね」

「……いや、いい。仕方なかろう」


 予想外の展開に私は面食らった。ここは「ばっかもーん!」でしょうよ。あと志音が敬語を使えることにも少し驚いた。しかし、こんな事実が明らかになった今、それを指摘するのは少々酷だろう。


「あんた、まさか……」


 親がいないとは……。帰りを待っている人なんて居ないという言葉の意味がようやくわかった。だからこんな不躾な性格になったんだね、と言わなかった私は恐らく滅茶苦茶優しい。


「なんか勘違いしてそうだから言っとくけど、親は出張に行ってるだけで生きてるぞ」

「え……」


 なら何故このような性格に……?

 私はショックを隠しきれなかった。


「なんであたしの親が生きてたら生きてたでショックなんだよ!」

「話を進めるぞ、そこの二人組」

「あんたのせいで怒られた!」

「あたしのせいじゃないだろ!」


 先生は呆れたような顔をして、二度手を叩いた。

 手拍子? だとしたら私も乗った方がいいのかもしれない。こういう時にオーディエンスが白けていると可哀想だ。


「おーい、入ってこい」


 手拍子ではなくただの合図だったようで、声を掛けられた人々がぞろぞろと実習室に入ってきた。私なりに気を遣ってやろうと思ったらこのザマだ。

 というか一緒になって手を叩かなくて良かった。本当に良かった。やってたら社会的に死んでた。


「ここに居るのは二年生の成績上位者だ。今回お前らの引率を務める。早速だが、事前に割り振った班にそれぞれ移動してくれ。あの時計で半になったら実習を開始するから、それまでは適当に自己紹介でもしてくれ」


 先輩達の容姿は様々だった。頭が良さそうな顔をしている人もいれば、動物園から抜け出してきたような人もいる。もしかしたら隣のゴリラの遠縁かもしれない。そして意外なことに、ひと目見て分かる程、女性が多かった。


「性別によって向き不向きがあるの? デバッカーって」

「さぁ。たまたまじゃないか?」

「それにしては……」


 まぁ、20人そこらを見ただけで勝手に業種の傾向を決め付けるのは早計であろう。動き出す先輩達を見ながらそんなことを考えていた。

 私と志音の中間くらいの、少し背が高い先輩が表を確認しながら、こちらへ向かってくる。中性的だが、ほぼ間違いなく女性だろう。女子校に居たら王子だなんだと持て囃されそうな容姿だ。

 格好いいのにすごい美人。あんな顔に生まれてたら人生楽しそう。


「二人が札井さんと小路須さん?」

「え、殺す?」


 初対面のボーイッシュ先輩にいきなり殺害予告をされてしまった。私はショックで顔面蒼白になっていただろう。しかし、そんな私を気にも留めず、志音は「あぁ、はい。そうっす」なんて返事をしていた。

 殺すってもしかして名字? まさかね?


「……めんどくせぇ。あのな、小さいに道路の路、必須の須で小路須ころすだ。あたしの名字だよ」

「あんた、名字なんてあったんだ……」

「あたしのことペットか何かだと思ってんだろ、てめぇ」


 ペットなんて滅相もない。そんな可愛いもんじゃないって。でもこれを言うとまた面倒くさそうなので黙っておいた。私達のやり取りを目の当たりにしながら、何やら先輩がドン引きした様子で「えぇ……」と呟く。


「お互いの名前すら知らないでバディ組んでたの? 入学の時に自己紹介したりしなかった?」

「寝てたんで」

「興味無かったんで」


 ダメだこりゃ。

 先輩の顔にそう書いてあった。でも、私だって好きでこいつと組んだ訳じゃないし。


「こんな名字の奴と一緒に居たら、私の札井という名字が殺意と受け取られそうで嫌なので、今すぐ関係解消したいです」

「安心しろ、単体でも結構危うかったぞ」

「小路須さん、お願いだからこの子を刺激しないで」

「は? 死んで」

「札井さんは”名は体を現す”って言いたくなるような受け答えしないで」


 数分前に知り合った人に喧嘩の仲裁をさせるなんて心苦しかったけど、こいつと一緒に居たくない理由がまた一つ増えてしまったのだ。これは仕方のないこと。そして私はあることに気付いてしまった。


「ねぇ。志音しおんでいいんだよね? 名前」

「なんだよ、今更」

志音しねって読み方じゃ、ないよね?」

「そんな読みの名前つけてたらあたしの親頭おかしいだろ」


 先輩はリストを見てはっとしたようだった。

 その表情だけで、なんとなく次に言われることを察してしまった。


「札井さん、札井さんの名前って……」

「あ、それで夢幻むげんって読みます」

「すげぇ名前だな」

「私も気になって由来を親に聞いたことがあるんだけど、札井って名字だからって答えが返ってきたよ」

「お前の親頭おかしいな」

「壮絶過ぎるでしょ」


 確かにとんでもない名前だけど、みんな私のことは名字で呼ぶから案外困っていない。名字のインパクトが大きい志音の方が苦労してそうだが、こいつが苦労するのは大歓迎なので、同情する気持ちはこれっぽっちも湧かなかった。


「先輩は? なんて名前なんすか?」

「私は雨に踊り字で雨々さめざめ。結構変わった名字なんだけど、二人の後だとちょっと地味かもね。まだ少し時間もあるし、他に何か質問でもあるかな」


 そう言って先輩は笑った。

 その控えめな笑顔で何人の女を落としてきたんですか? って聞きたいけど我慢した。


「下の名前はなんていうんですか?」


 我ながら無難な質問だったと思う。しかしなかなかいい質問だったようだ。志音も身を乗り出して耳を傾けていた。


「笑うって書いてしょうだよ。男の子みたいな名前だよね」


 そして彼女はまた困ったように笑った。

 この容姿でその名前……私は先輩がユニセックスの申し子であると確信した。




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