第9話 なお、前代未聞であるとする


 自己紹介も終わり、私達は雨々先輩を挟んで椅子に座った。ナノドリンクとやらを受け取り、イッキする。不味いと覚悟していたが、それは杞憂でしか無かった。"不味くない"ではない。滅茶苦茶に美味しいのだ。

 少しどろっとしているがチョコレートの味がついていて、知らない人が飲めば濃厚なチョコレートドリンクとしか思わないだろう。


「まだ飲んでなかったの?」

「よくこんな得体の知れないもの飲めるな」


 実習の一部をこなしただけだというのに、この蔑むような視線はなんだ。いつからあんたはそんな目で見るようになったんだ。と言いたかったけど、わりと最初からだった気がするから、それは聞かないでおいた。


「代わりに飲んであげようか?」

「それじゃあたしが仮想空間に行けないだろ!」

「私を挟んで変なやりとりしないでよ!」


 先輩は志音の手首を掴んで、容器に口を付けさせた。涙目になりながら強引にコップを傾けられる志音を見るのは、なかなかに気分が良かった。


「全員飲んだようだな。では、テーブルに置いてあるトリガーを各自装着してくれ。もうこちらの準備は出来ているが、引率者の指示があるまで噛むなよ」


 先生が言い終わると同時に、地面の一部が開いて小さなテーブルが生えてきた。ここだけこんなにハイテクにする必要あるのか? 私には分からない。


「じゃあ二人共、手に取ってくれる?」

「はい」

「うぃっす」


 床からテーブルが生えてくるのは先輩にとって見慣れた光景なのだろう。事も無げにそう指示すると、自身もそれを手に取った。


「向こうについたら先輩達の指示に従い、安全保障地帯の先にあるアルファ地点へ行くことだ。今回はスピードは重視していない。気負わずやれ」


 気負わず、ねぇ。それは構わないが、私はその前の段階で躓きつつあった。


 トリガーと呼ばれるその機器は、随分と妙な形状をしていた。スイッチと聞いていたので、ボタン部分のみの丸や四角の形状だとばかり思っていたが、私の予想とはかけ離れている。指で”4”を作った時の親指の付け根部分のような形状と言ったら分かるだろうか。

 そして親指の先端近く、第一関節に当たる部分にスイッチと思われるパーツが付いていた。これを口に入れて噛んだら大惨事が起こる予感しかしないが、大丈夫なんだろうか。いや、大丈夫なんだろうな。そこは勇気とか気合とかでカバーするんだろうな。


「あ、全部を口の中に入れたら駄目だよ? まぁそんなことしないだろうけど」


 うん、いま思ったことは無かったことにしよう。これは先程気付いたことだが、私はこの先輩にドン引きされると、些か傷付く。


「見てて。こうやって、根本のカーブしてる部分を口の端に引っ掛けるの」


 私達は先輩の見よう見まねでそれを装着した。なるほど。恐らくは誤飲防止の為の形だろう。


 雨々先輩はトリガーを噛もうとする私達を慌てて止めた。何か言いたかったようだ。だけど私は制止を無視して口を閉じた。言いたいことがあるならあっちに行ってからでもいいし。そう思った。思いながら、私は既に”あっち”に居た。



「こんなにあっさり来れるんだ、バーチャルの世界って」


 心底驚いた。そしてすぐに怖くなった。

 昨今、現実とバーチャルの区別がつかなくなってしまう精神疾患が問題になっているらしいが、その意味がわかった気がする。


 この世界の至るところに設置された、デバッカー専用の対策室。通称ロッジ。透明な壁、天井。目を凝らさないとどこまでが室内か、遠目には分からない程だ。ちなみに建物のデザインは世界共通らしい。なんでも、バグには感知できない特殊な素材でできている為に透明だとかなんとか。

 外は深い森だ。RPGの世界に迷い込んだような光景に、私は息を飲んだ。しかし、私が意識転送のあっけなさと周囲の風景に惚けることができたのは、ほんの一瞬だった。

 なぜならば、後ろから重ためのチョップが首に飛んできたからだ。


「だっ!」

「札井さん、私、止めたよね?」

「確かに止められましたけど。言いたいことがあるならこっちに来てからでいいかなと思って」

「はぁー……あのね、もうちょっと私の言うことも聞いてくれないと。今回だって、場合によってはすぐに帰らなければいけなくなるかもしれないんだよ?」


 真剣な顔を見るに、脅しではないのだろう。先輩の隣で呆れた顔をしている志音も気になるけど、今は無視。


「そうだったんですね……すみません。それで、どういうご用件だったんですか?」

「一応、だからね。私は今から安全保障地帯の境界線を三人で超えられるって信じてるし、そうなってくれないと困る」

「っすねー。あいのりみたいに手繋いでジャンプしながら超えます?」

「志音さんはちょっと黙ってて」

「志音、それ以上話の腰折るなら腕の骨折るけどいいよね?」

「”いいよね”!? 折る方向の了承の取り方やめろよ!?」

「あー、もう。静かにして。札井さん、ちょっとこっち来て」


 手を引かれるまま着いていくと、そこは外だった。壁が透明だし、風が無いからどこまでが建物だったのかちょっとよくわからないけど。とにかくそこは外だった。

 よく見ると、私の他にも数名の実習生が連行されている。ここで何かを確かめている様子だった。そして私はすぐにそれが何かを知る事になる。


「アームズを使ってみて」


 意外な要求に、私は先輩の方を向き直した。


「志音さんのアームズはダイブする前にどんなものか確認させてもらったから。札井さんは? 剣とかピストルとか、なんでもいいんだけど」

「私のアームズは……」


 実はかなり自信があった。早くみんなに見てもらいたかったと言っても過言ではない。見てもらいたかったというか、見比べたかった。そして「やはり私のアームズが最強だ」と再認識したかった。


「いきますよ……?」


 私は両手を広げて集中した。ここは群衆がざわめくべきシーンだというのに、先輩の視線は思いの外、冷ややかだった。だけど私の言葉を聞けば、きっと先輩だってはっとするはず。


 私は自信満々で口を開く。


「……イオナズン!」

「帰りましょう」


 私の詠唱と同時に聞こえた無慈悲な演習終了宣言。あとに着いてきて様子を見ていた志音が腹を抱えて爆笑している。大変だ、殺意が止まらない。


「札井さん。あのさ、魔法とか超能力が駄目って。教わらなかった? 教わったよね?」

「教わりました。しかしそれは我々が実際に感知したことが無いものだと、威力を上手くイメージ出来ず、力を具現化できない為と教わりました。私はこのイオナズンの威力を詳細までイメージするために、設定も作りましたし、勉強もしました」

「念のため聞くけど、イオナズンの勉強って何かな」

「ナショナルジオグラフィックでビキニ環礁の特集を舐め回すように観ました」

「それは原爆実験だよね。万が一具現化されてたら私達いま死んでるよね」

「というか舐め回しました」

「何をしてるんだよ、やめろよ」


 突っ込みに疲弊しているのか、先輩の口調がどんどん雑になっていく。ちなみに志音はまだ床に転がっている。これ以上続けると先輩か私の手が出るかもしれないので、話題を切り換えることにした。


「あっちに戻る時は、頸動脈を押さえながら歯を鳴らす、でしたよね」

「そうだよ。はぁ、悪いけど君達は失格だ。後日、追試をする。そしてこれには私も巻き込まれることになる。戻る時に「雨々先輩ごめんなさい」って考えること。特に札井さん」


 あぁ、この人結構根に持つタイプだ。しかし今回ばかりは完全に私に非があるので、素直に言われた通りにした。


***


 またあっという間だった。急に魂が入れ替わったような感覚だ。

 どちらも私には違わないけど、いきなり視界が切り替わるこの感覚は、キャラクター視点切り替え機能がついてるゲームをプレイしているようだった。


「!? お前達、もうアルファ拠点に到達したのか!?」


 ダイビングチェアから起き上がる私達を見て、鬼瓦先生は血相を変えて飛んで来た。いつも厳格なあの先生のあんな顔は見た事がない。恐らく、ダイブしてからものの数分でこちらに戻ってくる生徒なんて、前例が無いのだろう。

 バーチャルの状況は後ほど担当教員達に共有される仕組みらしい。今回の実習では、現実世界リアル側の担当に、細かい情報共有は必要無いと判断されたようで、モニター等は点いていないのだ。そのため、先輩は何があったのかを説明する必要があった。

 気が重いようだ。私だってそうだ。できることならあまり言って欲しくない。今さら恥ずかしくなってきた。


「札井さんが……」


 先輩、口に出す事すら憚られるとでも言いたげな態度はやめて下さい。堪えます。しかし、この言い澱み方はなかなかにナイスだった。もしかしたら体調不良等と解釈されるかもしれない。私は一縷の望みに縋ろうとした。


「こいつ、アームズ見せてみろって言われて、イオナズン唱えたんですよ。やべーよな」


 おい志音やめろ黙れや。

 天国から地獄に叩き落とされた私は、脳内で志音を道連れにして火炙りにして串刺しにしてから擂り潰した。そしてその肉片と骨を適当に集めて巨大ミキサーにかけるところまで想像して、やっと気持ちが収まってきた。


 これで良かったのかもしれない。担当教員にこっぴどく叱られて、そして今回のことは闇に葬ろう。咎められることで一区切りつけることができるかもしれない。

 目のやり場に困って俯いていたが、決意を胸に顔をあげた。叱責を覚悟して、それを受け入れるという意思の表れだった。


「わぁ……」


 私の視界に飛び込んだのは先生のドン引きした顔だった。違う、そうじゃない。先生、叱って。

 リアクションは短くシンプルなものだったが、この場に私を咎めてくれる人はもう居ないと悟らせるには充分だった。私はしばらく、イオナズンという過ちを背負って生きるしかないようだ。

 耳障りな志音の笑い声だけが教室に木霊していた。

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