9話 別れ


 背中に斜線が引かれ、その線から滲み出る血の量が漸次増えていく。そして、痛みに耐えきれなくなったらしく、彼女は地面に倒れ込み、その衝撃で斜線を境に体が真っ二つになった。


「ユカノ!」


 ミルが真っ二つになったユカノに近づき、声をかけるが、ユカノは反応を見せない。


 ユカノはミルを守るため、最高レベルの防御壁を作りながら自分の身を盾として使った。その結果、ミルは無傷で澄んだが、ユカノはもう、治癒魔法の効果すら得られない状態になってしまったのだ。


 暗く、落ち込み、絶望すら感じるその表情に、俺は胸を痛めた。なんの慈悲もなく、俺はあれほどまでに強力な刃をミルに向けてしまったのだ。どんどん溢れてくる血が自分のせいだと考えるだけで、動悸が激しくなる。人を殺したという実感が湧かない。俺は最低な人間であると、今頃になって気がついた。


 亡骸に目を向けると罪悪感に襲われ、胸がはち切れそうなほど痛い。苦しくて、苦しくて、夢なのか現実なのか区別がつかないほど動揺していた。


 ミルは手を伸ばそうにも伸ばせないという感じで、涙を浮かべる。俺は、彼女を泣かせてしまった。俺に生きる資格なんてどこにもない。


 太陽が消え、辺りが暗くなった。


「あれっれー? まさか知らなかったーの?」


 悪戯坊主のような声と意味のわからない長音符の入った特徴的な喋り方。リント=ヴェルムートだ。


「ちょっと気になって来てみたらこんーな......。やっぱり、君たちはあの禁忌魔法の性質や特徴とかを知らなかったんだね」


「......そうです。何も知らずに使ってしまった私たちに責任があります」


「あーあ。ダメだーな。この禁忌魔法について教えてあげるーよ。まぁ、そんなに時間も残ってないわけだーし」


 そう言って、リント=ヴェルムートは禁忌魔法の特徴や性質について話はじめた。


 まず、禁忌魔法(ここでは生贄を使った召喚魔法)のメリットから。生贄として命を捧げた人の能力が召喚された人に付与される。固有スキルはもちろん、魔法や経験値も引き継ぐことになるとのことであった。


 デメリットは生贄が必要であるということと、召喚された人の体内に生贄の魂が入り混じってしまい、情緒不安定になってしまうということ。それから、召喚された人はあり得ないほどの力を手に入れることができるため、何が起きるかわからないとのこと。


「まぁ、君たちからすればもっと早く言ってくれよって話かもしれないーね。だけど、見せしめのために君たちを煽ったんーだ。そうでもしなけりゃ、この世界が消滅する可能性だってあるからーさ」


 ミルはリント=ヴェルムートの話を聞いてその場に座り込んでしまった。


「......龍輝、私を殺して」


「何言ってんだよ!」


「私を殺して! 私は結局、誰かを守ることなんてできなかった。むしろ、守られてばかりいた。せめて、その罪滅ぼしのために、私を殺して。私が死んだら、あなたは元の世界へ帰れるし......。だからお願い」


 うつむきながら鼻をすする音が響き、輝きを失った涙が何滴も落ちる。その光景に、俺は耐えきれなくて、でも、どうすればいいかわからなくて、ただ立ち尽くしていた。いくらか時間が過ぎ、ミルが立ち上がる。そして、俺に近づいて手を握った。


「私ね、最後に龍輝と会えて本当に良かったと思ってる。もうね、龍輝のいない世界で生きていける気がしないの。だから、私を殺して......」


 俺の手を握るミルの手が次第に溶けていくのがわかった。俺は驚いて手を引っ込める。その瞬間、たくさんの『記憶』が脳内に侵入してきた。


「俺はミルを殺したくない。せめて、この世界で幸せに生きてほしい。それが俺の幸せでもあるから、お願いできないかな」


 いつのまにか、自分で元の世界へ戻るために必要な魔法を習得していた。そのため、彼女を殺さなくても元の世界に戻れるのだ。そのことを彼女に提示しても、彼女は殺してくれと言うばかりであった。


 もちろん、彼女をほったらかしにして元の世界へ帰るなんてできるわけがない。せめて説得できればいいのだが、彼女は意思を曲げようとはしなかった。


 世界が揺れ始めた。木々は倒れるものも出てきて、モンスターたちがパニックになって暴れ回る。地面が割れ、視界が落ち着かなくなり、立つことがやっとになり、それでもミルの意思は変わらなかった。


「もう、殺しなーよ。君が彼女の幸せを願うのならば、殺してあげるのが優しさってもんだーよ」


「そうですよ。優しい龍輝さんなら、私を殺してくれますよね......」


 死を恐るような震えた言葉を無理矢理吐き出す。


「ミル......そこまで言うのなら......」


 俺はゆっくり剣を構えた。今まで以上に重く感じる剣をミルに向ける。


「本当に、いいのか?」


「......最後にお願いがあります。私を刺した後、あなたが元の世界へと戻る、その瞬間まで、私のことを抱いてくれませんか?」


「......っわかった」


 彼女は俺のことをこんなにも愛してくれていのに、俺はもっと軽い気持ちで彼女と接していた。申し訳ない。でも、せめて、最後くらいは......。


 彼女の心臓めがけて、剣を突き刺し、そして、引き抜いた。美しい鮮血が宙を舞い、俺の頬に付着する。俺はすぐさま剣をその辺に投げ捨て、約束通りミルを優しく包み込むように抱いた。


 俺の脳裏に彼女の声にならない声が浮かび上がる。


『愛してる。たとえ、何億光年離れていたとしても。何回生まれ変わろうとしても』

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