喫茶店にて

私は、いつも同じストローで、同じジュースを飲む。行きつけの喫茶店ではもう顔も覚えられて、私が、マスターいつもの、と頼めば、強面な喫茶店のマスターは全く同じジュースを、いつも大体同じ量入れて持ってくる。ついでにいつもと同じ、ベーコンエッグサンドイッチも。同じストローをどの席にもついている棚から取り、いつも同じ手順──ジュースを一口飲んで、サンドイッチを二口ほど頬張り、口からなくなってからジュースを半分ほどまで飲む。それからは自由──で平らげる。学校帰りの、同じだらけの自分の楽しみ。まぁ、そんな私には、何もかも同じ、なんて言える姉妹も兄弟も、恋人だっていないわけだけど。


今日も同じように、席について、マスターに声をかける。


「マスター、いつもの」


「少々お待ちを」


いつも通り耳に心地好い低音を残して、マスターは店の奥へと移動する。前までは右手でこれとこれと、って頼んでたもんだ。私もすっかり顔馴染みなんだよな。

私はこのマスターが好きだ。恋愛感情というアレではなく、気に入っている方で。強面ではあるが、店を出て、店の玄関の近くにある鉢植えの草花に水をやっている。その時の表情が優しげで、元気になれよ、と言いながら水をやる姿は、可愛いとさえ思った。

待つ間は暇。ケータイも、携帯ゲーム機も持ってない。ぼけーっとカウンター席から、目の前に広がる、誰もいない天然の静物画を、私はまるで絵の中にいるように見つめている。

ふと、目にとまった。


「カレンダーに、印?」


いつもは何の文字はおろか、線すら引かれてないカレンダーに、珍しく印がついていたのだ。あの強面に釣り合わない感じの、丸っこくて可愛らしいきらきら星のマーク。他には何も書かれておらず、ただそのマークだけが、その日を表す数字を強調するように囲んでいた。


「お待たせしました」


「ありがとうマスター。ところで、ひとつ聞いていい?」


「なんでしょう?」


「あの、カレンダーの印なんだけど」


ただでさえ強面のマスターが、さらに年老いた歴戦の勇士とでもいうような、玉鋼のように硬い表情に切り替わって、かなり驚いた。というか、むしろ怖かったというか。


「……本当に、聞きたいですか?」


いや、怖いわ。

マスター自身もその顔はわかってるはずだけど、それ抜きにしてもその台詞は怖いわ。その低い声だと尚更。

でも、気になった。学生生活で初めて気になったのだ。退屈から抜け出せる、ちょっとした隙間を見つけられたのは初めてだったし。聞かなきゃと心の底から思った。


「そりゃ、聞きたいですけど」


勇気を出して正直に答えたら、マスターは、わかりました、と身の上話をしてくれた。




かなり昔のことです。

私も貴方ぐらいの頃には恋をしたものでして。相手はなんと言いますか、からっとしたひとでした。表情もあまり変わらず、それでも時々見せる笑顔が好きだった。その瞬間は、桜という名がぴったりだと思えるのです。

その頃から私は少し老け顔でしてね、それでもあのひとは私をからかいもせず、普通に友人として接してくれたのです。私はそれで満足でした。その頃は、叶わぬ恋だろうと諦めていたもので。

一人で弁当を食べようとしているところを、他の男子や女子を連れて誘ってくれたこともありました。誘いに乗ることも、気分によっては一人で食べたいと思うこともありましたけどね。でも皆で食べる弁当というのは、私には性に合っていたようでして。

でもまぁ、そういう尊い時間っていうのは長くは続かないものです。普通に学校へ通うって時でも大抵三年程度で終わるものだ。でもそれよりもずっと早く終わってしまった。

亡くなったんですよ、彼女。

呆気ないものでした。

猫を助けて轢かれてしまった、と。それだけならまだ良かったかもしれないのに、腕が片方潰れて、肉ごと分離してしまって。死因は失血死でした。運転手は轢き逃げで逮捕されましたが、周りに人がいなかったんです。救急車を呼ぶのに一歩遅れたのがまずかったと聞きました。

その頃の私はそれを聞いて憤慨しましたね。やはり皆、自分のことしか考えてないのだ、と。運転手への怒り、周りに誰もいなかったことへの絶望、亡くなった後に浮き上がってきた周りの黒い噂。もう沢山でした。

母親と父親に頼んで、引っ越しました。こんなものを聞き続ける人生など真っ平御免だ、誰も信用ならない、と思っていました。両親は引っ越すのも金がかかって大変だが、お前が辛いのなら、と了承してくれました。

それからは引っ越した先で、小さいレストランを始めたんです。田舎だったからでしょうか、始めた当初はお客様も少なかったが、すぐに繁盛し始めて。店で何が起きたかは関係ないので割愛しますが。

それで、ですね。両親は自分が三十路辺りの頃に亡くなってしまって。二人とも同じ病に倒れて、同じ病院で亡くなったと聞きました。どこまでも仲が良い二人だった。奇しくも、両親の命日は、あのひとと同じだったんです。

二人が亡くなって、レストランが経営出来なくなってしまった頃、私は会社を辞めて、両親の遺産でレストランを改築することにしました。空間は広めで、ゆったり出来る喫茶店にしたんです。それが、この店なんですよ。不思議なのは、改築が終わったのが両親とあのひとの命日と完全に重なったことなんです。奇跡だと思いました。

未だにこの店が続けられるのも、両親とあのひとが見守ってくれているからなのかもしれませんね。



「……長々と話してしまった、申し訳ございません」


「あっ、いや…私もそんな話させて…」


「ああ、大丈夫ですよ。むしろ嬉しいぐらいです。こういう話を出来る相手というのは今まで二人程度しかいなかったものだから」


家族を失って、誰も信用できなくなって。元から友達も少ないようだし。好きな人のそんな噂聞きたくないもんね。

というか、そっか。この人、寂しかったんだ。

だからきっと、私が常連として数えられてるんだ。店に私だけのことも多いし、しょっちゅう来てるのは私ぐらいみたいだし。


ストローをくわえて、ジュースを飲んで。色々考えてたら、ジュースを先に全部飲んでしまった。いつも通りが崩れた。思ったよりあっけなく。


「…マスター、ジュースのおかわりできる?」


「かしこまりました」


私の飲んだ後のカップを持って、マスターは店の奥へと消えていった。




不思議な少女だ。

私の店に来てから、いつも変わらない食事と、食事の仕方をする。今日は違ったが。

いや、それは私の店も同じか…?

改築してから、ここには何処か常識とは少し離れた人々が現れる。

この前にたまたま来た人は、両目の色が違う方だった。カラーコンタクトですか、と聞くとそうではない、と返ってきた。コスプレとやらをして、そのまま来たのか、と思っていたが、そのお客様はそもそも、右手が黒く揺らめく何かに覆われていた。

そのまた前に来た人は、両耳がとんがっていて、身体が黒かった。海に行かれたのですか、と聞くと海には行ったことがない、と返ってきた。ずっと森の中にこもっていたが、都市開発で住めなくなった、と。

あの少女も、そういう類なのだろうか。少女の為のジュースを注ぎ、持っていく。


「お待たせしました」


「ありがとう、マスター」


今日は本当に客足が少ない。追加で何か頼む必要も無さそうだから静かに佇んでいる。

彼女はいつも片手で食事をしている。かなり大きな制服の袖は手を完全に覆い隠していて、食べる時は腕を天に向けて、袖が萎むのを待ってから食べ始めるのだ。その様子は慣れてしまえば小動物を可愛いと感じるような感覚で見られる。ただ、そのおかげで少し冷めてしまうサンドイッチを頬張らせるのが、少し残念だった。


……もしかして、なのだが。

もしかして、彼女もこの店に招かれた方なのだろうか。どうにもこの店は不思議だから。改築はかなり前の話だ、もしかすると、店を作る材料に、何か不思議な力でも込められていたのかもしれない。神力とか、霊力とか、魔力とか、そういうものが。


正直、無粋な予測をしてしまうのだ。

何故彼女は、左の腕を見せない?


「……あの、すみません」


「ん、マスターから質問とは珍しいな」


「ずっと気になっていたのですが、どうして左の腕を使わないのです?」


「……んー…マスターもそれ聞いちゃうか」


「ええ……気になっていたもので」


「じゃあ、見せようかな」


そう言って彼女は、左の腕を………いや、なんだと?本当に予測が当たってしまった。完全に、そこにある筈の腕はぽっかりと消えている。肘の関節から先がない。切断面は綺麗に施術されて、傷が閉じている。


「皆怖がったり、要らない心配してきたりするから隠してたんだけどね。マスターには見せるよ、さっきの話のお礼…にしては、ちょっと衝撃的かもだけどね」


「いえ……今の貴方よりも衝撃的な方はよく来られますので」


「例えば?」


「火星人ですかね」


「うははっ、なにそれ」


ケラケラと笑う彼女の左腕は、元から無いかのような雰囲気さえある。それでも、何も変わらずに彼女はいつも通りに食べ始めた。


「……少し、失礼します」


そう一言残して、店の奥へと入る。もしかして、もしかするかもしれないのだ。もしも違っていたとしても、せめて話をさせてくれたお礼という形で。


小さめのパンケーキを二つ焼く。焼き上がったら、チョコレートをかける。

最後に、桜を象ったクッキーを二つ乗せた。

有り合わせのものでしか用意ができなかったが、気持ちは充分に込めた。


「……どうぞ」


「ありゃ、頼んでないはずだけどな…ってこれメニューにもないやつじゃない?試作のスイーツ?」


「いえ……お礼です」


「お礼?」


首を傾げるのも当然だ。もしかすると、私の今から伝える言葉は、妄言になるかもしれないのだから。


「……貴方、桜さんですよね」


彼女はそれを聞いて、一瞬だけ、サンドイッチを食べる手を止めた。目線を上へ、右へと逸らす。


「先程も言った通り、この店には不思議な方がよく来るのです。火星人が来た、というのも、本当の事なのですよ。それで、少し…少し、変な推測をしたのです。貴方はもしかすると、幽霊なのかもしれない、と」


「…それで?」


「もし、これが完全な間違いなら、そのパンケーキは先程の話をさせてくれた礼として受け取ってください。……彼女と、両親の命日まで、あと一週間。少しばかり早いですが、私なりの供養の真似事です。それと、日頃の感謝も」


「なるほど、なるほどねぇ……」


うんうん、と頷く彼女を見て、間違いだったか、と感じた。この少女は優しい子だ。きっと気遣ってくれているに違いない。心做しか、自分も気弱になっている。


「………ねー、普通さ、そういうのって誕生日とかにするやつじゃない?」


それもそうだなぁ、と思った。命日にケーキは、やはりまずかったか。


「私としては、そっちの方が嬉しいんだけどな、環くん」


「……その、名は」


「当たってるよ、私は桜。自分の名前は覚えてたし、君のことも覚えてたんだけどねー、死んだってこと完全に忘れてたや!」


たはー、と困り眉の笑顔で、彼女は話し始めた。




いやね、きっと本当は死んだことは知ってたんだよ。意識が消えて、身体が魂を掴み続けられなくなって、って。たまたま彷徨ってたら、いつの間にかこの店に来てたんだ。初めて入ったのがその時だった。だから実際、私に黒い噂があるなんて全然知らなかったの。まぁそんな感じで、ここに入り浸るようになって。きっとその頃から、いつの間にか普通に街の住人だと自分を認識してたんだろうね。話しかけたら普通に友達同士で会話してたりしたしさ。多分その場所は天国かなんかだったんだろうけど。

そんな感じで、ここで食べたりして。同じことを繰り返すのもなんでかなーと思ってたけど、残ってる拠り所が環くんしかいなかったんだろうね。地縛霊みたいな。同じことを繰り返して、日常会話したりしてるうちに、あの世とこの世の認識が混ざり始めて、それで自分が死んだことを忘れちゃったんだ。きっと、忘れる前の私は、未練タラタラだっただろうから。




「まぁそんな感じで、ここによく来るようになったのだ!」


「意外とノリは変わらないですね」


「そりゃそーよ、死んでも死んだ瞬間の自分から変わらないよ」


妙に安心している自分がいた。


こうやって話して、お互いに理解を深めて。


私は幸せだ。会えなくなったと思ったら、こうやって不思議な形で会えたのだから。


「マスター、ありがとうね。パンケーキ美味しかった。お代は……」


「いえ、今日は全部サービスしますよ。こちらこそ、桜さんと話ができてよかった」


「おっ、そっか!いやー太っ腹だなー」


「もうお代は貰ったようなものですからね」




店を出る支度をする。成仏する訳じゃなく、ただ帰るだけだ。また行く時のお金、あるといいんだけど。


「また話そうよ、色々とさ」


店を片付ける準備をする。きっとまた会うことになる。次はまた、別の料理でも出してみようか。


「また、お越し下さいませ」

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