■第8話 プリンセスメイデル(2)


●2


『フランヌが君たちのパーティに加わっていることを、僕が気付かないとでも?』


 溶岩の湖で鎌首をもたげる巨蛇ヨルムンガンドの口内で、上半身だけのフランヌがしゃべる。


 彼女はキメラだ。もうアンデッドではないが、その性質を利用されたか。

 無理矢理巨蛇と融合され、ここで囚われの身となっていたのだ。

 ……俺たちが追跡してくるだろうと、完全に見抜いて。


 そして今、フランヌはただのゼロの伝言係としてだけ機能する。


『用済みで始末するだけだったが、それは君たちに任せよう。合理的だろう? なにせ僕は忙しいからね』


 腕に獅子の頭などをくっつけていたときは、フランヌの支配力の方が勝っていたのだろう。しかし今はその相手が強大なヨルムンガンドであり、フランヌはまともに動くこともできないようだ。

 ただ巨蛇の舌に張り付いて、苦しげにゼロの口調でしゃべり続ける。


『もっとも君たちが全滅すると僕は思うけどね。わざわざ僕を追いかけに来た邪魔者には、ここで死んでもらうよ』

「ふざけるんじゃないってのーーーー!!」


 湖岸にいる俺たちの中で、マリアが負けじと大声を張り上げた。


「これが罠だってのはわかったよ! でも、このアタシがそう簡単にやられると思ってんの? 勇者よ、勇者! あんたを捕まえるためにっ、この世界で倒すために、特別な力を備えて来たんだからねっ!」

『そうだね。勇者だなんて、ほんと僕の邪魔でしかないよ。……だけど面白いよね』


 くく、とゼロはフランヌを無理矢理笑わせた。


『つまりは僕が、倒されるべき魔王ってわけだ。魔王……いい響きだ。そう、この世界を破壊する僕にふさわしいね! あはははは!』

「魔王? な、なぜですか!」


 女神が一歩前に出た。

 何をする気だ? と思ったら、巨蛇の口にいるフランヌに向かって両手を広げた。


「世界の破壊なんて、罪深すぎますわ! そんなことしてはいけません、絶対に!」

『なんだ? ……宗教家かい?』

「わたくしは白の女神シルヴィーナですわ! この『エムブリヲ』世界を守護し、愛する者です! だからあなたに命じます。今すぐに悔い改めなさいっ!」


 女神は大きすぎる胸を揺らして言い放った。


 あまりに堂々としているため、ゼロもあっけにとられたか。フランヌがしばし黙る。

 だがもちろん、こんな説得に効果があるものか。


『「エムブリヲ」……その意味は「繭」だったっけ。本当にこの世界はよくできているよ。この繭の中は細かいところまで作り込まれていて、僕にたてつこうとするキャラもこうして出てくるんだからね。いい世界だ。……だからこそ、食い破るにふさわしい繭だよ! あはははははは!』


 ゼロがフランヌをげらげら笑わせた。


『この繭の中で僕は変態するんだ! 世界を、すべてを作り替えてやる! そう、さながら繭から羽化するかのようにね!』


 ……フランヌを通しても狂気が伝わってくる。

 意味がわからない。この世界を好きに作り替えるために、わざわざ自分の肉体ごと、ゲーム世界にやって来たのか?


 いや、俺みたいなヒキコモリなら理解できる。現実はクソで、この世界だけがすべてだからだ。しかしゼロはリアル世界では優秀で、地位も名誉も金もあったはずだろう?

 なのになぜ、ここまでこだわる? 支配願望がある?


 頭のいいヤツにしかわからない何かがあるのかもしれないが……。


「まったく。だから、どうした?」


 マリアや女神、ポルテは言葉を失っていたが、代わりに俺が口を開いた。

 決定的に許せないことがあったからだ。


「『エムブリヲ』を破壊する、だと? ふざけるな。ここはな、俺のものだ。俺が人生のすべてを捧げてきた世界だ! お前ごときに、好きに作り替えさせるものか」

『うん? 君は……?』


 フランヌの目を通し、ようやくゼロが俺を見たか。


『ああ、そうか。白魔道士{ヒーラー}の君もいたんだね。でも、どうするんだい? ……ここは巨獣、ヨルムンガンドの胃袋の中だよ!』

「え? い、胃袋、ですか?」


 ポルテが動揺する。


『そう! この空間すべてがヨルムンガンドというわけさ!』


 巨蛇の体がくねり、溶岩の湖のあちこちからいきなり火柱が噴き上がった。熱波が空間の端に立つ俺たちのHPを、また【4ダメージ】【3ダメージ】と削っていく。


『ここで焼かれて、溶けて死ぬがいい! あはははははは!』

「知ってる。そういう設定だからな」

『……へえ?』

「そう、ここだけじゃない。このダンジョンそのものがヨルムンガンドの体内だ。だからこそダンジョンのくせに、定期的に移動する。そんなことは最初からわかってるんだ。それくらいで調子に乗るなよ」

「ええっ!? クライ、あなた……ご存じだったのですか!」

「ちょっとクライくんー! 早く言ってよ!」


 女神とマリアが非難するが、知ったことか。


「別に。どのみちここに潜るより他に方法はなかっただろ?」


 説明するだけ時間の無駄だ。

 フランヌの居場所がこちらに見えていることも、ばれているかもとは思っていた。


「だが、倒せばいい。ダンジョンすべてが魔物であっても、こいつの頭はそこにある」


 俺はフランヌの体が呑まれた、巨大な蛇を指さした。


「俺の誤算はゼロがここにいないということだけだ。あれだけの力を持っているのに自分は姿を見せないとか、そこまで腰抜けだとは思っていなかった。買いかぶりすぎたな」

『な……?』


 フランヌの目が大きく見開かれる。


 さあ、どうする? ……ゼロは転移魔法が使える。

 挑発に乗ってここに跳んでくるなら、それもありだが。


『そうか、君。ああ、うまいね。僕を誘っているつもりなんだろ? おあいにく様。言ったろ、僕は忙しいんだ。この繭の中を改変するため、いろんなことをしなくちゃいけない。だから……勝手にやられちゃってよ。じゃあね!』


 がくん、といきなりフランヌの体が倒れた。


「ああっ、ダメえ! フランヌちゃんの中に、こいつが流れ込んできてっ、あーーー!」


 次にほとばしったのは、フランヌ自身の苦悶の声だ。


「食いたい、クイタイクイタイクイタイイイイイイイ!!」

『ゴボバアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 巨蛇の喉の奥からも凄まじい咆吼が漏れ、舌の上にいるフランヌの白い髪を乱した。

 そしてゆっくりと、巨蛇が俺たちの方へと迫ってくる!


 ゼロの語りが終わり、ついにボス戦が始まったのだ。まずは溶岩が波打ち、津波となって本体より先に、湖岸に立つ俺たちのもとへと押し迫る。

 こいつは回避するしかない!


「きゃーーーーーー!」

「女神様っ、こっちへ走るですよ!」


 慌てふためく女神をポルテが引っ張り、湖岸沿いに走り出した俺の後ろについてきた。


 マリアは1人、反対側に走る。数秒後、俺たちがさっきまでいた場所は、灼熱の炎によって一瞬で焼き尽くされていた。

 いわばヨルムンガンドの範囲攻撃というわけだが、こんなものそうそう食らうかよ。


「って、頭さえ潰せばいいんでしょ? 勇者の力、見せてあげる! はああああっ!」


 大剣に光の刃を纏わせて、マリアが溶岩の湖へと跳んだ。

 もちろん着地を決めるのは、そこに浮かぶ岩の足場だ。不規則に動き、ときには重なり合ったり沈んだりするそれらの上を移動して、マリアは巨蛇へと近づいていく。


 これがヨルムンガンドの攻略法だ。時折溶岩が火を噴くが、マリアは素早く回避してみせる。鮮やかなものだ。

 だが、俺は違和感を覚えていた。マリアは勇者だ。「光の牙」を振るえば、圧倒的な攻撃力{ATK}で巨蛇にも大ダメージを与えるだろう。

 確かにヨルムンガンドは5万近いHPを持つ、強大な魔物だ。それでもチート職である勇者を相手にするには、力不足のはずだが……。


 その疑問が俺に、ある仕掛けの前兆を気付かせた。大空間のドーム型天井が、いつしか深紅に焼けていた。それはやがてとろけて、一斉に落ちてくる。


「上だ、マリア!」


 まるで溶岩の雨だ。俺の叫びで、えっとマリアが上を仰ぐが、そのときには湖のすべてが灼熱に染まる。

 マリアが避けることはできなかった。


「嘘っ……ま、【魔法障壁{マジックバリア}】ーーーー!!」


 とっさに防御魔法を発動させるが、物理攻撃の前には無意味だった。

 展開した光の壁ごと呑み込まれ、ダメージ数値が連続して彼女を貫く。


【2065ダメージ】【1906ダメージ】【1953ダメージ】【2101ダメージ】【1988ダメージ】


 マリアは悲鳴も上げられなかった。


 叩き込まれた合計ダメージは、冒険者の持てる最大HP値を超えるものだ。

 HP8000のマリアももちろん耐えきれない。湖岸に残る俺たちの前で、マリアの体は炎に包まれ、人の形をした消し炭と化した。真っ黒な手足がぼろりともげ、溶岩の水面に倒れ込み、あっという間に呑まれて消える。


【勇者マリアが死亡した】


 決定的な表示が出た。


 これか……。俺は驚愕する。ゼロは巨蛇の頭にフランヌを仕込むだけじゃなく、この空間そのものに即死級の罠{トラップ}を仕掛けていたのだ。


「そんな……勇者様が、勇者様があっ!」


 ポルテが絶望にツインテール頭を振り乱した。


「あ、あ、あ……。い、いやあああああああああっ!!」


 翼を震わせた女神が絶叫とともに、涙を散らした。

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