■第3話 薬師イオリ (5)

●5


 すっかり日は落ちて植物園にも夜が来る。


 しかし俺とイオリのいる大樹のうろの中は、外からの光にそっと照らされていた。

 城からのものではなく、植えられた植物の中に葉や種子を光らせるものがあるのだ。


「この景色、あたし好きなんです……静かで、きれいで」


 体力が尽きて俺に裸でくっついたまま寝そべるイオリが、外を眺めて呟いた。


「あ、でもただきれいってだけじゃないんですよ? ちゃんとみんなが育ってるのがよくわかって、薬師として嬉しいんです。ふふ」

「……ああ、そうだな。この植物園はイオリの手入れが行き届いている」


 薬草や毒消し草が青々と育っていたのを俺も見ていた。


「お前は優秀な薬師だな、イオリ」

「えっ。……クライさん……」


 ぎゅっとイオリが抱きついてきた。


「あたし、そんなこと言われたの、初めてですよう……。このお仕事も、先代の師匠から受け継いだだけで、認められたことなんてなくて」

「うん? でもアンジェリカが言ってたが……城には治癒魔法の使い手がいないから、治療は薬草頼みなんだろ?」


 俺は魔法で癒やしたアンジェリカの傷跡を思い出す。アイテムだと跡は残るようだが、傷を塞ぐぶんには問題がない。

 回復目的ならそれで事足りるから、俺みたいな白魔道士{ヒーラー}は不人気職なんだよな。


「はい……お城の皆さんに薬草を供給するのが、私の主な役目なんです」

「なら、十分役に立っているだろ。もっと胸を張ればいい」

「あ、は、はいっ。あたし、がんばってみますね。……ううん」


 ちゅっ、とイオリが俺にキスしてきた。


「クライさんが身も心も、あたしを変えてくれました。だからあたし、きっとがんばれると思うんです。クライさんみたいに……」

「そうか」


 イオリの吐息がくすぐったい。何度も出して硬さを失っていた一物が、むくりと頭をもたげてきた。

 もう一戦するか、とイオリを抱き寄せようとしたが……。


「イオリ様、お食事をお持ちしました。こちらにおいでですか?」


 外からそんな声がかかった。


 誰だ? と2人で身を起こし、うろから少し顔を出す。

 大樹の下でこっちを見上げていたのは、メイドの1人のようだ。傍らには小型のワゴンがあり、お茶のポットなどが載っていた。


 しかしメイドは顔を見せた俺たちにぎょっとした。

 いきなり小顔になったイオリに驚いた……というよりは、一緒に俺がいたことに面食らったようだ。


「あなたは、白魔道士{ヒーラー}様! こんなところにいらっしゃったのですか? お仲間のドワーフ様が捜しておいででしたよ!」

「ん? ……ポルテのことか?」

「はい。騎士アンジェリカ様がお呼びだそうで……今は白の女神様とともに、姫様と会食中です」


 つまり……食事の場に女神を連れて行けば、姫も会うのを断れないというわけか。

 俺はアンジェリカの策を見抜き、脱いでいた服に手をかけた。


「すぐ行く。少し、用を終えてからな」

「はい、ではそのようにお伝えしてきます」


 メイドがワゴンを置いたまま慌てて立ち去るが、そうだ……俺にはまだ用があった。


「イオリ。報酬、いただいていくぞ」

「あ……は、はい」


 2人で服を着て、うろから出て大樹の下に下りてくる。

 そこで俺はHイベント攻略の褒美をもらうことにした。とっくに【契約依頼が果たされました】の文字は出ていたしな。


 いただくものはもう決まっている。

 俺はあの、葉の裏にびっしりと黒い種をつけた植物を指さした。


「欲しいのはこれだ。いいな?」

「えっ、でもそれは、クライさん! 危険ですよ!?」

「……扱い方は知ってる」


 これが何か、もな。だからこそ欲しいのだ。

 俺の攻撃力{ATK}不足を補う手段としてな。


          ◇


「ご主人様!」


 引き返してきたメイドに連れられ城内に戻ると、ポルテが俺を見つけてやってきた。

 しかし彼女は真っ先に頭を下げる。


「ごめんなさいです……ポルテは、ご主人様の言いつけを守れなかったです……」

「言いつけ? ああ」


 女神を捕まえておけ、か。

 たぶん部屋に来たアンジェリカにでも邪魔をされたのだろう。


「別にいい。それより、どうなってる?」

「あ、は、はいです! 会食はもう終わったみたいですけども……」


 ポルテが示した先に、扉のない開放的な空間があった。


 中庭に面した華やかな大食堂だ。

 本来はパーティでも催せる場所なのだろう。天井は高く、足下には豪華な刺繍の施された絨毯が敷かれていた。

 そこに大きな長机が並び、一番奥に姫と女神の姿があった。

 さらに列席する大臣どももいて、側にはやはり護衛の騎士たちが立っている。


 だがポルテの言うとおり、もう食事は終わったようだ。メイドたちが皿を下げ、机には蝋燭の炎を灯す銀の燭台があるのみだ。


 しまった、食べ損ねたか。

 まあいい。今のところST値に余裕はあるしな。


「クライ! まったくもう、あなたという人は今までどこにいたのですか!?」


 やって来た俺に女神が声をかける。


「よかった、クライ! 今ちょうど依頼についての再検討を始めていたところよ。……キミもどうか、参加して」

「ええい、しつこいぞアンジェ!!」


 さらに騎士たちとともに鎧を着込んで立っていたアンジェリカも声を上げたが、激しい怒声に掻き消された。

 怒鳴ったのはあの、獅子のごとき風貌の騎士隊長である。


「検討など無駄だ! 姫……僭越ながら魔物討伐の役目はこのような者ではなく、ぜひこのゴルドラにお任せを!」


 ゴルドラ……確かそんな名前のキャラだったな。

 いちいち突っかかってくるのは気にくわないが、そういう堅苦しい役目のNPCだ。彼は片膝をつき槍を抱いて、姫に向かって懇願する。


「討伐隊を編成する許可をいただければ、必ずやゴルドラが国に巣くった魔の勢力を退けてみせましょうぞ!」

「おお、さすがはゴルドラ隊長」

「よう言うてくれた!」


 すぐに大臣どもが賞賛する。


 ふむ、と姫も頷いた。


「確かにそなたの言うとおり、余の騎士たちの力は信ずるに値するものであるな」

「お、お待ちください、姫様!!」


 けれどもアンジェリカが口を挟む。


「それでもここにおられるクライ殿の力は圧倒的でした! 助力を乞えば間違いなくこの国のためになってくれると、私は信じています!!」

「姫の意に口出しするとは、アンジェ……懲罰は覚悟できているのだろうな」

「いいえ、それでも引かないわ隊長! 私はこの目で彼の強さを見てきたのだから!」


 ゴルドラにたしなめられてもアンジェリカはなお食い下がった。


「クライの戦いぶりは本当に、格が違ったの! だからこそ私も窮地を救われたんです!」

「貴様の報告書は読んだ! いかな女神様の加護があろうとも、白魔道士{ヒーラー}1人に助けられるとは……愚か者め! 鍛錬が足らぬからそういうことになるのだ。一から鍛え直せ、アンジェ!!」

「うぅ、それは……!」


 痛いところを突かれたようで、アンジェリカが黙らされた。

 だが、愚かなのはどっちだ?


「バカが」


 俺は簡潔に罵倒していた。


 今度は言葉を失ったのは騎士隊長の方だった。


「なっ……今の、このオレに言ったのか!?」


 つい本音が漏れたか。ものすごい目つきでゴルドラに睨まれた。


 だがむかついているのはこっちだ。

 二度も、白魔道士{ヒーラー}風情と侮ったな?


「……人の話を聞けない脳筋なら、力でねじ伏せれば思い知るか? 俺と戦え、騎士隊長ゴルドラ」

「ク、クライ!!」

「クライ! あなた、なにを言い出すのですか!?」


 アンジェリカと女神が慌て、大臣たちも一斉にざわついた。


「こうすればバカでもわかる」

「はいです! さすがはご主人様!」


 はしゃぐのはポルテくらいだ。


 いや、もう1人いた。


「ほう。面白い」


 口元に笑みを浮かべたメイデル姫が俺を見つめた。


「いかに言葉を重ねようと、目の前で起こる真実には敵わぬもの。このメイデル、そなたがゴルドラに勝利した暁には、依頼契約を結ぶと約束しよう。まあ報酬額は……国庫を預かる大臣たちの意見も取り入れ、少し下げてもらう必要はあるだろうがな」

「姫! 戯れ言が過ぎますぞ……! このゴルドラが白魔道士{ヒーラー}1人に劣るはずもありませぬ!!」


 ゴルドラが持っていた槍で床を突き、絨毯の上にもかかわらず重い音を響かせた。


「我が槍で一撃のもとに叩き伏せ、この国から追い出してやりましょう!」


 わっと大臣どもが沸く。


 青ざめて俺のもとに駆け寄ったのはアンジェリカだった。


「クライ! 隊長は騎士の中の騎士、『ロイヤルナイト』の称号を持つ方よ!? キミの強さは知ってるけど、でも一騎討ちだなんて、無事じゃ済まないわ……!」

「アンジェリカ、交渉は俺の役目だったはずだ」

「…………!!」

「これが一番簡単だ」

「キミ……もうっ」


 アンジェリカは俺の手を取り、ぎゅっと強く握りしめた。


「私はこの国の騎士で、本来ならば隊長を応援しなければならない立場よ。でも……どうか女神様の加護のあらんことを」

「女神ねえ」


 息がかかる距離で泣きそうな顔をしているアンジェリカを直視できず、俺はシルヴィーナに目を向ける。


 その女神は姫の前でおろおろしているだけだった。


「あの、メイデル姫? わたくし、争いごとは好まないのですが……」

「今更止められぬよ、女神様。愚かで野蛮な行為だとお思いだろうが、余はこれが人の有りようだと考える。どちらが勝つか見守ろうではないか」

「いえ、わたくし……心配なのですわ! あのクライのことです、きっと容赦ない手を使ってくるはずですもの! ええ!」

「ほう、さすがは女神様。自身の従者をそこまで信頼しているとは」

「ええっ!? そ、そういうのではなくて……!」

「ゴルドラよ、手加減は無用だ。薬師イオリも待機させよう。存分に戦うがよいぞ」


 姫が命じれば、「はっ!」とゴルドラが頭を下げた。


「この槍はメイデル姫と、我が王国のために!」

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