■第2話 王国騎士アンジェリカ (1)

●1



 眠るたびに俺を襲うのは、目を覚ませばいつものアパートで、39歳の自分に戻っているのでは? という不安だ。

 けれども今日も瞼を開ければ、世界は『エムブリヲ』のままだった。


【7hの休息を取りました。HP・MP完全回復です】


 空中にそんな表示が現れて消える。

 長椅子を寄せ集めてつくった寝床で身を起こすのは、初期装備の白のローブを着た白魔道士{ヒーラー}の俺だ。


 ここは白の神殿内の、礼拝堂の中だった。

 黒スライムの暴れた痕跡も生々しい中庭側から、朝の光が入ってくる。


「……3回目の、『エムブリヲ』異世界の朝日だな」


 白魔道士{ヒーラー}に転生を果たして、早くも3日が過ぎていた。

 しかし俺はまだこうして白の神殿にいた。

 結界がなくなり、いつ旅立ってもいいのだが……慌てて冒険に出る理由もない。

 それよりいろいろ試しておくことがあった。


 勝手に幻想だと断定したこの世界だが、それがどこまで『エムブリヲ』まんまなのか徹底的に検証したのだ。

 休息を取る時間も細かく変えてみたが、1hあたり15%回復するのは同様だった。


 黒スライムの食い残した書庫の本にも目を通し、読める範囲でチュートリアルも確認してみた。知らない文字で書かれていたが、ちゃんと読めた。

 ステータスによる治癒魔法の回復量の補正や、消費MPの値もたぶん同じだ。


 それと「ST{スタミナ}ゲージ」もきちんと搭載されていた。

 何かしら行動するたびに減少する、ステータスとは別になった数値だ。


【ST:■■■■■■■□□□74%】


 指にはめた勇気のリングに触れれば、ゲージの残りを確認できる。

 休息を取ってもST{スタミナ}は回復しない。

 回復手段は何かしら食事を取ることのみだ。0になればどんなにレベルが高い冒険者でも餓死に向かってHPが減っていくので、注意が必要な数値だった。


 幸い神殿の倉庫には供物の食料がいくらかあり、食べるものには困らなかった。

 ただ、試しにわざとST{スタミナ}を0近くまで減らしてみてわかったことがある。

 感じたのはものすごい空腹だ。


 この世界はゲーム同様、各種数値に満ちているが、数字を見なくともいろいろ実感できるらしい。

 ただし排泄機能は実装されていないようで、トイレに行く必要はなかったが。


「VR版『エムブリヲ』とか、正統進化{アップデート}版という感じで考えればいいのか。体も汗は掻くが……汚れないんだよな」


 俺は寝起きの自分の体臭を嗅ぐ。無臭だ。

 ローブの下に着る服がべたつく感覚もない。礼拝堂の中央には天井から落ちてくる小さな滝がつくられていて、そこで顔を洗えば、さっぱりと気持ちよくはあるのだが。


「そうか。つまりアナログと、デジタルだな」


 4日目にして俺はそんな結論に達した。差はあれど、味覚や触覚といった五感はちゃんとリアルなのだ。

 さすが俺のご褒美ターン、都合のいい幻想だ。


 ……ここまで来るとどこまでリアルなのか、あることを試してみたくなった。

 そのためには標的となる相手が必要なのだが……。


「さて、そろそろ頃合いのはずなんだがな」


 濡れた顔を腕で拭うと、俺は礼拝堂の外に向かおうとした。

 そのとき騒がしい声が聞こえた。


「わきゃああ!? なんですなんですー!?」

「ご主人様の言ってたとおりです。女神、捕まえたですよー!」

「や、やめなさいあなた! あーーっ、あれはなんでしょう!!」

「……ポルテはそういうのもう、二度と引っかからないですよ」

「あああ、だから、穢れますわあああ~~~!」


 中庭を挟んだ向こうにある、倉庫からのものだ。

 やっぱりか、と俺はにやつく。


 やがてドワーフ族の娘ポルテが、翼を欠損させた白の女神シルヴィーナを抱えて出てきた。中庭を突っ切り、真っ直ぐ俺のいる礼拝堂へとやって来る。

 黒スライムとの戦闘が終わり、お仕置きをした直後、女神はポルテの隙を突いて逃げたのだ。

 以来この3日間、ずっと姿を隠し続けてきた。

 しかし女神が神殿から外に出たとは考えにくい。


「俺たちに見つからないようにこそこそ隠れてたとは思ったが、やはりそうだったな」

「うう、う……もうわたくし、動けませええん……」


 ポルテがダブルサイズのベッドほどもある寝床に放り投げると、女神は横になったままへばった。敷いたシーツの上で起き上がることもできない。

 確信ができたのは、女神が姿を消した初日に、倉庫から食べ物がひとつ消えていたことだ。


「俺の読みどおり、堕神化して食事を必要とするようになったか。だからポルテには、食料のある倉庫をずっと見張っててもらったんだ」

「はいです。さすがです、ご主人様!」

「ううっ、わたくしのお腹が、お腹が変なんですわああ~~~! まさかこのわたくしが、食べないといけない体になるなんて……!」


 女神は完全にまいっていた。

 これなら交渉ができそうだ。


「さて、女神ならわかってると思うが、このまま空腹が続けばST{スタミナ}切れで最後は死ぬ」

「し、死ぬ!? 神であるこのわたくしが……!」

「もちろん『命の泉』がないんだから、転生も無理だろう。なら、回避する方法は食べることだけだ。ポルテ」

「はいです、ご主人様」


 仕草で指示を出しただけでポルテが倉庫へと引き返していった。今日のぶんの食料を取りに向かったのだ。


 そして女神と2人きりになった俺は、空中に「契約書」のウィンドウを呼び出した。


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【依頼契約】

履行者:白魔道士クライ

達成条件:アイテム食料「まんまるキノコ」×5の譲渡

成功報酬:白の女神シルヴィーナ×1

依頼署名:_____

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「な……なんですか、これはあ!」

「見たとおりだ。俺とあんたとで、個人間での契約を結ぼうってわけさ」


 【その他】の項目内に納められている契約書システムは、基本的には街にある「冒険者ギルド」から仕事の依頼を引き受ける際に使うものだ。

 しかし『エムブリヲ』ではプレイヤー同士の取引を成立させるため、個人での契約書作成が可能になっている。

 提示した条件を相手が承諾すれば、履行後に報酬が自動でやり取りされるのだ。


「報酬がわたくしになっているではありませんか!? いったいどういう……」

「スクロールしたら選択肢の中にあったぞ。さすがはR18仕様だな、うん」

「な、な、な……!?」


 というか『エムブリヲ』のHイベントは、クエスト報酬という形で行われるからな。

 そう、俺が試してみたいのは、この世界でのリアルなエロだ!


「面倒だからはっきり言うぞ。俺はあんたが欲しいんだ、白の女神シルヴィーナ」

「え、えっ?」

「あんたを抱きたい」


 いろいろ考えたのだが、こういう言い方しかできなかった。「コミュ障」を舐めるなよ。


 俺はとにかくセ※※スをしてみたかった。


 ……女神の胸を揉んだ、あのリアルな感触が忘れられない。魔性の巨乳だ。

 途中で逃げられたのでそれ以上のことはしていないが、たぶんきっと最後までできると思う。エロは『エムブリヲ』のウリだからな!


 女神は意味が理解できず寝転んだままぽかんとしていたが、やがて顔を真っ赤に染めた。


「な、なななっ、な……なにを言っているのですか、あなたはあああ!?」

「シルヴィーナ。あんたは世辞抜きで完璧な美女だ」

「ふえっ? ……それは、そ、そうですわ。ええ、神ですもの」

「俺はあんたほどの美人と出会ったことがない。それでいて胸がでかい。すごい。最高だ」

「あの。その褒め方はちょっと……」

「だから抱く。エロクエストをこなして、正式にな」


 ようやく起き上がった女神に向かい、俺は空中に浮かぶ契約書を突きつけた。

 赤くなっていた女神の顔が今度は一気に青ざめる。


「わたくしを……※すというのですか!? 女神を? ば、罰当たりですわー!」

「別に無理矢理するわけじゃあないからな」


 たぶん※※※しようと思えばできる。今の弱った女神なら、このまま襲いかかれば簡単だ。


 だが冗談じゃあない。


 俺は……童貞だ。自分で言うのもなんだが39年間こじらせてきた男だ。風俗に行くという道も選んでこなかった。

 だから童貞を失うなら、ちゃんとしたセ※※スがいい。

 だいたい※るだけなら奴隷となったポルテでも十分だ。


「ご主人様、ポルテではダメですか?」


 実際、女神を捕まえる算段を話したとき、ポルテの方からそう迫ってきた。

 けどな、ドワーフ族の彼女はどう見てもお子様だ。

 女神の巨乳を揉みしだいた後では、ナイチチすぎて悪いがどうにもそそられなかった。


 やはり俺の初めてはこの絶世の美女がいい。

 せっかくのご褒美ターンだしな、そこはこだわりたいところだ。


「これでも礼儀は尽くしてるつもりだ。嫌なら断ってかまわない」

「あっ! そうですわね、別にこんなの、わたくしがサインしなければいいだけで」


 ぐううう、と強烈な音がそのとき、女神の腹から鳴り響いた。

 女神がまた寝床に倒れ込む。


「うううう~~って、これ……わ、わたくしが拒めるような状況ではないように思えますけど!? クライ~~~!」

「さあな」


 俺はあえてはぐらかし、ただ待つことにする。

 どうやら女神とて空腹にはあらがえそうにない。契約書に署名するのも時間の問題だろう。

 事実、彼女の前に浮かんだままの契約書に、女神の手が弱々しく伸びていく。


「ご主人様あ~!」


 そこに中庭の向こうから、ポルテの声が届いた。

 どうやら倉庫で食料のまんまるキノコを確保できたか。

 こっちに来て実際に食べて初めて知ったが、やわらかな白パンのような食感のキノコだ。

 アイテムとしてはST{スタミナ}回復値の低い代物だが、神殿にはその程度のものしか食べ物がないのだから仕方がない。


 それでも女神との交渉材料には十分だ。

 女神の白い指先が、ついに署名欄に接触するところだった。


「お、奥の手ですわーーー!」


 だが女神が声を張り上げた。

 寝床の上で必死に起きて、彼女がむんずと掴んだのは、背中に残る5枚の翼のうちひとつだ。

 それが白く光ったかと思うと、いつぞやのように散華する。


「な……?」

「神の底力を、舐めないことですわ!!」


 俺の見ている前でなんと、空中に浮かぶ契約書が白く染まり、文面が変わった。

 飛び散った翼の羽が触れたとたん、一瞬で中身が書き換えられたのだ。


------------------------------

【依頼契約】

履行者:白魔道士クライ

達成条件:エムブリヲ世界の救済

成功報酬:白の女神シルヴィーナ×1

依頼署名:白の女神シルヴィーナ

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「こっ、これでどうですか! もう署名もしてしまいましたわああ!」

「なんだって? こんな、強制的に!?」


【契約が結ばれました】


 そんな文字まで現れて、契約書が輝きながら消滅していく。


 弱体化しても神は神か。

 女神の翼はまた1枚減り、4枚となっていた。つまりまだあと4回、奇跡が起こせるということだ。


 ……簡単に御せると思った俺が甘かったか。


「しかも成功報酬は、契約が果たされるまでの担保として、他の方法での入手ができなくなる……だったな」

「ええ! これであなたは世界を救うまでは、わたくしに手出しできません!」

「…………」

「でも、そ、それが果たされた暁にはこのシルヴィーナ……あなたに、その、わたくしの純潔を捧げると誓いますわ……! ほ、報酬ですもの、ええ」


 女神の決意に嘘はないのだろう。耳まで赤く染めて俺を見つめた。


「……もういい」

「へ? え?」

「契約による担保の保護が絶対なのは知っている。しかし、契約を達成しなくても俺にデメリットはないからな」

「そ、そんな! 世界を救わないと言うのですか、クライ!?」

「最初から俺にそんな気はない」


 正直どうでもいい。楽しめればいいんだよ、俺は。


 それに俺は白魔道士{ヒーラー}だ。

 治癒魔法のみでどうすればいいんだ? 怪我人をひたすら治療しまくるなんて勘弁だ。


「やりたければ自分で世界を救えばいいだろう。まだ神の力を残してるんだからな」

「今のわたくしに、そこまでの力はありませんわっ。だいたい、先のベルゼブブ・スライムさえ再封印できませんでしたわ……」


 そう言えば神殿の結界も消えたままだ。

 今回も契約文の一項目を書き換えたに過ぎないし、大きなことはできないのだろう。


「となると、ST{スタミナ}回復もできないってことか?」

「え? あああ、それっ、忘れてましたわあああ~~~!」


 空腹を抱えて女神が寝床に沈んだ。礼拝堂まで戻ってきたポルテへと、弱々しく手を伸ばす。

 だがそもそもドワーフ少女は、手に何も持っていなかった。


「ご主人様、ごめんなさいです」

「どうした? 食料は……」

「残っていたぶんが全部、腐っていたですよ。食べられないです」

「なに?」

「なっ、なんですって~~~! ああっ、もうダメです、わ……!」


 ポルテの報告に、ついに女神がぴくりとも動かなくなった。




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