■第1話 白魔道士クライ (1)
●1
「冒険者クライの魂よ。白の女神シルヴィーナの名の下に転生することを許可しますわ。さあ……新たな肉体にて目覚めなさい!」
その女の声が俺を呼び、無理矢理覚醒させられる。
俺はもう意識だけの存在ではなかった。
瞼を開けて飛び込んできたのは、真上にたゆたう不自然な水面だ。
「な、に?」
重力の法則を無視した光景に、俺はぎょっとさせられる。
それがなんなのか俺は知っていた。
「命の、泉……!?」
「はい、そのとおりですわ」
白い石のベッドに寝かされていた俺の側で、純白のドレス姿で微笑んでいた絶世の美女も見知った相手だ。
ゆるやかにウェーブしたピンク色の髪を後ろでまとめ、背中には6枚の純白の翼を持つ彼女は「白の女神」シルヴィーナ。
エメラルド色の瞳で、起き上がったばかりの俺をにこやかに見ている。
……信じられない!
だって彼女は実在しない。ゲーム世界『エムブリヲ』に登場する、再生と希望を司る架空の女神なのだから。
でも、なにもかも『エムブリヲ』と同じだった。
「こんなことって……俺は?」
俺の頭上に浮かぶのは、課金したプレイヤーが再生を果たすために通ってくる、直径3メートルほどの『命の泉』だ。
ここは泉のある、石造りの女神の神殿だった。
スタート時と死んでゲームをリスタートする際に、必ずプレイヤーが目覚める場所だ。
そして鏡のような泉の水面に映る俺は、スウェット姿の39歳ではなかった。
こざっぱりとした黒髪に、顔立ちは端正で目はルビーのように紅い。年齢も15、6歳くらいだろうか? ほっそりとした体つきだ。
それに白いローブを纏っていた。あれ……これは?
「黒魔術師{ソーサラー}じゃない?」
「ええ。かつて黒魔術師{ソーサラー}だったあなたはいませんわ。一度死んでわたくしの導きにより、こうして生き返ったのですから」
「生き返ったって……どうやって!?」
「神による奇跡ですわ」
きっぱりと女神が告げた。
いや、確かにゲーム上の設定ではそうなんだが。
でも俺は現実で死んだのに、ゲーム内で転生できた?
夢か幻か。
それでも……どっちだっていい! 俺は胸が熱くなり泣きそうになった。
死の間際に俺が見ている幻想であったとしても、ここはリアルになった『エムブリヲ』そのままだ。
すー、はー。俺の体はCGじゃないし、ちゃんと息もしていれば、触れた石のベッドの硬さや冷たさも感じられた。
これがいつまで続くものなのかはわからないが……。
「奇跡か! いいじゃないか……人生なにもかもうまくいかなかった俺への、ご褒美ターンか? はははっ!」
「今回は特別なのです」
俺を転生させた女神が語る。
「あなたはここより別の世界で死んでしまいましたわ。本来ならばあちらの理に従って、粛々と処理が為されるのですが……わたくしがそうはさせませんでした。あなたはこちらの世界で罪を犯しすぎたのですわ、クライ!」
「え?」
「忘れたとは言わせません。選ばれし転生者は、前世の記憶を受け継ぐものですわ。さあ自ら懺悔しなさい、前職黒魔術師{ソーサラー}であるあなたが犯してきた悪行の数々を!」
「悪行……?」
俺は石のベッドに腰掛けたまま少し考え込む。
「いや……え? 前職の不徳{カルマ}って、別に引き継ぎはしなかったはずだが……」
「そう、その不徳{カルマ}ですわ! あなたは業が深すぎたのです!」
不徳{カルマ}とは『エムブリヲ』では、他人からマナーが悪いと報告を受けたプレイヤーに加算されるポイントのことだ。
ただしプレイヤー側から数値が見えることはなく、一定レベルを超えると邪神の手先である魔物と同格の「闇」属性に堕とされて、賞金クエストの対象となる。
それが『エムブリヲ』の売りになったわけだが、要は、もめ事は基本的にプレイヤー間で片をつけさせるというだけだ。
「よく初心者狩りはやってたが、あんなのどのMMOでも挨拶代わりの通過儀礼だろう? だいたい俺は初心者に限らず、相手が誰でも突っかかってくるヤツは全部狩ったけどな」
「高額の賞金首になったというのに、反省はゼロですか!?」
「ああ、確かにしょっちゅう賞金クエストが起きて、何百回と他の連中に襲われたな。それも全部返り討ちにしたが」
「……おかげでこの世界の人口が一時期、極端に減少したのですわ! 罪深きゆゆしき事態です!」
「ええ? そうか、開発側からすると実働プレイヤー数が減るのはよくないか……?」
「それだけではありません!!」
女神が胸を揺らして怒る。
今更だがすごい巨乳だ。
メロンがふたつあるようで、俺は思わず見とれてしまう。
イラストでは見慣れていたが、リアルになるとここまで存在感があるとは……!
「聞いているのですか、クライ!」
「え? あー……他にもと言われると、あれか? ネットでも騒ぎになったヤツなら、もしかして『疫病事件』とか」
「そうです! あなたがダンジョンから持ち帰った病魔が、やはり何百何千という冒険者たちの命を奪ったのですわ!」
「人聞きが悪いな。文句は俺に倒された腹いせに、呪いのウィルスを放った魔物に言えよ」
あれは俺のせいじゃない。
だいたいあの呪いの病は、一定時間に連続ダメージを与えるという程度のものだ。しばらくすれば勝手に効果は切れるしな。
問題はプレイヤーからプレイヤーにも感染するということで……転送アイテムで街に帰還した俺から、たまたまパンデミックが起きただけだ。
でもな、その程度でHPが0になったのなら、レベルが低すぎたというだけだぞ。
さっさと課金転生して、今度は強くなればいい。
「どうせそれでやめるのは非課金どもだろ。課金勢には関係ないんだし、運営側にとってはむしろいい働きしたんじゃないか?」
「なにをごちゃごちゃと! あの後わたくし、この神殿が人でいっぱいになるほど転生させたのですわ! 大変でしたわー!」
「大盛況じゃないか」
今は閑散としているようだが、普段はまあこんなものか。
いや……ここが本当にゲームそのものなのか、そもそも疑問だしな。俺だけが見ている幻想なら、他にプレイヤーが転生してこないのも道理だ。
「あなたという人は! まったく反省の色が見られませんわ! もうひとつ、まだ大事件がありましたわね!?」
「大事件? なら、あれかな。『ボスキャラが街で大暴れ事件』か?」
「そうですわ!!」
「まああれは……確かに面白半分だったが」
ボス格の魔物との戦闘は、『エムブリヲ』では基本的に逃亡できない仕様だ。
だが例外があった。課金アイテムの使用だ。
ただそのアイテムを使っても、フィールド上をすぐ追いかけてきて再び戦闘に入る、というやっかいなボスもいた。
そいつはいったいどこまで追尾してくるのだろう? と興味を持った俺はある日、課金アイテムを使いまくって逃げ続けてみたのだ。
結果、そのボスはダンジョンの外にまで出てしまい……果ては街の中にも侵入を果たした。
他のプレイヤーたちは大騒ぎだ。
なにせ超巨大な魔神級の魔物が、近くにいる者たちに自動追尾の魔法攻撃を放ちながら、街を蹂躙していくのだから。
「おかげで大きな街がひとつ壊滅しましたわ! なんて恐ろしい!」
「まあ、街に住んでたNPCまで餌食になるとは予想外だったな」
NPC{ノンプレイヤーキャラクター}、つまりプレイヤーではないプログラムされたキャラのことだが……『エムブリヲ』では単なる街の住人にもステータスを与え、時にはパーティを組んで冒険に出られるようになっている。
そのせいで巻き添えを食って街のNPCが全滅し、一都市がまるごと廃墟と化したのだ。
「でもあれは、街にいた他の冒険者どもが束になってかかっても敵わなかったせいだろ。仕方ないからトドメは俺が刺して、ちゃんと終わらせたんだがな」
「えい、もう! ここまで言っても自覚なしとは……やはりあなたには罪を償わせる必要がありますわね! ええ、そのためにわたくしはあなたを転生させたのですわ! 白魔道士{ヒーラー}に!」
「なんだって?」
俺は耳を疑った。……白魔道士{ヒーラー}?
それは最悪の不人気職種{ジョブ}だ。
確かに課金しても、転生先の職種{ジョブ}は運任せとなるが……。
「まさか! 治癒魔法しか使えない、レア度最低ランクの職種{ジョブ}だぞ!?」
「あら。疑うのでしたら『勇気のリング』に触れて、自分で確かめてみなさいな」
勇気のリング? 俺の右手の人差し指にはめられていた、金色の指輪のことか。
確か召喚された、選ばれし冒険者の証だったか?
そういった設定だけのもので、装備アイテム欄にも表示されなかったはずだが……。
表面にはでかでかと、矢印のマークが刻印されていた。
「まさかこれ……うわ!」
リングに触れたとたん、目の前に小さなウィンドウが展開した。
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【ステータス】
【装備】
【アイテム】
【スキル/魔法】
【その他】
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「つまりマウスカーソルってことか。なんてゲーム的な……!」
どうやらリングをはめた指で、空中もクリックできるらしい。
「ほら、【ステータス】を見るのですわ」
そう女神に促され、俺はさらに【ステータス】の文字に触れた。
というかこれ、女神にも見えてるんだな?
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名前/種族:クライ/ヒューマン
年齢/性別:18/♂
ジョブ/ランク:白魔道士/F
LV/属性:1/光
HP:7
MP:14
ATK:2
DEF:2(△3)
MATK:5(△4)
MDEF:5
AGI:8
LUK:5
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ぱっとウィンドウ内が切り替わり、俺のステータスを表示する。
……確かに白魔道士{ヒーラー}だ。
「それもレベル1だと!? って、MP以外の数値が全部1桁!? 初期値が低すぎるだろ! それに△{プラス}補正も最低限で、初期装備がしょぼすぎる!」
まさか……そもそもこれ、無課金転生の方か!?
「最悪だ! 嘘だろ、俺のレア装備……どこいった!? 全部パアか! うわああああああああ!」
慌てて【装備】欄を確認したが、ない。
この「白のローブ」と、腰に挟まっているタクトのような細い「木の杖」以外、きれいさっぱり失っていた。
だがそれ以前に問題なのは……!
「だいたい白魔道士{ヒーラー}なんか、攻撃魔法のひとつも使えないじゃないか! 他の冒険者とパーティを組むのが前提の職種{ジョブ}だぞ!? 俺はソロプレイ専門なんだ……どうしろって言うんだ!」
「ふふ。だから、あなたの更生のためにはいいのですわ」
桜色の唇をほころばせ、女神が微笑んだ。
「いいですか? クライ、これはあなたにとってまたとないチャンスなのです。前世の罪を自分であがなえるのですからね」
「あがなうって……だから、なんで前職の不徳{カルマ}を引き継ぐんだ? そもそもこれは俺の幻想……」
「お黙りなさい!! これは女神であるわたくしの決めたこと。あなたは、これからは他者の役に立つ生き方をするのです。この神殿を訪ねて来る怪我人を、無償で治療することで」
「無償? 冗談じゃない!」
ここは俺の『エムブリヲ』だぞ。
なのに、なんだそのNPCみたいな生き方!
俺は石のベッドから飛び降り、いきなり駆け出す。
目指すのは神殿の外だ。
この白いドーム空間の屋根は、無数の柱で支えられているだけで、外の庭園が丸見えだった。どこからでも飛び出していける。
しかし……いきなり見えない壁にぶつかった。
【1ダメージ】
痛みとともに床に転がった俺の側で、そんな表示が現れた。
「くはっ、なにい!? ……なんだ、今の!? 出られない?」
「ダメですよ、クライ。あなたはわたくしの加護を強く受ける、光属性の白魔道士{ヒーラー}となったのです」
うふふ、と女神が笑っていた。
「故に、わたくしの張った結界内からは出られませんわ。絶対に」
「結界!?」
「あなたはここで一生を過ごすのです。しかしわたくしも鬼ではありませんわ。この白の神殿内ならば、自由に歩き回ることを許しましょう」
ばさっと背中の翼を羽ばたかせ、女神シルヴィーナの体が浮き上がった。真上に浮かぶ『命の泉』の中に、白く輝きながら入っていく。
「まずは修練をなさい、白魔道士{ヒーラー}クライよ。それがあなたの善行の第一歩となるのですから」
そう言い残すと女神の姿は泉に呑まれ、揺らめいて消えた。
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