護摩の灰にはご用心

 翌朝、拝殿で参拝を済ませた私は三嶋大社を後にした。後にしたと言っても向かうのは参拝者専用駐車場だ。そこが東海道五十三次弾丸ツアー第3回の集合場所になっている。


(バスどころかまだ誰も来ていないようだな)


 集合時間を聞くのを忘れていた。ツアーを企画した時の記憶をたどる。少し遅めの時刻に設定したような気がする。


(のんびり待つとするか)


 やがて駐車場には1台、2台と車が入り始めた。鳥居の前にバスが並び始める。参拝客が次第に多くなる。


「あっ、荒ちゃーん!」


 朝っぱらから元気のいい声だ。昨日と違って今日はミニスカートではなく添乗員らしい服装をしている。我が社では添乗員に制服はない。各自の判断で相応しい私服を着用し業務に当たることになっている。


(ふむ、さすがの賀衿もそこまで常識外れではなかったようだな。どれ、今日は一日勤務態度を観察させてもらうとするか)


 これまで添乗員に対する苦情や意見などは届いていないが、上司として気になるところではある。ちょうど良い機会だ。転勤前の思い出作りをさせてもらおう。


「はい、これ」


 賀衿は私の前にしゃがみ込むと、いきなり何かをはめた。首輪だ。


「にゃ、にゃんな、にゃにゃにゃにゃ!」


「な、何のつもりだ!」と叫んだのだが完全に猫言葉である。一体どんな了見で首に輪をはめたりするのだ。これでは囚人や奴隷と同じ扱いではないか。私を自分の所有物にするつもりか。


「あ、別に荒ちゃんを飼うつもりはないんだよ。ほら、野良猫って意地悪な人間にいじめられたりするでしょ。でもこうして首輪を付けておけばいじめられることも少なくなると思うんだ。いい考えでしょ。ほらここに『荒ちゃん』って名前まで書いてあるから、一目で飼い猫って分かるはずだよ」


 賀衿の言葉を聞いて反省だ。そうか、私のためを思っての首輪か。単独行動をしていた2日間、特にいじめられることもなかったので必要ないとは思うが、有難く付けさせていただくことにしよう。ただ、名前入りは少々恥ずかしい。


「それから、これ」


 今度は大きなバスケットを私の前に置いた。竹で編まれ蓋も付いた頑丈な造りの籠だ。


「悪いけどバス乗車中はこの中で大人しくしていて欲しいの。猫が嫌いなお客さんもいると思うから」


 これには従わざるを得ない。あくまでも私はよそ者。乗車できないバスに無理に乗せてもらうのだ。これくらいの辛抱は当たり前だ。私は大きく頷いた。賀衿はにっこり笑う。


 やがてツアー客が集まり出した。予想通り高齢者が多い。ほとんどが夫婦、もしくは複数の女性グループ。男性のみのグループは一組もない。徒歩ではなくバスで宿場を回るという軟弱さが男性には受けなかったのだろう。改善の余地がありそうだ。が、


(妙な奴がいるな)


 たった1名で参加している男性がいた。落ち着かない目付きと挙動不審な態度。人は外見で判断するものではないと分かってはいるが、いかにも怪しい男だ。


(どうも気になる。なるべく目を離さないようにしよう)

「皆さーん、そろそろ出発しますよー」


 時間だ。私は自主的にバスケットの中へ入った。


 東海道を巡る旅は宿場だけでなく、その間の街道も観光対象となる。名所旧跡が残されているからだ。それらを案内するのは添乗員の役目である。


「三島を出ましたら次は沼津宿、そして原宿へと続きます。皆様ご存知の弥次さん北さんは『食べず飲まず(沼津)で腹の空く(原の宿)』などと言い合いながら旅をしたそうです。腹が空いては旅ができぬ、今日の昼食は原宿の予定でございます」


 車内に笑いが起きる。たちまち和んだ雰囲気になる。


(ありふれた常套句じゃないか。このツアーに参加する客なら聞き飽きているぞ。まあでも、きちんと勉強してきているようだし、及第点を点けてやるか)


 今日の私は少々甘くなっているようだ。


 バスは順調に走る。次の宿場、沼津に着いた。私はバスケットから少しだけ顔を出し例の男をチェックした。なかなか立ち上がろうとしない。乗客が全て降りてしまうと、ようやく腰を上げ最後に降りて行った。


「さあ、私たちも行くよ」


 賀衿と共にバスを降りる。眼前には見事な松原が広がっている。沼津から田子の浦へ10kmに渡って続く東海道屈指の景勝地、千本松原だ。ここからは自由時間。散策をする者もいれば、引き返して沼津魚市場へ行く者もいる。

 賀衿に教えてもらった神社に寄った後、私は例の男を監視し続けた。相変わらず挙動不審ではあるがそれだけだ。そして誰よりも早くバスに戻った。


(考え過ぎだろうか)

「くしゃん」


 出発前のバスの中で男を見張っていると、ステップで誰かがくしゃみをした。いかにも金持ち風な装いの年配女性がうさん臭そうにこちらを見ている。


「あら、猫がいるの。鼻がムズムズすると思ったら、この子のせいね」

「す、すみません。旅行へ行く親戚から預かってくれって頼まれて、ほら、早くバスケットに入って」


 賀衿に急かされて中に入る。悪いことをした。言い付けは守らないといけないなと痛感した。


 男に対する私の予感は次の原宿で的中した。ツアー客が全て降車し、賀衿と私、そして運転手も息抜きのために降車したが、例の男は降りて来ない。


(怪しいな)


 開いたままのドアからバスに戻る。男は立ち上がって網棚に手を掛けていた。自分の座席ではない、他のツアー客の座席の網棚だ。


「にゃあああー!」


 あらん限りの声を振り絞った。だがよほど肝の据わった男なのだろう。顔色ひとつ変えずに網棚からすっと手を下ろすと、何事もなかったかのようにバスを降りて行った。


「荒ちゃん、鳴き声が聞こえたけど、どうかした」


 賀衿が外から顔をのぞかせる。私の中には怒りが渦巻いていた。


(あの男の仕業だったのか)


 過去2回のツアーではいずれも客の落とし物、忘れ物が発生していた。警察、バス会社、鉄道、各地の観光協会に問い合わせたが、ひとつとして見付かっていない。


(落としたのではない、忘れたのでもない。あの男が盗んだのだ。このツアー、とんだ護摩ごまの灰が紛れ込んでいたものだ)


 江戸時代、街道には「護摩の灰」というやからが横行していた。坊主の格好をして「これは有難くも弘法大師様の護摩の灰。どのような病もたちどころに治癒いたす」などと偽り、何の変哲もないただの灰を売り歩く小悪党である。やがて泥棒、道中荒らし、枕探しなどもそう呼ばれるようになった。


(どのような世になっても盗賊というのはなくならないものだな)


 順風満帆な時ほど普段以上に注意が必要……昨日の御神木の言葉を思い出す。


(これ以上の被害は何としても食い止めてやる!)


 私は気合いを入れると尻尾をピンと立てた。

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