第二回御神木御神託
一匹になった私はカツサンドを咥えて三嶋大社の鳥居をくぐった。人目に付かない場所に落ち着くと、これからの行動計画を思案する。
(今日の賀衿の態度を見ていると、余程の無理難題でない限り私の言うことを聞いてくれるだろう。今日のように宿場を巡って伊勢まで連れて行ってくれと頼めば、多少無理をしてもその通りにしてくれるはずだ)
それが第1の案である。しかしこれは賀衿の負担があまりにも大きい。
1日に車で回れるのは10カ所程度。しかも伊勢に近付くにつれて往復の時間が長くなるから、回れる箇所は更に少なる。2週間以上に渡って全ての休日を私のために使わせることになる。
(私的な用事で部下の休日を奪うのは上司としてあるまじき行為。この案は採用できない)
第2の案はツアーに便乗する形で宿場を回る方法だ。
賀衿の車の中でツアー企画書を読み、また新月の日を調べた。第5回のツアーで宮宿、つまり熱田神宮に到着するのが3月11日。伊勢到着の期限である新月はその翌日の12日である。
(ギリギリだな)
この方法だと伊勢までの残り11の宿場を期限当日に回らなければならない。更に12日は月曜日。賀衿は東京で通常業務に戻っている。当てにはできない。
(となれば家族の力を借りるしかないな)
私には切り札がある。交渉の末、倭姫から引き出した「半日だけ人に戻れる特典」これを使おう。
幸運にも私の体は来週実家に戻って来る。熱田神宮からなら猫の足でも1時間もかからない。新月の朝、実家へ帰って私の体に触れ人に戻る。そしてこれまでの経緯を全て話す。人に戻る条件を説明した後で猫に戻り、兄に頼んで残り11の宿場を一緒に車で回ってもらうのだ。
(距離にして約120km。大丈夫、なんとかなるはずだ。駅伝の選手でも5時間で走れるのだからな。神社を探して道に迷ったりしなければ、日没までに内宮へ到着できるはずだ)
綱渡り的な計画だがこれが現時点における最善の策と言えるだろう。
よし、これで倭姫の試練は達成したも同然だ。安心すると腹が減る。もらったカツサンドを有難くいただく。そうして身も心もすっかり満足した私は、夕闇に覆われ始めた三嶋大社の境内を見回した。
(確か、ここにも御神木があるはずだな)
三嶋大社は本殿の近くにある金木犀が有名だが、老木の大楠も神樹として神池の近くに祀られている。池に架かる橋の上から見回すと総門の手前西岸にそれらしき大樹がある。橋を下りて木に近付く。
(見るからに老木だが枝葉はしっかりと茂っている。大事にされているのだろう)
楠の根元にうずくまり体全体を大樹に預ける。声が聞こえてきた。
「荒木田、万事うまくいっておるようだな」
「はい。これも稲毛神社の御神木のおかげです」
偶然なのかそれとも同じ神なのか、声の調子も言葉遣いも稲毛神社の大銀杏にそっくりだ。
「うむ。嬉しく思うぞ。これまでお主は全てを独力で済ませようとしてきたのではないか。人に助力を請うことを良しとしなかったのではないか。さりとてひとりでは如何ともし難い事態に陥ることは多々ある。此度の倭姫命様の試練もそうだ。己の力だけでは決して達成できない、もはや諦めるより他に道はない、一度はそう思いつつそれでも諦め切れなかったお主は、遂に己の殻を破った。他者に助けを求めた。そしてこの地に来た。倭姫命様もさぞかしお喜びであろう」
少々私を美化しすぎているようだ。聞いていて恥ずかしくなってくる。
それと、最後の「倭姫が喜んでいる」の箇所は若干の意義を唱えたくなった。「トントン拍子に事が進んでいるので鼻白んでいる」に修正すべきである。まあ、御神木に対してそんな反論をするつもりはないが。
「今回の試練、2日目にして大きな山に突き当たりましたが、箱根の山を越えるが如く無事乗り切ることができました。ひとまず安心しております」
「うむ。だがな荒木田よ。順風満帆な時ほど普段以上に注意が必要となるものだ。栄耀栄華を誇ったゆえに滅びた平家然り。高転びに転んだ信長然り。いい気になっていると思わぬ所で足をすくわれる。もはや倭姫命様の試練は達成したも同然、そう思っているのではないか。油断大敵、常に注意を怠らぬようにな」
「はい、心得ました」
完全に図星だ。心を読まれているのではないかと思うほどだ。そして御神木の指摘は弛みかけていた私の心を引き締めてくれた。ツアーの同行も兄の助力もまだ計画に過ぎない。思い通りに事が進むとは限らないのだ。伊勢に着くまでは決して気を抜いてはいけない。
「それからもうひとつ。偶然の出会いによってお主は思いがけぬ幸運を手に入れた。だが、同時に思いがけぬ不運に見舞われる者も存在する。誰かが勝者になれば誰かが敗者にならねばならぬ。誰かが富めば誰かが貧する。この世とはそのような道理の上に成り立っておる。己の幸福の陰に潜む不幸を忘れぬようにな」
「は、はい。しかと心に留めておきます」
2番目の御神託はよく分からなかった。私の代わりに不運に見舞われる者……賀衿のことだろうか。もしそうならもう少し気を配ってやることにしよう。
御神木はそれだけを話すと黙ってしまった。稲毛神社の男性のように、猫に餌をやるのが好きな人物情報はないようだ。私は今晩のねぐらに決めた場所に戻った。
(明日はツアー客と一緒に宿場巡りか。はっきり言って私はよそ者だからな。目立たないように、控えめに、腰を低くして同行することにしよう)
大切なお客様の迷惑にならず、そして賀衿の手を煩わせることのないようにしたいものだと思いながら私は眠った。
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