東海道五十三次弾丸ツアー
私と賀衿を乗せた車は順調に東海道を進んでいった。私のことを「神から遣わされた畏れ多い雄の三毛猫」と思い込んでいるらしく、私の言葉には素直に従ってくれた。が、時々本性が現れて、
「座りションなんて見っともないでしょ。おしっこは男子トイレで済ませない」
などという無茶を言い出すこともあった。
(人との意思疎通が可能と分かった今、賀衿以外の人物に協力を仰いでみてはどうだろう)
途中、こんな考えが浮かんだりもした。一旦、東京へ戻り、信頼のできる人物に事情を話して伊勢まで宿場を巡るよう頼んでみるのだ。しかしこの考えはすぐに否定された。信頼できる人物がいないのだ。
(親友の一人くらい作っておくべきだったな)
東京での付き合いは全て仕事絡みだ。副支店長や飲みに付き合ってくれた同僚も、心を許して話し合えるほど親しい間柄ではない。最悪の場合、テレビ局や新聞社に知らされて見世物にされる恐れもある。
(いや、待てよ。私の家族ならどうだろう)
私が倒れたとなれば母くらいは東京に来て看病してくれているのではないだろうか。
(それに私の容体も気になる。それとなく訊いてみよう)
すっかり私の持ち物になっているスマホに「荒ちゃんって何者?」と入力し、赤信号で停まった時に見せる。
「ああ、そうだよね。勝手に名前を付けてゴメンね。気に入らなければ別の名前にするけど、何がいい?」
そんなことは誰も言ってない。私は頭を横に振りスマホの文字を叩く。
「んっ、荒ちゃんの名前の元になった人が気になるのかな? 荒木田君はあたしの会社の上司だよ。いつもは威張っているくせに、2日前に猫を助けようとして車にはねられちゃったの。お茶目さんでしょ。それで助かった猫は礼も言わずにどこかへ行っちゃって、荒木田君は気を失って入院中。ホント、お人好しにも程があるよねえ~」
色々と言いたいことはあるのだが、入力するのが大変なので我慢する。あと、私の名を君付けで呼ぶのはやめるように。
そこで話が終わってしまったので再度「容体は?」と入力。
「ああ、全然大丈夫。なんでも強い衝撃で一時的に心臓が止まっただけなんだって。それで実家がお医者さんなので、意識が戻るまで帰宅させることになって、今度の週末に連れて行っちゃうみたい」
なるほど、名古屋に帰るのか。それなら頼むのは戻ってからの方がいいな。実家の病室なら気兼ねなく会話できる。
最後にダメ押しで「怪我の程度は?」と入力。
「それもたいしたことないみたい。肋骨にヒビが入って、足首と手首が捻挫、左上腕部及び左脇腹擦過傷、右大腿部裂創、だったかな。何針か縫ったみたいだけど、まるで問題ないって」
(おい、問題大ありじゃないか。楽観主義にも限度ってものがあるだろ)
と胸の内で異議を唱えてから、それも当たり前かと思い直す。命を落とすほどの事故だったのだ。その程度で済んでむしろ良かったと感謝せねばなるまい。今になって倭姫の有難さがしみじみ身に染みる。猫の身ではあるが生かされているのだからな。
「荒木田君、早く目を覚ますといいなあ~」
それは私も同感だ。大丈夫、新月が来れば必ず目を覚ます。それには君の助けが不可欠だ。よろしく頼む。
こうして私と賀衿は東海道をのんびりと走り続けた。平塚の辺りで昼食を済ませ、ついでに昼寝もして国道1号線で箱根を越え、ようやく三島に着いた頃には下校のチャイムが鳴る時刻になっていた。今日はここまでのようだ。三嶋大社の鳥居の近くに車を駐めて外に出る。
「本当は三島から先に行くつもりだったんだよ~」
今日の遠出は明日で第3回目となる東海道五十三次弾丸ツアーの下見のつもりだったらしい。
賀衿の発案で私と他の社員が組んだツアーの内容は次の通りだ。行程は全6回。週に一度のペースで開催する。
第1回、日本橋(起点)~藤沢宿(6)日帰り。
第2回、藤沢宿(6)~三島宿(11)日帰り。
第3回、三島宿(11)~岡部宿(21)1泊2日。
第4回、岡部宿(21)~新居宿(31)1泊2日。
第5回、新居宿(31)~宮宿(41)1泊2日。
第6回、宮宿(41)~三条大橋(終点)2泊3日。
日帰りは土曜、1泊2日は土日、第6回は金土日に開催。部分参加も可。例えば日帰りの第1回だけ参加とか、関西方面の第6回だけ参加というのも可能。そのため基本的に現地集合である。もちろん希望者には新幹線等の往復チケットを手配する。宿場間はバスで移動。希望者には弁当、朝食、夕食を提供。
(今考えても相当ハードな内容だな。まさに弾丸だ。よく参加者が集まったものだ)
他の旅行会社でも似たようなツアーはある。しかしほとんどが1度に回る宿場は1カ所か2カ所。そして半年から1年、長い場合は2年以上かけて53の宿場を歩いて回る。バスを使って強引に1カ月半で全てを回るツアーは異色中の異色だ。
「明日から第3回が始まるからね。車で藤沢辺りまで下見しようかなって思っていたんだ、でも三島で時間がなくなっちゃった」
それは悪いことをしたと申し訳ない気持ちになる。ツアーの下見は業務時間内に全行程済ませているはずだ。まさか休日にも自主的に下見をしているとは思わなかった。意外に仕事熱心な面もあるのだな。少し見直した。
「あれ、しょげた顔しているけど、今の言葉、気にしてる? あたしは嬉しいんだよ。下見はできなかったけど荒ちゃんに出会えたんだもん。それに下見する気になったのはドライブしたくなるくらい晴れていたから。もう次からはやらないよ。あたし、それほど仕事熱心じゃないし」
見直すのはやめた。やはり賀衿は賀衿だ。
「それで荒ちゃん、今晩はどうするの。あたしの家へ連れて行ってあげようか。すき焼きを御馳走してあげる」
行くっ! と言いたくなる気持ちをぐっとこらえる。賀衿の助力は宿場巡りに関することだけに留めておくべきだ。20日もすれば否応なしに別れなくてはならない。親しさが増せばその分別れが辛くなる。それに伊勢を目指している以上、逆戻りするのは精神的によろしくない。前進あるのみだ。
私は頭を横に振った。賀衿が少し悲しそうな顔をした。
「なら、この神社で寝るの?」
頷く。
「明日のツアーはここから出発だけど一緒に来る?」
頷く。賀衿の顔が明るくなる。
「今日みたいに各宿場の神社を回るつもり?」
頷く。賀衿の顔に笑みが浮かぶ。
「了解。それなら今日は一人で帰るよ。これ、晩御飯のカツサンド。お腹空いたら食べて。風邪ひかないように暖かい場所を探して寝るんだよ。そしたらあたし行くね」
名残惜しそうに賀衿が車に乗り込む。エンジン音、動き出す車。遠ざかる車影を見送りながら胸の内でボソリとつぶやいた。
(大好物とは言っても、さすがに1日中カツサンドは辛いな。明日はチキンサンドにしてもらおう。それから帰り道に気を付けてな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます