三毛猫神通力
「わ、分かったよ。とにかく車から降ろしてあげるね」
と言いながら車が動き出す。信号はとっくに青に変わっていたからだ。おまけに走っている車線は歩道寄りではなかったので、停まりたくても停まれないのだ。
「はい、ここでいい?」
しばらく進み左の脇道に入ったところで車が停まった。開かれたドアから降りる。
(次は神社だが、見当たらないな)
さすがにこの辺りの地理には不慣れだ。キョロキョロと頭を動かしていると賀衿が声を掛けてきた。
「何か探しているの、荒ちゃん」
そう言ってスマホを差し出す。察しがいい娘だ。「じんじゃ」と入力する。
「じんじゃ? 生姜が食べたいのかな」
(馬鹿者、それはジンジャーだろう。生姜を欲しがる猫がどこにいるのだ)
首を横に振って否定しつつ両前足を合わせて参拝のポーズをすると、ようやく分かったようだ。
「ああ、神社ね。それなら知っているよ。乗って」
こんな娘を頼りにしなければならない自分が本当に情けない。さりとてこの状況では贅沢を言っていられない。素直に車に乗ると、50mも行かないうちに停まった。
「はい、どうぞ」
目の前にあるのは稲荷神社だ。小さい。敷地はほぼ鳥居の幅しかない。そして両隣は民家に挟まれている。地元の者でなけれでも見逃してしまいそうな小ぢんまりとした神社だ。それでも二体ある狐の石像はなかなかに愛嬌がある。
(小さくても一応神社だ。ここでも大丈夫だろう)
鳥居をくぐって奥へ進み賽銭箱に触れる。これで用は済んだ。取り敢えず一安心である。
「ねえ、荒ちゃん、あなたって、ひょっとして……」
これまでと声の調子が違う。後ろを振り向けば賀衿が疑わし気な眼差しで私をじっと見詰めている。
(もしや、気付いたか)
如何に無能で社会常識がなくて能天気な娘だと言っても、猫がスマホで文字入力をすれば怪しいと思わないはずがない。『姿は猫でも心は人間、ひょっとして神様の怒りに触れて猫に変えられた王子様なのかしら』などと考えていそうだ。
(さて、私のことをどう思っているのかな。じっくりと聞いてみたいものだ)
賀衿は神妙な顔をして近付いてくる。両手が伸びる。余裕の態度で迎える私。と、
「にゃっ!」
思わず猫声を出してしまった。あろうことか賀衿は両足を掴んで逆さまに持ち上げたのである。
(こ、この娘、何をするつもりだ)
「あー、やっぱりそうだ!」
頭を下にして宙ぶらりんにされたまま私は自分の体を仰ぎ見る。賀衿の視線は猫の股間に釘付けだ。
「こんな立派なニャンタマがあるなんて。尻尾に隠れてて気が付かなかったよ。荒ちゃんって男の子だったんだね」
(な、なんて破廉恥な奴だ。こんな往来で金玉を凝視するとは。ここまで恥知らずとは思わなかった)
賀衿は私を地面に降ろさずに、そのまま向きを変えて抱き直すと、頬ずりをしてきた。
「やっと分かったよ。どうして荒ちゃんがこんなにお利口さんなのか。雄の三毛猫だからなんだね」
(雄の三毛猫だと。それに一体どんな意味が……)
そこまで考えて気が付いた。三毛猫には雌しかいないと聞いたことがある。まさかと思って調べてみたら90%本当だった。遺伝子の関係で、3色の毛を持つと雄はほとんど生まれなくなるらしい。
(昨日の男性も賀衿も、私を雌だと思い込んだのはそのせいだったのか。偶然とは重なるものだな)
猫と一緒に交通事故を起こして昇天しただけでなく、その猫が雄の三毛猫だったというのは、人類の歴史上、私が初めてではないかと思われる。
「子供の頃、絵本で読んだよ。雄の三毛猫は神様に愛された特別の猫。この世に生まれる時、神様からひとつだけ特殊能力を与えられる。ある三毛猫は空が飛べる、ある三毛猫は火を吹ける、そして荒ちゃん、君は人の言葉が分かる能力を授かったんだね」
一体どんな絵本を読ませて育ててきたのだ。賀衿家の教育方針を疑ってしまいたくなる。賀衿は心底そう信じているようだ。
(どこまでも能天気な娘だな。だが、これはかえって好都合かもしれんぞ。余計な説明をしなくて済む)
猫なのに人の言葉が分かるのだ。一般人であればその理由を根堀り葉掘り訊いてくるに違いない。嘘をつくのは面倒なので正直に話したとしても、信じてもらえるかどうか分からない。
よしんば信じてもらえたとしても相手が賀衿では非常にマズイ。彼女の中には支店長として威張り散らしてきた私に対する恨み、怒り、不満などなどが鬱積しているはずだ。その憎たらしい人物が今は非力な猫になっているのである。
人間とは恐ろしいものだ。一度自分が有利な立場になれば、どんな非道なことでも平気でやってのける残酷さを持っている。賀衿とて例外ではない。ここぞとばかりに猫の私へ復讐を開始するに違いない。
(うむ、賀衿に正体を知られることは死を意味する。絶対に悟られないようにしよう)
幸いなことに賀衿は気付いていない。人語を解するという特殊な現象も、雄の三毛猫という事実だけで納得してしまっている。能天気な性格が良い方向へ働いてくれた。他の者ならこうはいかなかっただろう。
「さあ、次は何をしたいのかな、荒ちゃん」
私を抱いて車に戻った賀衿が再びスマホを差し出した。「各宿場に停まれ」と入力する。漢字変換は面倒だったが、神社と生姜のように勘違いされると二度手間になるので仕方なく変換する。
「宿場? ああ、東海道五十三次の宿場のことだね。了解! 次は保土ヶ谷宿へGO!」
車が動き出す。助手席に座ったまま賀衿を見上げる。
(それにしてもあんな小さな神社の場所がよく分かったものだな。単なる偶然か、あるいは神奈川県全土の地図が頭に入っているとでも言うのか)
家が川崎だと言っても10kmも離れているのだ。横浜へ遊びに来たついでに寄るような場所でもない。不審な気持ちを抱きながら見詰めていると私の視線に気付いた賀衿が笑った。
「やだあ、荒ちゃん目付きが恐いよ。どうしてあの神社を知っているんだって顔だね。実はあたし旅行のお仕事をしているんだ。ここは2週間前に来たばかり。今は普通の街並みだけど昔は神奈川宿だったから、国道の向こう側には本陣跡もあるんだよ。見に行く?」
頭を横に振る。そして納得した。賀衿が企画した東海道五十三次弾丸ツアー。添乗員としてあの場所も訪れていたというわけか。私の試練を助けてくれるには打って付けのガイドだな。
(なるほど。倭姫の意図がようやく分かりかけてきた。私の人生を全て見ていただけのことはある)
車を運転する賀衿がほんの少しだけ頼もしく見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます