1-8 探偵は忘れた頃にやってくる

 つばさくんは歩きながら下場げばを指さした。

忘却社ぼうきゃくしゃの社長、みさき翼だ」

 翼くんは実に楽しげだった。そして、こういう翼くんを私は何度か見たことがある。

 楽しげな翼くんは実際にはキレている。彼の行きすぎた正義感を抑えるブレーキが壊れた時にこうなるのだ。

 翼くんは忘却社で人助けをしているけど、決して善人ではない。むしろ下場よりもずっと危険な人間かもしれない。そんな彼が少しでも人間らしくあるために彼は忘却社で人助けをしてる。そう言ってもいいくらいなのだ。

 ようするにこの後、大変なことになる。

「早く降参した方がいいかもよ」

 私から出来るアドバイスはそれくらいだった。でもきっと下場はそうさせてもらえない。下場は相手の強さがわかるみたいだけど、翼くんは相手にその強さを隠せるレベルなのだ。わざと大したことないと見せる達人なのだ。

「そっちの女ならともかく、俺がこんなヤツに負けるかよっ!」

 そして翼くんのその得意技は見事に効果を発揮してるみたいだった。下場には翼くんが強くは見えないらしい。

「ぎゃあああ!」

 しかし不用意に打ち込まれた手刀は翼くんに軽く払われる。胡蝶こちょうさんが吹き飛ばされてるのを見てなかったら、気の抜けた攻撃としか私も思わなかっただろう。でもそれはあくまで翼くんが強すぎるからそう見えるだけなのだ。

 事実、払って逸らしただけではなく、下場の右腕は折れていた。途中から曲がってブランと垂れ下がるのが見えた。

「おっと先に言うのを忘れてた。俺の流儀は払いなので攻撃には注意しろよ」

 そう言われても下場は何かのまぐれだと思ったみたいだった。納得出来ず、まだ無事な左手で攻撃する。

「ぎゃぁああ!」

 しかし結果は同じだった。また払われ、そのついでに砕かれる。

「なんでだよ……なんでお前みたいなヤツに……」

 さすがに両腕を軽々と砕かれると心も軽く折れてしまったみたいだった。

「お前が悪いヤツだからだろ」

 でも翼くんの顔には笑みが浮かんでいた。

「俺がお前に何をしたってんだよ!」

「さあてね。俺は困ってるヤツを助けるのが仕事だからな」

 翼くんは下場の両肩を押すような仕草を見せた。

「ぐぎゃああああああああああああああああ!」

 それだけで何か激痛が走ったらしい。ブランと腕が下がったところを見ると肩を外したみたいだ。あの脂肪と筋肉で覆われた肩をいともたやすく外してみせる翼くんの技量には恐ろしいものを感じる。

「いてえ! いてえよぉお!」

 下場はあまりの痛みに泣き出した。でも翼くんは容赦しない。今度は足払いをかけて、下場を床に転がした。両腕が折れた上に肩も外れているのだから受け身などまともに取れるわけもなく、下場はそのまま床に転がった。

「もう、もう勘弁して……くれよ……」

 よく見えないが足の骨も折れるか外されたかしたのが泣きを入れてきた下場の言葉からわかった。

「イヤだね」

 でも翼くんはそれで許してあげるような善人ではなかった。

「なんだよ……どうしてだよ……」

 もう下場のそれは質問というよりは嘆くだけの独り言のようだった。

「お前、自分より弱いヤツが許しを求めたら許してやるのか?」

 そんな下場になおも翼くんは鬼のような質問を投げつける。

「あ、う……」

 返す言葉もない。そんな感じだった。

「やっと自分のしてきたことを理解出来たみたいだな」

 翼くんはそんな下場の顔を覗き込み、今までで一番の笑顔を見せた。

「ふぁ、ふぁい」

「なら、許す」

「え、本当ですか……」

「もう一撃だけでな」

 気の緩んだ下場を翼くんは蹴り上げて、宙に浮かせる。そこに翼くんは掌底しょうていを打ち込んだ。下場の巨体は壁に飛んでいき、そのまま激突した。

「おっと、正確には三回分になっちまったかな」

 翼くんはそんなことを呟くが、下場には聞こえていなかった。きっともう完全に意識を失っている。

「うわあ……」

 だから私は一言そう呟くくらいしか出来なかった。

 翼くんは本当に容赦がない。それを確認した久しぶりの日になってしまった。


   ○


「あの、あの子から今日のことを忘れさせるなんてことは、出来ないんでしょうか?」

 事務所に戻った私たち。女の子がシャワーを浴びに言ったところで、依頼人の男の子がそんなことを聞いて来た。

 その答えを私は知っている。

 出来る。でも、ある条件付きで、だ。

「君の覚悟次第だな」

 条件というのがよくわかってる翼くんはそう切り出した。

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