1-6 探偵は忘れた頃にやってくる

「いいわけあるかよ」

 そして予想通りとしか言いようが無い無慈悲な答えが返ってきた。

 やがて電話に出なかったので音楽が止まった。

 でも同じメロディを誰かが口ずさんでいたらしい。鼻歌が聞こえてくる。

「寝起きにしてはさわやかな曲ですね」

 胡蝶こちょうさんだった。着信音を目覚まし時計代わりに起き上がったらしい。

「そのまま寝てればよかったのによお」

 下場げばは一応、警戒したのか彼女の方に向き直った。さすがに背後から襲いかかられたら負けるかもしれないくらいには思ってるようだ。

咲夜さくやさん、逃げてください」

「で、でも……」

「依頼人を助けるんです」

「そうだけど」

 でも私たちが逃げられるかもわからないし、仮に逃げられたとしたらその後、胡蝶さんがどんな目に会わされるか。それを想像すると、とても言う通りにはできなかった。

 だから依頼人と女の子を逃がすという選択肢しか選べない。私がいたところで足しになるわけじゃないだろうけど、私は胡蝶さんを置いて逃げるわけにはいかない。

「その子を連れて逃げられる?」

「…………」

 依頼人の返事はなかった。見ると悔しそうな表情でこっちを見ていた。

「そこの少年。お前だけなら興味は無いから帰っていいぜ」

 そこに下場の声が響く。

「なんなら逃げて助けを呼んでくればいい」

 しかしそこには、それまでに胡蝶さんを倒して、三人ともどこか別の所につれて行ける自信が感じられた。

「しょ、正直、に、逃げていいと言われて逃げたい気持ちで、い、いっぱいです」

 依頼人の少年が震える言葉でそれに応える。立ち上がったその体も震えている。

「正直、怖いし、そうしたいです」

 それでも彼は下場の方を強い意思を持って見る。

「じゃあ、そうすりゃあいい」

 なのに下場は馬鹿にしたように笑うだけだ。

「でも、ここで逃げるくらいなら、ここまで来てなかったんだよ!」

 依頼人はいつの間にかキレていたらしい。声や体が震えていたのは恐怖ではなく怒りによるものかもしれない。

「僕が間違ってるとしたら、最初から彼女を助けようとしなかったことだ! 誰かに頼ろうなんて思ったせいでこんなことになってしまったんだ!」

「で、どうするって?」

 しかし依頼人の怒りを知っても下場は何も顔色を変えたりはしない。

「うわあああああ!」

 叫び依頼人が飛びかかっていく。

「はっ!」

 しかし怒りとかそんなもので克服出来るような力量の差では無い。

 軽く避けられ、行きすぎた依頼人は後頭部に振り下ろされた手刀でその場に倒された。

「これでコイツにその娘を連れて行かせるのも無理になっちまったな」

 そしてその言葉で、依頼人を怒らせたのはむしろ作戦だったことがわかる。挑発され、それに乗って倒された。それだけだったのだ。

「……この子はあんまり好みじゃないって言ってたけど」

 となれば私に出来そうなのはもう一つだけだった。

「あん?」

「この子、好みじゃないなら逃がしてもいいわよね?」

 せめて、彼女だけでも。そう私は思う。

「そうだなあ、嬢ちゃんが二人分頑張ってくれるってなら、別にいらねえかなあ」

「じゃあ、逃がしても……」

「でもダメだな。いなくなったら嬢ちゃん、頑張ってくれない気がする」

 うへへと下場が笑う。

「嬢ちゃんが頑張ってくれたら、そいつは無事に返してやるよ。それでいいだろ」

「……そ、そうね」

 約束を守ってくれるという保証はないし、全然よくはないけど、これが下場から引き出せる最大限の譲歩な気はした。

「でもまあ、最初はこっちのお嬢ちゃんかな!」

 私との会話の隙をついて胡蝶さんが躍りかかっていた。でも下場は彼女の攻撃を受けきり、また手刀で吹き飛ばす。また胡蝶さんは壁にたたきつけられ、そのまま床に転がる。

「実力差がわからないレベルでもないだろうに、必死だねえ」

 下場は転がっている胡蝶さんを蹴飛ばした。胡蝶さんは無言でまた壁にぶつかり、また同じ場所に戻ってくる。

「今度は完全に意識失ってるみたいだな」

 下場はつまらないとでも言わんばかりの態度だった。

「い、意識失ってる女の子を襲って楽しいわけ?」

 私はその情況を見てるだけというわけにはいかなかった。

「まあ、いまいちだよなあ。でも嬢ちゃんを相手にしてる間に意識取り戻されても面倒だしなあ。先に心を折っちまいたいんだよなあ」

 それで下場は胡蝶さんのタンクトップを掴んで引っ張り上げると頬を叩き始める。目を覚ましてから襲うつもりらしい。

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