1-2 探偵は忘れた頃にやってくる
本人曰く、依頼人が来る時はなんとなくわかるらしい。実際、これまでは依頼人が来て数分で本当にやって来ていた。
のだけど、今日はちょっと事情が違うらしい。
「いつもは依頼人が来ると、ふらっと来るんですけどね」
私、
「のんびりお茶を飲んでる場合じゃないんです!」
依頼人はあきらかに焦り
それにこの忘却社の間取りが実に安心感とは無縁なのも拍車をかけている。というのも探偵社ということになってるけど、明らかに床屋さんなのだ。四つ並んだリクライニングシートと、それぞれの向かいに設置された鏡と洗面台。明らかに床屋さんなのだ。
廊下に面したガラス窓には青、白、赤のラインと「
一縷の希望を抱いてやってきたのに社長は不在。しかも床屋さんではこの探偵事務所が頼りになるのかと不安を感じても不思議はない。
「そうですよね」
気持ちはわかるけど、
「おや、お客さんかい?」
そんなところに奥からやって来たのは火村さんだった。先代の社長。一言でいえば残念美人としか言えない人だ。何が残念かと言うと……。
「って、火村さん、その恰好なんですか!」
火村さんと一緒にやってきたミリちゃんはパンツを穿いただけ。どうやらお風呂上がりにミリちゃんがそのまま出て来たのを火村さんが追いかけてきたらしい。火村さんはミリちゃんの頭をバスタオルで拭いていて、ミリちゃんはそれを嫌がってるようだ。
ミリちゃんは不思議な子で、歳は私と同じくらいなのに子供みたいな子なのだ。
「まずいかね、この恰好は」
でも問題なのは火村さんの方だ。
「まずいでしょ」
「私の貧相な体で欲情するような男なんておらんよ」
火村さんは私の意見を全く聞いてくれない。確かに火村さんは痩せすぎというくらい痩せているが、胸はそれなりにあるし貧相というのとはちょっと違う。
「とりあえず胸くらい隠してください」
「そうかい?」
火村さんはそう言ってタオルを肩からかけて胸を隠す。おっさんかと思ったけど私はそういうツッコミはしなかった。
「というか、翼くんが来ないんですよ!」
「そいつは困ったね」
「そういうわけなので火村さん、代わりにどうですか?」
火村さんが社長だった時期のことを私は直接知らないけど、この人だって社長をやってたのだからその能力は十分にあるはず。そう私は思ったのだけど。
「私は……やめておくよ」
「なんでですか?」
「翼くんが手伝ってくれというならその必要も感じるだろうが、勝手に周りが動いても上手く行かないものなのさ」
「そういうものですかねえ……」
「それに」
火村さんはそこで一呼吸置いて何か大事なことを言うという雰囲気を出す。
「ヒーローっては遅れてやってくるもんだろう?」
「あんまり遅れられても困るんですけど」
「彼はちゃんとしかるべき時にやってくる。世界はそういう風に出来てるんだよ」
火村さんはなんか格好いいことを言い出すが、現状とマッチしてるとは到底思えない。
「来てないじゃないですか!」
私自身、悪い男にさらわれてピンチになった時もある。その時のことを思い出すと、こんなところで火村さんと話をしてる暇はないのはわかる。
「今日は
「火村さん、翼くんが来たら伝えておいてください」
私は依頼人から聞いたことを一通りメモして、それを火村さんに託す。
「わかったよ、秘書殿」
結局、私はこれ以上待っててもしょうがないと判断して事務所を出ることにした。
「待ってても来そうにないんで行きましょう」
「え? あ、はい」
それで依頼人は不安そうに私を見たが、それでも私についてきてくれた。
○
「あ、
私や依頼人にとって幸運だったのはビルを出たところで、胡蝶さんと出会えたことだ。彼女は中国拳法か何かの達人で、翼くんの押しかけ弟子。私に足りない荒事を解決する力を持っている。
もっとも翼くんが来なかったのは胡蝶さんと顔を合わせたくなかったからかもしれないという気もしたけど。
「何か?」
彼女はどういうわけか事務所までやってくることはなく、事務所の前で翼くんが来るのを待ち構えていたりする。今日もそれだったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます