忘却のカナタ/【6月20日書籍版発売!】

新井輝/ファンタジア文庫

1-1 探偵は忘れた頃にやってくる

 その日、せっかくの代休だという俺、みさきつばさは知り合いの店の開店準備に力仕事を頼まれてくれと駆り出されていた。

 ちょっとオシャレな喫茶店を始めたいらしい。男装ホストよりは健全な気もするが、男装は止めないらしいので、あまり変わらない気もする。

「ふぅ、これで一段落というところかな。肝心のティーセットがまだ届いてないが、まあ、あれくらいなら軽いし自分で出来るしね」

 その知り合い、盾無たてなし真林まりんが休憩の合図を出してくれた。

 朝、集合した時は搬入された段ボールばかりだった店内も気付くとかなり様になって来ていた。シックだが暗い気分にはならないインテリアとか、真林さんはやはりセンスがいいらしい。

「せっかく喫茶店なんだからコーヒーの一つも出してくれませんかね」

 俺は店内に配置された椅子を一つ選んで座ってみた。

「インスタントならすぐに出せるけど、それでいいかい?」

 しかし本格的な喫茶店のコーヒーというのはすぐには出てこないものらしい。真林さんは小さく笑いながら、それでも無いよりはマシと思ったのかお湯を沸かし始める。

「……と思ったけど、インスタントもないな。真森まもり、ちょっとコンビニで買ってきて」

 真林さんは準備を始めて色々足りないものに気付いて妹の真森に話しかけた。

「店の設営を手伝わせた上に、今度は買い出しですか、姉さん……」

 妹はそれが姉のやり方だと知ってるはずだが、呆れたという様子を見せる。

「妹よ、私のことは兄さんと呼んでくれ給えよ」

 しかし真林さんはさらに妹を呆れさせる返しをする。

「……はいはい」

「そういうことでしたら私が」

 静かにしてた絵麻えまちゃんが、立ち上がって出口の方へと向かい始める。

「インスタントでいいんですよね、私が買ってきます」

 絵麻ちゃんはそう言って出て行く。彼女は俺が普段、働かせてもらってる風車かざぐるま探偵社の社長の娘さんだ。今日も特に謝礼らしい謝礼も出ないというのに手伝ってくれていたのに、買い出しまで率先して行くのだから恐れ入る。

「真森がすぐに行かないから……」

「私が悪いの?」

 盾無姉妹はそのせいで言い争いを始める。仲がいいのか悪いのかよくわからない二人だが、多分、ケンカするほど仲がいいというヤツなんだろうと思っておく。

「あの……」

 その時、入り口の方から声が聞こえた。振り向くと絵麻ちゃんではなく、一人の高校生くらいの少年が立っていた。

「すみません、まだ準備中で」

 真林さんはお客と思ったらしく、そんな応対をするがどうもそういう空気では無い。

「いえ、ちょっとこの辺のことで聞きたいことがあって」

 少年は走り回っていたのか肩で息をしていた。それを整えながら話を続ける。

忘却社ぼうきゃくしゃってご存じでしょうか?」

「ああ、忘却社をお探しですか」

 少年の言うその言葉には聞き覚えがあった。というかよく知ってる。

「知ってるんですね!」

 少年が食い気味で反応する。

「ネットの噂でしょ。若い子が時々、探しに来るから聞いたことはあるけど」

 噂曰く、困った人だけがたどり着けるという十二階のビルの十三階にある探偵社。その名の通り、人の記憶を消してくれるそうで、難題を三日以内に解決してくれるとか。

 その最大の特徴は、依頼した人間もハッキリとそのことを覚えてないという。だったらその噂はどこから出たんだとか思わせられる。なんとも怪しい話だ。

「やっぱりただの噂なんでしょうか」

 露骨に落胆した様子で少年が呟くのが聞こえた。

「君がそう思うならそうなんじゃないか」

「ですよね」

 少年は挨拶らしい挨拶もなく、そのままトボトボと出て行ってしまう。

「コーヒー買ってきました!」

 入れ替わりに絵麻ちゃんが戻ってきた。盾無の妹の方がその荷物を受け取る。

「すみません、おいくらでしたか?」

「いいですよ、これくらい」

「いえ、そういうわけには」

 そして二人で遠慮のし合いが始まる。二人とも真面目だからこういう時、どっちかが引くというのが出来ない。しかし盾無妹は俺以外には礼儀正しいんだよな、本当。

 それを横目に真林さんが俺に話しかけてきた。

「どうして教えてあげなかったんだい?」

「ん? 忘却社の場所のことですか?」

「いや、君が――その忘却社の社長だってさ」

 そう実はかくいう俺が現在の忘却社の代表なのだ。しかし教えてやらなかったのは何も意地悪をしたわけじゃない。

 自力でそこにたどり着いた人間を助ける。それが忘却社伝統のルールだからだ。

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