金平糖(コンフェイト)の季節に

吾妻栄子

金平糖(コンフェイト)の季節に

「ここのあんみつ、おいしいね、サキコ」


 ミゲルは浅黒い、彫り深い顔いっぱいに笑いを浮かべた。


「それは良かった」


 こちらも釣り込まれて笑顔になる。


「コインブラでも食べられたらいいのに」


 コインブラ、という地名が彼の口から出ると、胸がまたチクリと痛む。


「日本のスイーツは海外ではちょっと難しいかもね」


 ポルトガル人のミゲルはもうすぐ私の通う大学での留学を終えて本国に帰る。


「僕もお祖母ちゃん《アヴォ》が作ってくれなければ和菓子を食べる機会はほとんど無かったな」


 彼の亡くなったお祖母さんは日本人で、つまり「四分の一だけ日本人」という意味のクォーターだ。


 ただし、髪も目も黒い、肌も浅黒いミゲルの風貌は「四分の一だけ白人」のクォーターにも見えるし、ポルトガル人にはそんな人が少なくない。


「出来れば、アヴォが生きてる内に一緒に日本に来たかった」


 彫り深い眼窩の奥の黒い瞳が寂しく笑う。


 そんな表情をすると、いっそう日本人に近しく映った。


 同じラテン系でも「情熱パッションのスペイン、郷愁サウダージのポルトガル」と言われる。


 喜怒哀楽の激しいスペイン人に対して、ポルトガル人はもう少し慎ましやかだという形容だ。


 東アジアで言えば、中国人と日本人の対比に近いかもしれない。


「私もミゲルのお祖母さんに会ってみたかったな」


 お祖母さんの名前は私と同じ「サキコ」だという。


 もっとも、漢字にすると向こうは「咲子」で、こちらは「早季子」だが。


 ミゲルによると、最初に覚えた漢字がこのお祖母さんの名前の「咲子」だそうだ。


「結構、頑固だったから、君が会ったら大変だったかも」


 私より四つ上のミゲルは二十五歳。


 お祖母さんも生きていれば八十四、五歳だそうだ。


 戦前の日本に生まれ、敗戦後間もない時期にポルトガル人男性と恋に落ち、独裁者サラザール時代のポルトガルに渡って結婚生活を送った女性。


 それなら「蝶々夫人」のような儚げな日本人女性ではなく、むしろ同世代の日本人女性の中でも破格に不羈奔放なタイプかもしれない。


「きっと、尊敬できる人だったと思う」


 時々こんな風に一緒に出掛けて和風スイーツを食べるだけで、未だに彼に気持ちを伝えられず、向こうの気持ちも確かめられない私よりは。


 抹茶の残りを啜ると、冷めた分だけいや増した苦味が残った。


*****


「これ、食べるかい?」


 甘味処から出てきたところで、ミゲルが悪戯っぽく笑ってカバンからガラス瓶を取り出す。


「金平糖?」


 透明なガラス瓶には七分目くらいまで白とピンクの金平糖の粒が詰められていた。


「お抹茶がちょっと苦過ぎたからさ」


 半透明の小さな星じみたかけらを二、三粒口の中に放り込む。


 彼はまるで眠気覚ましのフリスクのように金平糖入りのガラス瓶を持ち歩いて、時々こんな風に思い出したように二、三粒口に入れるのだ。


「じゃ、ちょうだい」


 掌を差し出すと、白とピンクがちょうど二粒ずつ転がり出た。


「半々だね」


 ミゲルが大きな目を細める。


「僕が食べる時には、いつもどちらかが多くて綺麗に揃わないんだ」


 一度に全部食べるのは勿体ない気がして、白の一粒から口に入れる。


 ガリリと噛むと、純粋な甘さそのもののようで、ひやりとした薄荷はっかの味わいも微かに漂う。


「ポルトガルの砂糖菓子コンフェイトより日本の金平糖の方が好きだ」


「私はコンフェイトの方が分からない」


 元は同じポルトガルの砂糖菓子でも、日本に渡った方は「金平糖」という別個の和菓子に進化してしまったということだろうか。


「向こうに帰ったら送ろうか」


 隣町に行こうか、と言う風な軽い調子で彼が尋ねる。


「お願いします」


 貴方と繋がりが持てるならそれに越したことはない。


「アハハハハハ!」


 不意に行く手から飛んできた甲高い笑い声に私たちは思わず目を向けた。


 外国人らしい男性と日本人に見える女の子のカップル。


 男性側は一見して顔も体格も浅黒い肌もミゲルに似て、しかしやや丸い鼻や厚めの唇には黒人の面影も見える。


 女の子もアクセントの強いメイクや露出の多い服装の雰囲気が何となく日系人や帰国子女かと思われた。


「ハーハアイ」


 男性側が片手を挙げ、真っ白な歯並びを見せて笑う。


 照れやはにかみといったニュアンスを含まない、笑顔そのもののような表情だ。


「ハーイ」


 ミゲルも穏やかに微笑んで返した。


 擦れ違った二人は、私には漠然とポルトガル語としか察せられない言葉で話し合いながら遠ざかっていく。


「あれ、ブラジルから来た奴だ」


 ミゲルが苦笑いする。


 ブラジル人の話すポルトガル語はポルトガル人のそれとは異なるのだと彼は良く言う。


 表面的な言葉以外にも、ポルトガル人とブラジル人では随分違うと、ミゲルとさっき擦れ違った男を見ただけでも良く分かる。


「ポルトガルにも最近、多いよ」


 旧宗主国ポルトガルと旧植民地ブラジルの関係は、イギリスとアメリカのそれに似ていなくもない。


 それでも、日本では英語は未だに「英語」即ち「英国イギリス語」だ。


 一方、ポルトガル語の方は「ブラジルポルトガル語」とまるで「ブラジル」の方が本流であるかのような呼び方までされ始めている。


「そのうちポルトガルなんて地図から無くなっちゃうかもね」


 灰白色の空を見上げてミゲルはカラカラ笑った。


 ヨーロッパ最西端の小国から極東の島国を訪れて、また戻ろうとしている、この人。


*****


 目指していた神社は平日のせいか梅の盛りだというのに閑散としていた。


 それとも、今の日本では桜はともかく梅にはそこまで集客力がないのだろうか。


 まだ「春」と呼ぶには冷え冷えとした空気だし。


 それでも境内には馥郁とした香りが漂い、白、紅、淡い桃色の花が咲き競っている。


「アヴォは桜より梅の方が好きだと言ってた」


 ミゲルは純白の梅と濃い紅の梅の枝が交錯する辺りを眺めて呟いた。


「離れても良い匂いがするから、と」


 最初はふわりと柔らかに包むようできつく鼻の奥に残る香りだ。


「日本で最後に見られて良かったよ」


 過去形で言われると胸に何かが突き刺さる。


 最後ということは、もう日本には来ないつもりなのだろうか。


 白やピンクの花びらが音もなく彼の肩に舞い落ちてはまた剥がれて土に零れる。


 その様子を眺めていると、口の中に先ほど噛んだ金平糖の味が蘇った。


 甘いのにどこかひやりとした、舶来の砂糖菓子コンフェイトの子孫。


 ぽつり。


 不意に目の下に冷たいものが点った。


「あ」


 ミゲルが驚いた風に空を見上げた。


「降ってきちゃった」


「予報でも降るって言ってた」


 私はバッグから折り畳み傘を出す。


 赤とピンクの中間の、紅梅の花びらに似た色の傘だ。


「もう帰る?」


 傘を差し出しつつ、尋ねてみる。


 彼から言い出される前の予防線だ。


「サキコ」


 紅々とした傘の色を映したミゲルの顔がこちらを見詰める。


 と、傘の柄を持つ私の手が上から握り締められた。


「僕はまだ、帰りたくない」


 二人には狭い傘の下、雨の打つ音が強くなっていく。(了)

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