第8話内山冬樹

内山冬樹は、44歳だった。生まれ育った大都市から、この地へ移住したのは、サーフィンがきっかけだった。この地へ移住するものの多くはそうであった。44歳であるにもかかわらず仕事は弁当屋のパートと、日払いの単発バイトをかけもちち、なんとか生計を立てていたが、この地にしては高すぎる6万という家賃は毎月支払えていなかった。    20年以上自分がきずいてきた会社を首になった。電化製品の設計者で、相当な技術者だった。部下も何人もいて、自分が一から教え、育ててきた。その会社を。       おなじく20年ちかく夫婦どう然に連れ添ってきた彼女がいた。同居し、生活費など、給料のいっさいを、彼女に渡してきた。すべてのお金の管理を任せたようだ。貯金もしてくれるよう。彼女は、若い男と出ていった。 今までの全キャリアと、今までの財産のほとんどと、彼女を、ほぼ同時になくした。  大都市をすて、こんな田舎のまちに、うつり住み、土地にもよく慣れ、友人もいた。そのあげくの果てが、この街が返したのは、こんなしっぺがえしか。冬樹は、今日もいらだちながら、日雇いバイトをさがす。     時東あみに出会ったのはその日雇いバイトだった。あみは、冷たく、人見知りし、壁があって、とっつきにくい子だった。まわりのだれとも話さなかったし、機嫌の悪い様子だった。それが、どういうわけなのか、自分とは、いや、自分にだけ親しく話してきた。  勘違いするにも無理はない。自分は今、すべてを無くしていた。すべて無くした自分に舞い降りた最後の幸運のようにおもえた。この街にきてから、だれにもにていない、そして 出会ったなかで いちばん、魅力的な女性だった。今の不幸のどん底にいる自分に、そぐわない、不釣り合いな、多すぎる幸運が残酷に、目のまえに いる。あきらめろと、いうほうが無理である。子供もほしいし、結婚も したい こんな人と結婚できたら どんなに しあわせだろうか ・・・・。     かんがえればかんがえるほど 冬樹は ふかみにはまり ひきかえせなくなっていった・・・・。彼女が自分のものに、ならない、なんて事実はぜったいに、受け入れられない。わらをも つかむ思いで、おぼれているとき、人につかまった時のように、その手を ふりはらわれたら、あとがなかった。    ふりはらおうとする手を、つかんだろう。すごい勢いで。ふりはらおうとする手を、水中でがっしりとつかんで、海の底にでも連れてゆくだろう。もはや、彼女は、飢えたライオンのまえに置かれた唯一のえさだった。  冬樹の耳に 彼女の気持ちはいっさい耳にはいらなかった。いっさいの彼女の意思は、壊れたラジオから聞こえているだけの、トーク番組だった。              しあわせに なりたい ・・・・・。そのことしか、あたまになかった・・・・・。残念なことにそのしあわせのなかに、彼女のしあわせはなかった。ぼくは、・・・しあわせになりたい。

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